ニュースは、今年の春は新型コロナ感染で今までにない事象が日本、世界で起きている、と連日伝えている。
正確にいうと、今現在、世界で生きている人々が経験しなかった事態になっている。
今は医療の発達や情報量の多さ、速さ、自由な発言などで、今までなかった状態になっている。
3月に入った。明日は桃の節句、雛祭りだ。
暦は確実に、誠実にやってくる。
雛祭りは一部では流し雛の風習もあり、健康、幸福を願って川に人形を流す。
一年に一度の3月を大切に過ごしたいと願う。


これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
ニュースは、今年の春は新型コロナ感染で今までにない事象が日本、世界で起きている、と連日伝えている。
正確にいうと、今現在、世界で生きている人々が経験しなかった事態になっている。
今は医療の発達や情報量の多さ、速さ、自由な発言などで、今までなかった状態になっている。
3月に入った。明日は桃の節句、雛祭りだ。
暦は確実に、誠実にやってくる。
雛祭りは一部では流し雛の風習もあり、健康、幸福を願って川に人形を流す。
一年に一度の3月を大切に過ごしたいと願う。

毎日の食事。多くの人は食事時間を楽しみにしているのだろうか。それとも息をするように当たり前のことと思ってその時間を消化しているのだろうか。
私の場合、食事は一人で取るか、二人でいただくか、3人でいただくか、それ以上の人たちといただくかで食事に対する期待度が異なってくる。
一人の食事は食卓を囲んで、と言う雰囲気はもちろんなく、自動的に手が動いている。二人の時は会話のほうに気が回り、食事よりも会話が第一になるようだ。これが三人になると、食べ物を見つめ、鑑賞する時もあり、話題を考える時もあり、食事時間を心地よく満喫できるバランスのいい人数だ。四人以上になると食事というよりも食事会といった緊張感が出てくる。これはかた苦しいのではなく、食事以上のものを与え、また受けるような気がする。その場で同じものをいただきながら、同じ時を過ごす。同じ時を過ごしながら、同じ空気を吸う。
「同じ釜の飯を食うと急に親しくなれる。」同感である。
食事を共にすることは比較的簡単だ。私たちは自分のこと、身の回りのことは自分でしなければならない。他人と共にすることはほとんどないのだが、食事だけは毎日、人間がすべきことの中で、簡単に共に行うことができる。毎日のことなので空気を吸うように食事を取ることも当たり前と思う。
しかし食事は人間に日々の糧を与えてくれるばかりでなく、広い意味では文明を発展させてくれた。植物のように水だけで生きるカラダであったら、または多くの動物のように栄養バランスを考えることなく、一つのものだけを食べていればよかったとしたら。今の文明はなかっただろう。
人はパンのみでなく、おかずも必要だった。そのおかずのおかげで私たちは豊かな文明を楽しんでいる。
月が変わると、見えない世界が変わってくる。運(つき)も変わる。
それぞれの月がつきを持っている。一年一月から十二月までそれぞれの月の持つ役割がある。十月のつきは秋の運びが巡ってくる。秋は多くの方面で収穫のある良い季節だ。その次にやってくるつきは少し落ちて、やがて一月が新しい年を告げ、前の年をごわさんにして、新しい運(つき)が全員にやって来る。
暦は役割があるがそれを取ると、本質が残る。十三日といえば、キリスト教では縁起の悪い日と考えるが、縁起の悪い日から縁起の良い日に向かうので、結局は縁起の良い日である。易などで縁起の良し悪しを占うが本質を見れば、縁起の悪い日は一日たりともないことになる。三百六十五日縁起の良い日なのである。
人間も親として、子供として、友人として、社会人として、色々な役割を持っているが、それらを取り除くと本質が残る。世の中は舞台であって人々はそれぞれの持つ役割の演技をして生きている。しかし人生は演技だけではない。演技を取り除いた時に残るものが大事な姿だ。
演技に徹するのは役者の使命だが、人間は役者ではない。本人の意思でその役をやめたり、続けたりすることができる。母親の役が好きな人は、死んだ後もその役を続けていることもあるだろう。父親の役を捨てて冒険の旅を選択する人もいるだろう。
誰でも先が見えないのが人間の人生。自分で開拓して行うべき課題は、与えられた環境であり、生き方だ。年齢に関わらず九十歳になっても世界が広がる経験をすることができる。その楽しみは役割と演技から離れて知ることが多い。
人の気持ちは曜日によって影響されるものである。月曜日は働く人々や学生にとっては憂鬱な曜日であることが多い。週末休みの人ならば、切り替えが必要である。月曜日の迎え方を工夫したらどうだろう。
新しい週を迎えるのに、また働かなくては、、と古い考えや予想が入ってくる。真っ白な一日を与えられれば、期待もワクワクと楽しいはずだが、新しい週といっても、もう時間の使い方は決まっている。逃げられない。責任がある。気持ちよく月曜日を迎えるには、月曜日を好きになるしかない。月曜日は嫌だなあ、と多くの人が思うので、その考えや気持ちに引き込まれてしまう。月曜日の朝の通勤電車の中を思い出せば、世間一般の気持ちは共有できるだろう。
月曜日は始まりの曜日である。(日曜日を週の始まりとする国もあるが)始まりを迎えられたことに感謝する気持ちを持つ。始まりがなければ、物事は始まらない。しかも週末という間の休息を頂いている。そして毎週、毎週、始まりを頂いているのだ。
一週間という人区切りがあることはありがたいことだ。人が活動するのにちょうどいい長さの単位だ。始まって終わって、始まって終わって、の一週間の繰り返し。
終わり良ければすべて良し。これを実現するために、月曜日を始める。始まりはどんな状態でもオッケーである。寝不足でも、体調が本調子でなくても、良き終わりを目指して進んでいけばいいのである。
月曜日を迎えるのも気分次第。月曜日を温かく迎え入れ、憂鬱にならずに楽しい週末を迎えるように祈りつつ、とりあえず5日間生活すればよい。一週間ごとに生まれ変わった気持ちで週を重ねれば、良き時は流れていくだろう。
学校や職場に属していない人でも、リズムを作ることは大切である。呼吸を正しくすれば、よく生きるのと同じだ。家にいても普通の人は日課があるだろう。それに合わせて、週単位で賃金労働でなくとも、仕事を考え、週単位で始めと終わりのスケジュールを立てる。そしてその始まりがあることを改めて感謝するのが、月曜日を好きになる秘訣だ。
友だちは何と言っても自分が感じた言葉を聞いてくれます。聞いてくれる存在が友だちです。
そのためには、語る言葉を持ちましょう。自分の気持ちを表現する言葉を蓄えましょう。そして必要な時に取り出せるようにしましょう。
そのためには言葉を選びましょう。自分の発する言葉で相手がイヤな気分にならないか吟味しましょう。そして暗い言葉を出しそうな時、自分の中に少し残しておきましょう。
だから自分が友だちになりたい、友だちが欲しいと思ったら、簡単です。相手の言葉に耳を傾ければ、そこから友だちが始まります。子供の頃、5分もあれば友だちになれたこともあるでしょう。
その友だちの間柄を長く続けたいと願うなら、相手の自由を尊重することです。自分の期待通りにいかなくても、立ち止まって相手の立場をよくよく考えてみることです。
友だちのすべてがいいものを自分に与えるとは限りません。友だちに対して意外に嫉妬心を持ってしまうこともあります。嫉妬心については多くの人が悩みます。それに対してどう対処するか、どのようにプラスの解釈ができるか考えてみる。良い方向へ向けるにはどうするか、多くの人の課題です。
友だちが一人だけの人は相手との絆が太いので、負担にならないように気をつけましょう。失った時のショックも大きくなります。
友だちが全くいない人は、人間以外のものと対話するようにして下さい。なぜ対話するのか? それは楽しいからです。繋がりを感じるからです。環境的にまわりに友だちがいない人は、植物、昆虫、動物、木々、目に見えない神仏に対して会話をして下さい。
人間がいない場合でも、命を感じるものと対話することは楽しいことです。
10月30日水曜日、アヴィシャイとニリと会うのは3年振りだ。前回は家族4人で来日して、日本が大好きな両親は子供たちを連れて名所の金沢、高山、京都などを案内した。今回はご夫婦だけで、渋谷に約10日間の滞在予定だそうだ。アヴィシャイとは35年以上前に同じ会社で働いていた。
私もアヴィシャイの家は2度ほど訪ねたことがある。いつの間にか、お互いにシニアライフを送るようになった。
夕方に会った。品川駅近くの日本料理の円で小皿を数品を選び、秋の和食を楽しみつつ、近況を伝え合った。私は彼らから日本の文化を教えてもらうことが多い。日本に数年勤務していた頃は、能楽のお面を器用に彫っていた。奥さんのニリは草月流の生け花を習い、教師のライセンスを取った。日本庭園もハイファの学校で教えていた。
今は何をしているかといえば、アヴィシャイは金継ぎをネットで独学で学び、割れた陶器を直している。素敵な作品の写真をたくさん見せてもらった。すごい。茶道でもありのままを見せる精神の金継ぎ。ユニークだ。



ニリは以前から陶芸をしている。庭に陶板を置いた二人掛けのベンチを作った。大きな作品にも取り組んでいる。風流で自然素材が活かされている。


いつもこの御夫婦のエネルギーには驚かされる。
Note:Masterpieces below are posted by postcards. NP.
横浜美術館で開催中の展覧会に行ってきた。只今13人の画家たちの共演中だ。
土曜日の午後、たくさんの人が鑑賞していたが、展示は見やすく、近くで細部を見ることができた。

ルノアールの世界に説明はいらない。パーフェクトで、心豊かにしてくれる。その中で印象に残ったのは個性派のアンリールソー、アンリーマティス、モジリアーニだ。
ルソーは税関職員の仕事をしながら、日曜画家として活動した。

マティスは趣味のバイオリンがその域を超えており、1日数時間練習していたことは今回初めて知った。

彫刻家を目指していたモジリアーニ。パトロンのギョームに絵を描くことを指示され、始めの頃は激怒しながら絵画に取り組んだ、という話も初耳。

3人の画家はルノアールのように画業だけに没頭したのではない。 絵のほかに別の世界を持っていた。
そうして眺めると、絵の風景以外にべつの要素が見えてきた。
ルソーは公務員らしく、描く人物は真面目にまっすぐみつめている。子供も大人の女性も男性も同じ顔をしている。
マティスが描く部屋はヴァイオリンの軽やかな音楽が流れてきそうだ。
モジリアーニの描いたギヨームは彫刻ふうに彫ったような独特な描き方だ。ほかの女性像の絵も彫刻のようで力強い生命力を感じ、好きな画家だ。
9月14日の明け方4時頃、テレビの方からなにやらミシミシする音で目が覚めた。しばらくベッドの中にいたが、恐る恐る起きてみるとテレビの電源が入って画面が黄色くなっていた。リモコンですぐに電源を落としてベッドに戻った。
すると心の中に母からのメッセージが浮かんできた。集中して受け取った。20分くらいだったろうか。その内容は要約すると次のようになる。

神様の創られるものはすべて美しい。
ドイツのアーヘンで母の感想を聞くことができて安心した。
そして励まされた。
確かに一緒に旅しているのだ。
今日は臨時の国民休日。皇居宮殿松の間で、即位の礼、正殿の儀が13時より執り行われた。
5月1日から令和へと改元されたことに関連して、今日は平成の明仁上皇から皇位継承がされたことを天照大神にご報告された。外国180ヵ国以上の要人を含め合わせて2000人が招かれ、お祝いに参列した。
時代は目まぐるしく進んできた。
●昭和時代:裕仁天皇の御代、1926年から1989年まで。25歳より在位62年間。
●平成時代:明仁上皇の御代、1989年から2019年まで。56歳より在位30年間。

●令和時代:徳仁天皇の御代、2019年から(末長く)。59歳より皇位継承。
戦争が終わって6年後の昭和時代に生まれた「戦争を知らない子供たち」だった私も、自然のサイクルに乗って古稀を前にしている。
天皇制は126代続いている。その中で私が生きた約70年は平和が続いた。
今日は歴史的な日だ、と新聞やテレビでは繰り返している。同時に私には奇跡の儀式に映っている。今日の複雑な国際情勢の中で180余りの国々が集まり、雅子皇后はお元気なお顔を見せてくださり、徳仁天皇は59歳で、天皇としての公務を継承された。
少し前は会社員は60歳定年で、これからゆっくりしたいと思う年代だ。生活はスローペースに移る人が多い。
生前譲位された平成の明仁天皇も85歳というご高齢で公務をこなしていらした。
徳仁天皇と雅子皇后の末長いご健康と安穏をご祈念いたします。
2019年、令和改元を迎え、母が5月に安らかにこの世を去った。
91歳、病名はいくつかついていたが、老衰も大きな要因だ。
最後の数年間、同じ空間で生活を共にしていて私の一部ともなっていた。
母が他界したら、私はガックリして数年は生きる意欲、気力がなくなるだろう。
数年前から覚悟はしていた。
人の死は、自然界の中のサイクルだ、友人が言っていた。
ところが、息を引き取って、自宅でドライアイスに囲まれていた2日目の夜。
どこからかメッセージを受け取った。
お母さんはあの世には行っていないよ。
ちさの胸に入って行き、もう少しこの世を見ていよう。
ちさが旅立つまで待っています。一緒にいます。

やすらかさが心に入ってきた。そして寂しさが消えた。
母もこの世を楽しんでくれるだろう。
急に強くなった。二人分のエネルギー。どこに行っても孤独ではない。
家族葬で行ったお通夜、そして告別式は予想外の明るい進行だった。