「旅立つ息子へ」 Here we are

3月27日、話題のイスラエル映画を観に行った。

「時間をくれ」父は別居中の妻に訴える。
この映画は田舎で暮らす父と息子の生活、そして自立までの過程を描いている。
息子は自閉症スペクトラムを患い、思春期を前にしているウリだ。実話である。

家族を介護する生活は、時間の流れ方が世間と違う。
映画の中でも、会話は短くゆっくりと進行する。父親アハロンは流行グラフィックデザイナーの職を捨て、結婚生活も二の次にして、弟夫婦との交流からも遠ざかっていた。「息子の生活は自分が看る、施設に入れるには今その時期ではない」と考えていたからだ。

周りは父の考えを理解しない、社会主義のイスラエルでは裁判所の指示やケースワーカーのシステムがよく整っている。無収入の父は四面楚歌、逃亡の旅に出た。その短い旅で息子は、世間に触れて新しいイベントやトラブルを体験した。少しづつ成長し、変化していく。旅の力はなんと偉大なことだろう。

一対一で真剣に向き合って介護する親の気持ちや喜び、自分ごとのように感情を移入できる映画だった。

三ツ沢公園でお花見

三ツ沢公園、池と桜

3月24日の朝、テレビは横浜の桜は本日満開と伝えていた。

以前会社員だった頃、桜の便りを聞いてもタイミングよく花見ができなかった。今は自由に当日ピンポイントで出かけられる。

三ツ沢公園はスポーツ総合グランドでテニスコートや馬場もある。桜の木々が点在している。近くに住む人達やスポーツに来ている人々がほとんど。全体的に人出は少ない印象だ。

馬場は50年以上前からある。

以前は会員制乗馬クラブだったが、今日案内を読むと、予約して誰でも利用できるようだ。

馬術練習場

 

ソメイヨシノ。幹は太くなり年代を感じる、変形した木も多かった。

三溪園のサギたち

3月17日午後、三溪園の自然を訪ねた。

三溪園入り口、サギの勇姿

入り口近くの池に、「これぞサギの勇姿」と言える大サギが一本足でたたずんでいた。

三溪園、子どものサギ

 

子どものサギ、カメと移動中

奥の池には若いコサギが小さな魚を求めて歩いている。数匹の子亀もその周りで、一緒に移動している。

三溪園、成鳥のアオサギ
ポーズを決めたアオサギ

茶屋の前に広がる池の正面に高齢に見えるアオサギが首を長く伸ばしながら立っていた。しばらくすると羽を水平に広げて飛び立って行った。

奥の方に歩いて行くと、周りに誰もいない橋の近くでじっとしている。カメラ用ポーズを決めてくれた。

三溪園の住民ネコ

帰るとき、受付近くの木陰で住民の茶ネコが寝ていた。🌳💤

没後70年「吉田博展」

3月12日、吉田博の淡い色彩の木版画を求めて東京都美術館を訪ねた。最近のアニメ作家も憧れる画風だ。

明治9年から昭和25年に生涯第一線で活躍し、74歳で他界した。作品の時代背景は今日から比較的近い(と考える)。

作品を鑑賞する前、個人的に期待したことは、光る海や川、滝などの水の表情。当時の生活の様子。世界中の国々を旅することを愛した画伯の風景画。

「瀬戸内海集 光る海」吉田博
  1926、絵葉書

会場にはまるでカメラで撮ったような自然風景が数多くあり、いかに一生の間、旅の先々で自然を愛でていたかがわかる。中国蘇州は私も旅した町、思い出す。

蘇州、吉田博(1940)、※作品部分

意外なことに戦後1945年以降は1枚制作しただけだ。ー 晩年の作品は「農家」ー。

吉田画伯は人物を得意としなかったが、この絵には農家の台所で家事をする婦人が二人描かれている。当時の何気ない日常のワンシーン。戦争が終わった後、平和を徐々に取り戻した1946年の作品だ。

農家、吉田博(1946)、フリー素材

奄美大島のポンカン

 

奄美大島のポンカン

前回、奄美大島で大島紬の工場で働きながら、画家の情熱を出し切り生涯を終えた田中一村について書いた。

近頃よく日常の中で「繋がり」を感じる。奄美出身の知人から島のポンカンを頂いた。奄美と一村を思い出す。

皮は硬くて手で剥こうとすると、スムーズにはいかない。コツはナイフで四つ切りにすること。これで、苦労なく丸ごと食べられる。

ポンカンは見た目は自然体、岩肌のような黄緑色も部分的に見えワイルドだ。中身は、香りよく、甘くてジュースを飲んでるようだ。来年はお取り寄せしようと思う。

ひなまつり、田中一村
(ハガキ、部分)
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