サザンの42周年記念、無観客配信ライブ

6月25日に横浜アリーナでサザンの初めての無観客ライブが行われた。
私も偶然、テレビの情報番組で知り、受付日前からチケットを購入、楽しみにしていた。夜8時から10時過ぎまで。姪を誘って一緒に観ることにした。パソコンとipadからの視聴になった。チケット購入者は約17万人、視聴者は50万人とメディアは伝えた。

前半は「You」から始まり初期の頃の懐かしいナンバーが続いた。後半はトークも多くなり、コロナに関しての演出が多くなった。アマビエのイラストを頭につけて、疫病撃退を祈り、塩の代わりに紙吹雪を撒いていた。手洗いの意味も、「手を洗うと気持ちが楽になる、ヒーリング効果というのでしょうか?」と掘り下げて語っていた。いつもながらバランスの良いトークだと思う。

後半には定番の42年前のデビュー曲、「勝手にシンドバッド」でスタッフ全員と踊りながらアリーナを一つにまとめた。最後は「みんなの歌」で締めた。画面側の視聴者も一緒に体でリズムをとったことだろう。桑田くんは「みんなの心、魂が見えます」とコメント。「東京ビクトリー」が始まる中、巨大なオリンピック聖火台が映し出された。座席にもライトが付いている。スタッフは約400名で動いていると聞いて驚いた。医者、看護婦さんもおられるそうだ。

2日後のラジオ番組で桑田くんは「コロナを逆手にとって年末へと頑張ることを教えられた」と語っていた。

コロナ禍での入院患者との面会事情

学生時代の友人が「4月中旬に突然の脳梗塞で、入院をしている」と入院先の病院から電話をくれた。普段元気で笑顔しか見たことがない友人が、左半身動かなくなった。

電話で事情を聞いてすぐにでも、お見舞いに行こうと思い、詳しい事情を知るため友人の家族に電話をした。すると「昨今、コロナ関係以外の入院患者でも家族も病院を訪ねることができないですよ。院内感染予防のため、全国の病院どこも同じですよ。」という説明だった。すべての病院患者の面会が禁止されているとは知らなかった。介護施設入所者は高齢だから、持病があるからという理由で制限されている。一般病院でも同じだったのだ。

緊急事態宣言解除になった後、東京都内のこの病院での面会の緩和が6月15日から始まった。しかしルールや規制がある。面会時間は2時から5時まで。一回10分間で人数は2名まで。お見舞い品は持ち込めない。生花でなくプリザーブの花が好ましいが、置く場所は限られている。予約やリハビリの時間の問い合わせはできない。

入院中の友人はすでに二ヶ月の入院生活を送り、リハビリ中だ。短い面会時間でも会いに行きたい、と共通の友人を誘って週末の土曜日に訪ねた。しかしルールには細則があり、面会者は1親等相当の家族のみ。遠方からの家族は遠慮してくださいとある。受付で「10メートルくらい離れて手だけでも振りたい」とねばったのだが譲歩は望めそうになかった。一人を認めると他の人も要求するということらしい。用意していたメッセージカードを渡してくれるようお願いして、すごすごと病棟を後にした。

病院の帰り、近くの公園で。
「馬とピューマ」の彫刻

 

 

映画「コリーニ事件」

6月12日、2019年制作のドイツ映画「コリーニ事件」ロードショウ初日に映画館に向かった。昨年秋にドイツの旅をして人々と言葉を交して以来、ドイツのニュースや文化、食べ物に自然と関心が向く。

今回は20世紀を舞台に現役弁護士が描いた小説から、現代においての戦争犯罪にまつわる正義のあり方を問うている。戦争中は見過ごされていた残虐行為を、戦後その犯罪性を見直し、罪を再評価できたことがこの作品の大きなテーマだ。

その他に映画の中からドイツの現状を学ぶ楽しみもある。まずトルコ移民の新米弁護士とイタリア系移民の経済学を学ぶ女子学生が事件の謎を痛快に解き明かす。微妙な移民の立場もさりげなく描かれている。この弁護士の父親もトルコで弁護士をしているが、親子関係に問題があった。幼なじみで元恋人との関係、女性の豹変ぶり、そんな中で思いやりを示す弁護士の態度にも共感できる。

殺人犯の生涯に想いを馳せた。イタリア系移民の彼は30年間は善良なドイツ市民だった、そして殺人の罪で捉われの身になった。しかし弁護士のおかげで公けの場で正義を示すことができた。故郷のイタリアの田舎に帰り、魂は子供の頃に戻り、亡き父親と再会したのだろう。戦争中の悲劇現場には目を背けるが、裁判を取り巻く人々、そして監督の優しさに悲劇の中に救いを見た。

 

 

バンクシー展

横浜駅東口近くのアソビルで開催中のバンクシー展をブラリと訪ねた。
70点以上のバンクシーの作品が集められ、世界5都市を巡回した後、日本にやってきた。5月30日から再開され、9月末までの予定だ。

チケット窓口はなく、入り口の女性係員にQRコードありますか?と聞かれた。事前にネットで申し込むのが一般的らしい。クレジットカードは使えると言うので、立ったまま手続きをしてもらう。

バンクシー展のサイトにスマホでアクセスすると、全ての作品映像と解説が無料で聴いたり、読めたりできる。自分のイヤホンを使い、会場内でのガイドはフリーとなる。戦争や紛争、商業主義、資本主義に反対するアーチストだが、世界各地の展覧会、グッズの販売など商業的な企画も多く盛況らしい。一方、ストリートアートは今も展開しており、無料で人々に提供し訴えている二面性がある。

会場には若い人々でかなりの人気に驚いた。まだまだ自粛ムードが強い中、芸術を求めてこんなに若い人たちがいる。入場は基本ネットの事前予約ということで、慣れていない中高年層は気軽には入りにくい。

バンクシーのテーマは現状批判が多い中、世の中で立場がつらい人々へのエールやメルヘン的なほのぼの作品がステキだ。子供がいる作品はどれも印象深くアピールしている。普遍性がある。

戦争や紛争に関する作品が多い。何が原因なのか。彼の発信し続けるメッセージは何か、視覚から考えるきっかけになる、見応えのある作品展だった。

ただ、会場は非常に冷え切っているので、長袖の羽織るものが必要だ。鑑賞時間は最低2時間はかかる。

 

幸福なラザロ

6月3日久しぶりに映画館を訪ねた。
1日から映画館が再開され、座席が一つおきで予約でき、コロナ対策は万全だ。入り口で体温を測り、手をかざすだけで消毒液が出てくるボトルが置いてある。観客数は10名程度。会話する人もなくバラバラに座っている。

舞台はイタリア、実話、聖書に登場する死から蘇ったラザロが入ったタイトル、この三要素に惹かれ「幸福なラザロ」を観ることにした。イタリア映画の上映は数が少ない。1980年代に実際に起きた事件を題材にし、利他愛100%で生きる、無抵抗な若者ラザロの姿を描いている。

イタリアの片田舎で広大なタバコ農園を経営する伯爵夫人。無賃金で長い年月50数名の農民達を洪水があった川の向こう側で小作人として囲い、無慈悲に支配していた。子供達は学校にも行かず、電球もほとんどなく文明から外れて生活していた。しかしある時、伯爵夫人の息子が人質になる事件が起こり、メディアに晒されることになった。

聖書の中のラザロは死後4日目にイエスキリストの呼びかけで、生き返った。その後キプロスの教会の初代主教になったと伝えられる聖人だ。映画の中のラザロの生涯と異なるように見えた。この映画は狼やペットの小型犬も大事な役者で登場する。

愛の権化のようなラザロと村人の現実の厳しい生活、生きることに必死な人々の感情を全面に散りばめている。その中で、ホッとできた場面は三つ。数年振りに町で偶然ラザロを見た若い村の女性がひざまずいて、「聖人ラザロー」と崇めたこと。ナイトクラブで再会した伯爵夫人の息子がラザロ達をランチに招待した。その時、なけなしの現金から高価なお菓子を手土産に持って行ったこと。そして帰り道、教会から流れてきたオルガンの音楽が通りを歩くラザロ達を追いかけた。貧困生活の中でゆとりを感じ、安堵できるシーンだった。

池のほとりで

最近は近くの大きな市民公園内を散歩することが多くなった。
小学生の頃見た小さな池がまだ残っている。60年近く前のことだ。その間、訪れることがほとんどなかった。今はコロナ自粛生活中、運動不足解消のためもあって、マラソンをしている人、柔軟体操をしている人、子供を連れて散歩している若い家族など、多くの利用者が見られる。

散歩道には水辺がよいと池の周りにも立ち寄る。浅い泥沼だが、観察すると錦鯉が3匹、黒っぽい野鯉が数匹、中型の亀が2匹、確認できた。鳩も水辺にやってくる。

先日、四人の中学生くらいの男子が池に入って亀を取っていた。現代っ子が野遊びをする姿は珍しい。亀は地上に置かれ、動かないように軽く縛られている。「離してやりなさいよ」「外来種だからいいんですよ」同じく様子を見ていた犬の散歩中のおばさんと会話している。私は注意すべきか、違法なのか、まだ持ち去ってないし、と考え迷っていた。すると亀はするりとナイロン紐をすり抜け、あっという間に池の中に潜って去っていった。一件落着、ホッとした。

何も手助けしなかったが、後で浦島太郎の話を思い出した。助けた亀に連れられて、竜宮城に行きました。逆に、自力で難局を脱した亀に助けてもらった。

2鉢のセントポーリア

今年もセントポーリアが1月から5月まで次々と花を咲かせた。
二つあるセントポーリア、元気な方は花びらが白と紫の鉢は毎年つぼみをつける。葉っぱの色が濃くなり、艶やかに変わってくると、その後に花をつける。もう一つのセントポーリアは虚弱体質に見える。葉っぱだけの状態が数年は続いた。毎年花をつける方の葉っぱと比べて艶やかさがなかった。

昨年、葉っぱだけだったセントポーリアにつぼみが10個くらい付いた。葉っぱを見るとピカピカ輝いている。驚きと期待感で毎日花が開くのを見ていた。葉っぱの陰に隠れて1ミリもないつぼみ達。それは一つも枯れることなく、鈴なりになった。友人によると去年はセントポーリアが突然花をつけるケースが多いそうだ。離れていても同時多発性なのか?

その暖色系のセントポーリアは今年もたくさんのつぼみをつけた。去年、母と数ヶ月の間、咲き誇るセントポーリアを楽しむことができた。思い出の二つの鉢だ。昨日は母の1周忌でお墓参りをした。

去年、急に花開いた

 

 

 

ピカピカの葉
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