6月10日、曇りの天候から小雨になった。
午前中はザルツブルグ市内観光、午後からオプショナルツアーで映画ロケ地にもなった湖水地方ザルツカンマーグート観光に足を伸ばした。









湖水地方はあいにくの雨模様。モーツァルトのギフトショップで購入した長傘が大変役に立った。


ザルツブルグの記念品は傘とウサギの置物

これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
6月10日、曇りの天候から小雨になった。
午前中はザルツブルグ市内観光、午後からオプショナルツアーで映画ロケ地にもなった湖水地方ザルツカンマーグート観光に足を伸ばした。









湖水地方はあいにくの雨模様。モーツァルトのギフトショップで購入した長傘が大変役に立った。


ザルツブルグの記念品は傘とウサギの置物
6月9日、観光5日目は午前中プラハからバス移動約3時間、世界遺産のチェスキー・クルムロフ歴史地区を見学。

ヴァルタヴァ川(モルダウ川)は全長430kmのチェコ国内最長の河川。スメタナのクラッシック名曲の「我が祖国」はこの川のインスピレーションから作曲された。


現役の時計は正確に12時3分をさしている。





城内で代々飼育されている伝統的な熊、現在世話されている一頭が最後の熊となるそうだ。

昼食後、220キロのドライブ約3時間半、19時30分にオーストリアのザルツブルグのホテルに到着した。
6月8日、午後のオプショナルツアーでクトナー・ホラを訪ねた。プラハから東へ約65キロの世界遺産の街だ。

聖バルバラ教会のテント屋根の3つの尖塔は後期ゴシック建築の歴史の代表例らしい。


リブ・ヴォールトとは交差するアーチ(リブ)を骨組みとし、その隙間(セル)を石やレンガで埋めて作られる天井の建築構造のことだ。
天井の重量を支え、下の柱へと分散させる役割を持つ。



膝を保護するための厚い革製のエプロンをまとい、ツルハシとランタンを持つ鉱夫。坑道の出入り口には逃げられないように柵が作られた。彼らの平均寿命は30歳以下だったという。

若くして異教徒の父親から迫害を受け、殉教したバルバラの物語は初めて知った。労働者の守護神であったバルバラの教会は私の訪ねた教会の中でも特に輝いていた。
次回機会があればゆっくり時間をとって教会の内外細部を眺めてみたい。
6月8日月曜日、8時30分ホテルをチェックアウト。
午前中、プラハの歴史地区を見学した。
午後はオプショナルツアーでクトナー・ホラーを訪ね、歩数は約2万歩。いつもの体力以上だ。坂、階段も多く、見えない力が働いた。

プラハ城内敷地にそびえ立つ。
6世紀の歳月をかけて建てられた約100メートルの塔を持つ大聖堂。

ボヘミアにキリスト教を広めた聖キュリロスと聖メトディオスの生涯が描かれているステンドグラスの窓。


建築上、バラ窓は丸く見えないが、パイプオルガンとよくマッチしていた。


王家紋章は2本の尾を持つ白いライオンで、ボヘミアのライオンと呼ばれる。扉は直線的なイタリアンルネッサンスの影響がある。



チェコの守護神の聖ヤン・ネポムツキー像台座右側のレリーフには、祭司である彼が王妃の告白した内容開示の命令を拒んだ為、モルダヴァ川に投げ入れられた様子が描かれている。この台座はご利益を望む観光客が触るため、ピカピカに光っている。


12時の鐘の音、右手のガイコツが鐘を鳴らし、上部2つの窓の中では聖人たちが回っている。短い時間でシンプルな動きと鐘の音がかわいい。
6月7日、観光2日目はハンガリー🇭🇺の首都ブダペストを後にしてバス走行約3時間。
スロバキア🇸🇰の首都ブラチスラバに入国。
旧市街地をを1時間でまわり、ランチを頂く。
昼食後は一路チェコ🇨🇿の首都プラハへ向かう。
4時間30分、11名を乗せてロングバスは走る、走る。
夜8時に宿泊ホテル、デュオプラハに到着した。







6月5日成田11時10分発のオーストリア航空機、飛行時間約14時間でウィーンに到着。そこからバスで3時間、ブダペストのホテルパークインに到着したのは夜10時30分。
9日間、シニアにとって挑戦になる長旅の第一関門はクリア。
翌6日朝から忙しくも充実した中欧観光がスタートした。

上記の教会の名前は、1479年に南の塔の増築を命じたマーチャーシュ一世の名前からこう呼ばれている。
歴代のハンガリー王の戴冠式に使われてきた。

上記大聖堂は初代国王イシュトバーン一世の名前がつけられた。
1771年、マリア・テレジアによりハンガリーにイシュトバーン一世の右手ミイラが戻され、聖遺物箱に納められた。

午後は国会議事堂をじっくり見学。フォアグラ試食とトカイワインの試飲タイムもあった。


ベンチの後ろに個人番号が記されてある葉巻き置き場がある。議論の続きも出来る、優雅な国会内だ。

夜9時から貸し切りのクルーズ船に乗船した。
参加者9名全員は自由な場所でライトアップされたネオ・ゴシック建造物の夜景に大満足の夜だった。夜風は強く寒かった。


6月13日は東欧の滞在最終日、ウイーンの街中にあるホテルを10時30分にチェックアウトして空港に向かう朝。
前日はウイーン歴史地区を6時間散策し、自由時間はオペラ座のカフェでコーヒーを味わい、夕食後はクラシックコンサートと忙しい最後の日程をこなした。連泊したホテルに帰ったのは23時30分。

急いで部屋でシャワーを浴びて就寝しなくては、と思ったが、部屋のカードキーが見つからない。ドアの前でしゃがみこみ、あわてて探していたら、同じグループのM夫妻が声をかけてくれた。私たちの部屋でバッグの中身を広げて探したら?とMさん。ご主人はフロント階にあるかもしれないとすぐに降りて行ってくれた。すぐに真っ白いカードはマジックのようにバッグから現れた。
お礼を言って無事入室、1時過ぎに消灯しようとしたが、デスクの調光スタンドの明かりがどうしても消えない。前の晩は問題なかったのに。コンセントもなくコードは壁に固定されていた。仕方なく、電気ポットやカップで光を遮断してベッドに入った。
しばらくするとシャワーの水の音が聞こえた。シャワー室に行ったがシャワーは普通に閉めてある。もう疲れ切っていたので気にしている余裕もなく、そのまま7時までぐっすり寝た。
翌朝、朝食の時間、たまたま一緒のテーブルになったM夫妻に昨晩の不思議現象を報告した。もう旅も終わりなので、ザルツブルクの夜中の亡霊の話もしたが、否定するでもなく、昨夜の鍵紛失も変でしたね、とわたしが忘れていたことを思い出させてくれた。

朝食後、時間があるので近所のスーパーマーケットまで散歩し、部屋に戻った。いよいよ旅の終わりの退室。カードキーを入り口近くのスロットにいれたとたん、部屋の中からバリトンの男性の愛想の良い声が響いた。
「アウフ ビィーダション!」
私はあわててテレビ?スピーカー?と部屋を見渡したが、シーンとしている空気だけだった。
確か、さようならの言葉だ、と遠い記憶を思い出し、グーグルで確認。するとドイツ語でややフォーマルな「さようなら、また会いましょう」。オーストリアではビタシェンがビタションと発音されることがある、とあった。
清々しい朝の時間、特別な体験で、旅の続きを予感するこのたびの終わりを迎えた。
6月5日、観光バスでブダペストからスタートした東欧旅行、6日目ザルツブルクのホテルでの体験。
その日は午前中ザルツブルク市内観光、午後からは郊外の湖水地方ザルツカンマーグートを散策して1万3千歩のウォーキング。

疲労でぐっすり寝ていた3時過ぎ、背後から呼びかける声で飛び起きた。すぐに「何事?」と振り返ると人の形の影がベッド横に立っている。室内のレイアウトはベッド近くに平行して扉付きの細長い戸棚と洋服掛けコーナーが設置されている。不自然な造作だと思っていたが、その扉の前に幽霊が陰気な様子で立っていた。
私は飛び起きて、すぐに明かりをつけた。あまり恐怖感はなく、さまよう亡霊の慰霊のため、十字架のネックレスをつけ、仏教用語で言ういわゆる成仏するよう祈った。
頭は覚醒しそのままベッドに横になっていたが、5時に起床し、スマホで朝の音楽をかけることにした。いつものと違う曲を、とアマゾンミュージックのステーションで何げなく選び、流れてきたのが藤井風の「帰ろう」。
私も初めて聴く曲、しかし亡霊に捧げるためにピッタリの歌詞で、2回リピートして聴き入った。
🎵あなたは夕日に溶けて
わたしは夜明けに消えて
〜〜
ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
〜〜
さわやかな風と帰ろう🎵
彼の耳に届いただろうか。
5月19日と20日、高速フェリーに乗って大島を訪ねた。
同行の山好き旅好きの姪も海好きの私も初めての大島。
1日目は団体バスを利用して島を半周した。
夕方から個人旅行になり、大島温泉ホテルに1泊。

旅から帰ったあと、大島の景色を映像で見たい、と思いネット検索。
1963年制作の「波浮の港」吉永小百合と浜田光夫主演の映画があった。早速視聴し、旅を思い出す。

バウムクーヘンと呼ばれる地層大切断面は長さ630メートルも続く1万8千年分の記憶を残している。

ホテル名物のフォンデュは軽く、柔らかで、揚げ物の中で最高のサクサク感。海老の殻もそのまま卓上で揚げる。
翌日はホテルを10時近く出発。三原山山頂を目指す。


山頂手前で休んでいると、ご夫婦で大島転勤して3年というS夫人に出会い、大島事情をたくさん伺うことができた。駐車場から登る私たちとは別のコースで山頂まで来られ、元町港近くに住まいがあると言う。車で港まで乗せて頂くことになった。



島全体がパワーアイランドのように思える。

三人の道中のハイキングとドライブ、約3時間、おかげでアクセスが不便な場所を何ヶ所も案内して頂き、充実した時間が過ぎた。天候と素敵な出会いに恵まれ、感謝いっぱいの旅となった。
Sさん、お世話になりました。
貴重なお話、有難うございました。🧍🏃♀️➡️

4月14日、うす曇りの空のもと、小田原からバスは出発。箱根を抜け、富士山が姿を現したり、隠れたりの道を走り、沼津市に近いベルナール・ビュフェ美術館に到着した。1973年に地元の岡野喜一郎によって開館されたそうだが、今回はじめて知り、訪れる機会を得た。

森の中のひっそりした散歩道の先に美術館が現れた。各展示室は広く、目を見張る巨大なキリストの十字架は一部屋に三作品、天井に向かってゆったりと展示されていた。この空間が良かった。

敷地には大きなカマキリ?と蝶の彫刻が空に向かって立っている。日本にニ作品しかないビュフェの彫刻。高く大きいものが好きだったそうだ。

富士山の近くにあり、ビュフェも日本をモチーフにした作品を残している。
館内の作品は撮影禁止。ネットで富士山を見つけた。


パリの建物、花瓶の花、自画像、アナベル夫人等々、すべて太く力強い黒い線が生きている。

若き頃から天才画家と認められたビュフェの2000点余のコレクションが静岡県で一同に保存されている。