ミネアポリス美術館、日本絵画の名品

緊急事態宣言で休館になっていたが、再び開催された展覧会。
はるばるミネソタ州から渡日してきた約100点の名品にこもる遊び心、いにしえの画家達の魂の気迫。
作品は全て撮影可なのも珍しい。

龍虎図屏風、山田道安
 室町時代 16世紀

禅宗では「龍虎が自然の理の象徴」とされ、「龍吟ずれば雲起こり、虎が吠えれば風生ずる」などと詠まれた。

キリギリス絵巻、伝住吉如慶
 江戸時代 17世紀

楽しい恋物語。セミ赤ちゃんや産後の玉虫姫の様子も右上に描かれている。背景の繊細な筆使いと色彩、見ていて飽きない。文章の書も美しく走りうっとりする。

手長足長図、川鍋暁斎
 明治時代 19世紀
群鶴図屏風、曾我蕭白
 江戸時代 18世紀

この蕭白の鶴は六曲一双の一部。それぞれの鶴の眼を個性的に描き分けていた。

Black bird、伊藤若冲
 江戸時代 18世紀

以前、京都の相国寺で出会った若冲。再び数点の鳥の図を鑑賞できた。上の絵は橋下のカラス。その他、軽快なタッチのモノクロのニワトリたち。夏向きに感じる。

英国俳優「アンソニー・ホプキンス」

最近立て続けにアンソニー・ホプキンスの映画を3本観る機会があった。
好奇心のまま映画をチョイスすると、偶然にその中で主演を演じていた。なつかしい。

現在83歳になられても、2020年「ファーザー」で認知症の父親役を演じ、アカデミー主演男優賞を取った。イギリスに居たご本人は受賞の知らせに驚いたとか。制作はイギリスとフランスの合作。両国の色合いが出ていたと感じる。介護は世界共通のテーマだ。システムや家族関係の違いから、日本の介護の共通点と相違点を考えさせられた。

二本目は1993年「日の名残り」。イギリスの名士が住む邸宅に長年仕える執事(バトラー)と女中頭との関係を全編丁寧に描いている。原作はノーベル賞作家のカズオ・イシグロだ。これを観ると「イシグロはほぼイギリス人ではないか」と思ってしまう。

三本目「チャーリング・クロス84番地」。これは原作書名で、副題に「本を愛する人のための本」とある。朝日新聞の書籍紹介記事からすぐに読みたくなった。1970年に出版された実話。ロンドンの古本屋とニューヨークに住む女性脚本家との20年にわたる往復書簡集だ。

アマゾンで検索すると、1986年に映画化されている。アンソニー・パーキンスとアン・バンクロフトが出演。ミセスロビンソンもなつかしい。映画監督である夫がアンの希望で制作したそうだ。カメラのレンズに向かってアンが語りかける多くの場面を思い出した。本作は今から35年前の作品。

控えめな店主役のアンソニーの演技に共感した。隠れた名作に出会え、ラッキーな日だった。

アジサイ・フェスティバル

今年、関東ではまだ梅雨入り宣言がない。
市中や庭園でアジサイは梅雨を待たずに見頃を迎えた。

30度を超える真夏日の6月9日、戸部のイングリッシュガーデンに足を運んだ。青、赤紫、紅、ピンク等々、美しい新種のアジサイが広い庭園中に咲き誇っていた。

 

庭園近くの平沼神社境内
「水徳の神」水天様

絵本作家「レイモンド・ブリッグズ」

古い1冊の絵本「サンタのたのしいなつやすみ」が本棚にある。
久しぶりに手に取った。私が32歳の時、英語教室のアルバイト日曜教師を数ヶ月していた。再就職が決まり、仲間の若い先生達が絵本の後ページに寄せ書きを書いて贈ってくれた。

サンタのたのしいなつやすみ     1982年 篠崎書林

絵本は自分で買うことはなかったが、楽しい内容と絵が好きで、いまだに手元にある。サンタの生活が、理想の老後生活のようにも思った。

先日、作家が自分の両親について描いた絵本(グラフィックノベル)を出版したことを偶然知った。すぐにアマゾン電子版で「エセルとアーネスト True story」を購入した。

Ethel & Ernest, 1998

その後、2019年にこの本が映画化されたことをネットコメントで知る。懐かしいレイモンド・ブリッグズが現在も活躍している、イギリス国民に愛される代表的な絵本作家。エンディング曲もポールマッカートニーが手掛けている。

90分ほどのアニメ映画は、手描きで暖かい印象だが、第二次世界大戦前後の政治や階級社会が背景にある。無名のイギリス夫婦の普通の生活、迎えた老後。残された家族はただ受け入れるしかなかった。

母の三回忌を迎えて

母が令和元年5月に他界して2年たった。
快晴のもと親族10名出席の三回忌法要を無事に終えた。

母の晩年は、葬儀をとり行う宗派について、私はかなり考えた。
母はイエスキリストを慕っていた。西欧美術展を巡り、キリスト教聖画の葉書コレクションも残っている。

しかし最終的にたどり着いたのは、「代々の家の伝統、習慣となっている仏教形式で行う」ことだ。個人の信条と異なる位置にあっても、「仏教の法事があってよかった」と今、心から思う。

忙しい生活の中、優先して、普段会えない親族と会う機会があることは、良い習慣だと、歳をとって実感した。気持ちの区切りにもなった。母の存在は今でも時々感じるが、社会の一員だった母の存在を新たにした。

実際の命日は翌日の5月31日。
この日も穏やかな心地良い風を感じる快晴だった。
窓際に椅子を移して、ただ空を眺めていた。遠くの電車の音、鳥のさえずり、ごみ収集車の音楽など、人々の生活活動の音をしばし、聞いていた。

龍が鼻から息を出している?

雲が変化をつけて形を変える。
「もしかして空からのメッセージはないだろうか?」
目を凝らして雲の形をたどる。
「あれは龍が鼻から息を出している? 右下に十字架のようにも見える雲が。」母の干支は辰年だった。
「あの雲は目が二つ、口が真一文字の顔に見える」
父の顔を思い出す。

仁王のような人面に見える

私も旅立った人と生きる本格的なシニア生活に入った。

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