朝の天気は曇から快晴、スタッフの方々が特に丹精込めて育てたバラたちに会いに行った。最近は10日ごとに通っている。予想通り、午前中は入り口で訪問客の列ができていた。
今日は木々も主役にする課題で、カメラを向けた。
イロハ紅葉も青空を背景に美しく映えていた。
これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
朝の天気は曇から快晴、スタッフの方々が特に丹精込めて育てたバラたちに会いに行った。最近は10日ごとに通っている。予想通り、午前中は入り口で訪問客の列ができていた。
今日は木々も主役にする課題で、カメラを向けた。
イロハ紅葉も青空を背景に美しく映えていた。
大型ゴールデンウィークも終了した。晴天続き、ニュースで各地の様子を見ているだけでも、楽しい気分になった。
昨日、休み明けに花屋を訪ねると、季節の菖蒲のツボミに惹かれた。端午の節句は過ぎたが、力をもらえそうだ。
花が終わっても1週間位すると2番花が咲くそうだ。知らなかった。
今朝、白い花だ開いていたが、わずか2時間もたっていない、気がつくと形良く全開になっている。短時間でかなりの動きがあったのだろう。
3月21日の「室内で春の訪れ」のブログで、アップしたミニシクラメン。購入して五ヶ月、終わりかけたと思っていた。あれから1ヶ月半、再び白いシクラメン、赤いシクラメンもたくさんの花をつけてきた。調べてみると葉芽と同じくらいの数の花芽が出るそうだ。赤いシクラメンの葉は元気で大きくなっている。
菖蒲といえば端午の節句を思い出す。
5月5日、姪が味噌あんの柏餅を持参してくれた。子供時代に思いをはせながら頂く。
上野の芸大美術館で3月から開催されている大吉原展。
出品作品数は230点と多いが、気になるのはワズワース美術館所蔵の喜多川歌麿の特大浮世絵「吉原の花」と辻村寿三郎のミニチュアの吉原の町。
50数人の遊女たちと犬1匹。夜の桜見に2組の花魁グループと2階の演奏会の様子。華やかな江戸の文化が遊郭の別世界の中で繰り広げられている。
桜の木は花見のこの時期、他所から運んで植えられる。
幕府公認の遊郭の中で華やかな文化を繰り広げ、発展させた。後半の展示では特異な世界に住む女性たちの悲しみと抵抗も知った。
夏の祭り「八朔」は暑い気候の中、重い衣装をまとってパレードする過酷さ。江戸の火事の大半は遊郭の女性たちの火付けが原因だった。人権を無視した待遇に抵抗するものだった。
会場の最後に寿三郎作品の吉原仲の町のミニチュア模型が置いてある。
『復元ではなく、江戸の女たちの心意気である。女の艶やかさの誇りなのだ。後にも、先にも、この狂乱な文化はないだろう。』 (辻村寿三郎)
筋を通せない、話が通じない人が、私の道に現れた。
避けて通りたいが、時間が経過しないと、無理そうだ。
気分転換に、頭をすっきりさせよう。
やはり花鳥風月に癒してもらうのが健康的だ。
週末の午後、臨港公園のドッグフェスに足を運んだ。
入り口近くで小羊のような毛を持った大型犬に会った。
しばらく見ていた。人に触られるのが大好きだと聞いて、鼻の上の毛やカールしたふわふわな毛皮の背中をなでた。おっとりとした性格だ。
会場では50米走コンテストもあり、細い道を一頭づつ走り、タイムを測る。早い小型犬は5秒台で転げるように走っておかしい。遅い犬は20秒台だった。
広場は土の地面、全力で走る犬と併走する飼い主等。
自然体のすがたに見ている私も元気になる。
今年の春は天候が定まらず、ウォーキングに出かけるのも朝の天気次第だ。最近は強風の日も多い。
今週は日曜日、月曜日と散歩日和だった。みなとみらいの汽車道、山下公園付近を歩いた。行政は伊勢崎町あたりにあったにぎわい座に代わるものを桜木町駅周辺に計画したそうだ。数十年にわたって、ビルや娯楽施設が増えるのを見てきた。
平日の夕方でも、公園でそよ風にあたりながら、のんびり過ごしている人々。外国の観光客も多い。
姉の愛猫に会うものどかな時間だ。数年振りでも擦り寄ってきて、手を噛んだり、目を覗き込んだりする。
東京駅13時40分発のゆっくりした出発の1日目。
上越新幹線でわずか70分足らずで上毛高原駅に到着。宿泊は送迎バスで10分ほどの松乃井の源泉、生温泉の宿だ。できる限り外気に触れさせず温泉の鮮度を保っているので「生」温泉と呼ぶらしい。
2日目は現地で行き先を決めながら移動した。水上駅からバスで谷川岳のロープウェイをめざした。
山頂の眺めを期待したが、積雪は1.5メートルを超え、霞んでいる。思いがけず、スキー場に来てしまった。
下山して水上温泉駅付近を散策した。バスで「小学校下」で下車、利根川の川原から始まり、昔は賑やかだっただろう、と余韻が残る温泉街を30分くらい歩くと上毛高原駅に着いた。途中ガラス工芸品のお店にも立ち寄った。
わずか30時間の旅で、群馬県の温泉と谷川岳、利根川沿いの散策とゆっくりできる。新しい発見だった。
靖国神社の標本木による桜の開花宣言が例年より遅れている。横浜も昨日の開花予測日が過ぎて、今日も肌寒い。
3月27日、久しぶりの快晴、青空に誘われて、イングリッシュガーデンの花々の様子を見に行った。
2月に訪ねたときは、整頓された地面に花が寂しく咲いていたが、今は春らしい花々でプロムナードが飾られている。
午後は愛犬を車に乗せて撮影する様子もよく見かける。
小さな空き缶の中でよく育っている。去年、山口県の道の駅で旅の記念に購入した。急に新芽が多く出てきた。
赤い部分がグリーンになり、分厚い葉になり、ヒダをつける。伸びる角度がまちまちで変化を楽しめる。力をくれる。
昨年11月に白色と赤色を二つ購入した。白色が咲き続けている。白が勝ったと言うと赤に申し訳ないが、白は5ヶ月経っても可愛らしい花が咲いている。
中央の白色の大きな葉が新しい。次第に色がつき、模様が入ってくる。歩みはゆっくりだ。
肥料なく、水だけで元気に育っている。水の力はすごい。
アカデミー賞授賞式のニュースを見て早速3月14日午前中の回を予約した。
ストーリーもゴジラの姿も、予想以上に没入した。隣の席の老人が終わり間近で席をたったのはもったいない。
退屈を感じる間は何もない。
テンポよく、時代が進み、ゴジラの登場も観客の期待よりも早く現れる。登場人物の科白も現代風で短いのがよかった。
戦中から昭和の時代、私の時代よりやや古い街並みや家の造りが出てくるが、なぜか懐かしくしみじみと懐古主義に浸る。
エンターテインメントでありながらヒューマンストーリー性が強い。世界に日本の精神性を軽やかに説明してくれる映画であり続けるだろう。
鑑賞した後、ユーチューブで山崎貴監督、神木隆之介、浜辺美波の鼎談を視聴した。今から4ヵ月前、撮影裏話を語っており、山崎監督の思い、狙いがよくわかった。ゴジラは動物としてではなく、原爆のメタファーとして、「祟り神」としてデザインしたと語っていた。地を這う姿勢ではなく、背骨をより立たせた。
ラストシーンの前からずっと涙が出てきた。もう一度じっくり観たい映画だ。
日記をつけて30年以上になる。
記録をしないと日々の歩みが頭に整理して入らない。何でもない1日でも貴重だ、記録に残したい。性分だろう。
過去の日々の記述を読み返すと、意外に楽しい。後ろ向きの感情は書いていない。その時の小さな出来事を客観的に眺められる。
最近は読み返しても思い出さないことがある。
例えば映画のタイトルなど、感動したことが書かれていても思い出せない。旅先の感想も本当に自分が訪れたのか、と思うこともある。
年を重ねて多くの楽しい記憶もつかの間。すぐに次の記憶が入ってくる。これでいいのか、と日記を閉じて睡眠に入った。翌朝、頭の中に古風な一文が浮かんでいた。
“かりそめを楽しむ、あなうれし”
これで納得だ。