6月7日、観光2日目はハンガリー🇭🇺の首都ブダペストを後にしてバス走行約3時間。
スロバキア🇸🇰の首都ブラチスラバに入国。
旧市街地をを1時間でまわり、ランチを頂く。
昼食後は一路チェコ🇨🇿の首都プラハへ向かう。
4時間30分、11名を乗せてロングバスは走る、走る。
夜8時に宿泊ホテル、デュオプラハに到着した。



欧州北部は琥珀が多い



マンホールの兵士


これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
6月7日、観光2日目はハンガリー🇭🇺の首都ブダペストを後にしてバス走行約3時間。
スロバキア🇸🇰の首都ブラチスラバに入国。
旧市街地をを1時間でまわり、ランチを頂く。
昼食後は一路チェコ🇨🇿の首都プラハへ向かう。
4時間30分、11名を乗せてロングバスは走る、走る。
夜8時に宿泊ホテル、デュオプラハに到着した。







6月5日成田11時10分発のオーストリア航空機、飛行時間約14時間でウィーンに到着。そこからバスで3時間、ブダペストのホテルパークインに到着したのは夜10時30分。
9日間、シニアにとって挑戦になる長旅の第一関門はクリア。
翌6日朝から忙しくも充実した中欧観光がスタートした。

上記の教会の名前は、1479年に南の塔の増築を命じたマーチャーシュ一世の名前からこう呼ばれている。
歴代のハンガリー王の戴冠式に使われてきた。

上記大聖堂は初代国王イシュトバーン一世の名前がつけられた。
1771年、マリア・テレジアによりハンガリーにイシュトバーン一世の右手ミイラが戻され、聖遺物箱に納められた。

午後は国会議事堂をじっくり見学。フォアグラ試食とトカイワインの試飲タイムもあった。


ベンチの後ろに個人番号が記されてある葉巻き置き場がある。議論の続きも出来る、優雅な国会内だ。

夜9時から貸し切りのクルーズ船に乗船した。
参加者9名全員は自由な場所でライトアップされたネオ・ゴシック建造物の夜景に大満足の夜だった。夜風は強く寒かった。


6月13日は東欧の滞在最終日、ウイーンの街中にあるホテルを10時30分にチェックアウトして空港に向かう朝。
前日はウイーン歴史地区を6時間散策し、自由時間はオペラ座のカフェでコーヒーを味わい、夕食後はクラシックコンサートと忙しい最後の日程をこなした。連泊したホテルに帰ったのは23時30分。

急いで部屋でシャワーを浴びて就寝しなくては、と思ったが、部屋のカードキーが見つからない。ドアの前でしゃがみこみ、あわてて探していたら、同じグループのM夫妻が声をかけてくれた。私たちの部屋でバッグの中身を広げて探したら?とMさん。ご主人はフロント階にあるかもしれないとすぐに降りて行ってくれた。すぐに真っ白いカードはマジックのようにバッグから現れた。
お礼を言って無事入室、1時過ぎに消灯しようとしたが、デスクの調光スタンドの明かりがどうしても消えない。前の晩は問題なかったのに。コンセントもなくコードは壁に固定されていた。仕方なく、電気ポットやカップで光を遮断してベッドに入った。
しばらくするとシャワーの水の音が聞こえた。シャワー室に行ったがシャワーは普通に閉めてある。もう疲れ切っていたので気にしている余裕もなく、そのまま7時までぐっすり寝た。
翌朝、朝食の時間、たまたま一緒のテーブルになったM夫妻に昨晩の不思議現象を報告した。もう旅も終わりなので、ザルツブルクの夜中の亡霊の話もしたが、否定するでもなく、昨夜の鍵紛失も変でしたね、とわたしが忘れていたことを思い出させてくれた。

朝食後、時間があるので近所のスーパーマーケットまで散歩し、部屋に戻った。いよいよ旅の終わりの退室。カードキーを入り口近くのスロットにいれたとたん、部屋の中からバリトンの男性の愛想の良い声が響いた。
「アウフ ビィーダション!」
私はあわててテレビ?スピーカー?と部屋を見渡したが、シーンとしている空気だけだった。
確か、さようならの言葉だ、と遠い記憶を思い出し、グーグルで確認。するとドイツ語でややフォーマルな「さようなら、また会いましょう」。オーストリアではビタシェンがビタションと発音されることがある、とあった。
清々しい朝の時間、特別な体験で、旅の続きを予感するこのたびの終わりを迎えた。
6月5日、観光バスでブダペストからスタートした東欧旅行、6日目ザルツブルクのホテルでの体験。
その日は午前中ザルツブルク市内観光、午後からは郊外の湖水地方ザルツカンマーグートを散策して1万3千歩のウォーキング。

疲労でぐっすり寝ていた3時過ぎ、背後から呼びかける声で飛び起きた。すぐに「何事?」と振り返ると人の形の影がベッド横に立っている。室内のレイアウトはベッド近くに平行して扉付きの細長い戸棚と洋服掛けコーナーが設置されている。不自然な造作だと思っていたが、その扉の前に幽霊が陰気な様子で立っていた。
私は飛び起きて、すぐに明かりをつけた。あまり恐怖感はなく、さまよう亡霊の慰霊のため、十字架のネックレスをつけ、仏教用語で言ういわゆる成仏するよう祈った。
頭は覚醒しそのままベッドに横になっていたが、5時に起床し、スマホで朝の音楽をかけることにした。いつものと違う曲を、とアマゾンミュージックのステーションで何げなく選び、流れてきたのが藤井風の「帰ろう」。
私も初めて聴く曲、しかし亡霊に捧げるためにピッタリの歌詞で、2回リピートして聴き入った。
🎵あなたは夕日に溶けて
わたしは夜明けに消えて
〜〜
ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
〜〜
さわやかな風と帰ろう🎵
彼の耳に届いただろうか。
5月19日と20日、高速フェリーに乗って大島を訪ねた。
同行の山好き旅好きの姪も海好きの私も初めての大島。
1日目は団体バスを利用して島を半周した。
夕方から個人旅行になり、大島温泉ホテルに1泊。

旅から帰ったあと、大島の景色を映像で見たい、と思いネット検索。
1963年制作の「波浮の港」吉永小百合と浜田光夫主演の映画があった。早速視聴し、旅を思い出す。

バウムクーヘンと呼ばれる地層大切断面は長さ630メートルも続く1万8千年分の記憶を残している。

ホテル名物のフォンデュは軽く、柔らかで、揚げ物の中で最高のサクサク感。海老の殻もそのまま卓上で揚げる。
翌日はホテルを10時近く出発。三原山山頂を目指す。


山頂手前で休んでいると、ご夫婦で大島転勤して3年というS夫人に出会い、大島事情をたくさん伺うことができた。駐車場から登る私たちとは別のコースで山頂まで来られ、元町港近くに住まいがあると言う。車で港まで乗せて頂くことになった。



島全体がパワーアイランドのように思える。

三人の道中のハイキングとドライブ、約3時間、おかげでアクセスが不便な場所を何ヶ所も案内して頂き、充実した時間が過ぎた。天候と素敵な出会いに恵まれ、感謝いっぱいの旅となった。
Sさん、お世話になりました。
貴重なお話、有難うございました。🧍🏃♀️➡️

4月14日、うす曇りの空のもと、小田原からバスは出発。箱根を抜け、富士山が姿を現したり、隠れたりの道を走り、沼津市に近いベルナール・ビュフェ美術館に到着した。1973年に地元の岡野喜一郎によって開館されたそうだが、今回はじめて知り、訪れる機会を得た。

森の中のひっそりした散歩道の先に美術館が現れた。各展示室は広く、目を見張る巨大なキリストの十字架は一部屋に三作品、天井に向かってゆったりと展示されていた。この空間が良かった。

敷地には大きなカマキリ?と蝶の彫刻が空に向かって立っている。日本にニ作品しかないビュフェの彫刻。高く大きいものが好きだったそうだ。

富士山の近くにあり、ビュフェも日本をモチーフにした作品を残している。
館内の作品は撮影禁止。ネットで富士山を見つけた。


パリの建物、花瓶の花、自画像、アナベル夫人等々、すべて太く力強い黒い線が生きている。

若き頃から天才画家と認められたビュフェの2000点余のコレクションが静岡県で一同に保存されている。
3日目、ホテルを8時30分に出発、小倉城へ向かう。
細川ガラシャの夫、忠興が7年の歳月をかけて築城した唐風の天守閣を持つ城郭だ。
展示物には巌流島の決闘で有名な宮本武蔵の刀と佐々木小次郎の木刀(レプリカ)も展示されていた。関門海峡に面した立地で、武蔵の五輪書の展示方法もハイテク機器を使い、わかりやすく音声を使って伝えていた。


関ヶ原の戦いで着用したとされる甲冑の頭立のキジの羽が特徴的だ。「有字大馬印」の大きな旗は大将の居場所を示す。

午後は旅の最後の訪問地、中津城へ向かった。福沢諭吉旧居跡や彼が私財を使って自然を護った耶馬溪が北東方向近に位置する。1588年、秀吉の命により、黒田孝高が中津川河口に築城した。別名「扇城」と呼ばれる。

近年、イギリスの庭園家が英国風に庭を変えたそうだ。好みは十人十色だ。自然の花はきれいだが、城内の造花はしっくりこない。


黒田官兵衛(孝高、如水)は秀吉に仕えた優れた軍将、キリシタン大名、また茶道を通じて千利休や小堀遠州などの文化人との交流もあった多面性を持つ魅力的な武将であった。
官兵衛の左側には配偶者の像が同じ高さで並んでいる。台座には才徳兼備、黒田官兵衛正室、光姫と彫られている。
2日目、天気は回復し、海沿いにそびえる平戸城と唐津城と海の風景を1日楽しむ。
道中、ガイドによる松浦家の徳川家康対策の苦悩や、豊臣秀吉唐津城築城後、初代藩主寺沢志摩守広高が構築した町造りの話を学んだ。


毎年10月26日神官が真剣で舞う、平戸大々神楽の話も興味深かった。


平戸湾で採れる魚の種類は多様だ。
昼食は平戸城を見上げる食堂で名物の平戸海鮮丼を頂いた。
目の前でカモメも飛び交い、海の景色を満喫した。

1602年、秀吉の家臣寺沢氏が名護屋城の解体資材を用いて、7年の歳月をかけ完成させた唐津城。別名「舞鶴城」とも言われる。


上の写真左側の藩主寺沢氏が作った「虹の松原」は全長4.5キロの黒松100万本。慶長年間から植林を始め、防風、防潮、新田開発のために使われた。
4月1日、九州名城9つの登閣を目指して、羽田から熊本空港に飛んだ。1日目は小雨が降ったり止んだりの空模様。

2016年4月14日発生したM7.3の熊本地震から10年たつ。
復興工事は進み、旧細川刑部邸全体の復旧は2027年に完成予定だそうだ。
熊本城全体の石垣は7万9千平米と想像していたよりかなり広大だ。そのうち約30%が被災した。


午後は熊本港から島原港へ高速フェリーで30分の移動。
島原城へ向かう。
島原城内の施設は島原の歴史、1637年の島原の乱、1792年の寛政の大地変と二度の大動乱と大災害を潜り抜けた歴史を語っている。
近年になって1990年から約5年間の雲仙・普賢岳噴火に現れた「観音の岩」の写真も初めてよく見ることができた。



ホテルの部屋から月と長崎の夜景がはっきり見えた。
翌日はホテルを9時半に出発して1時間半、常滑市のINAXライブミュージアムに到着した。紀元前から近代まで世界のタイル博物館を見るのが目的だ。





名古屋駅に戻るとすでに5時前。しかし名古屋城桜まつりの最中で19時30分まで本丸御殿が開館している、という情報を得て、タクシーで向かった。





桜は三分〜五分咲き、天守閣は現在閉館中だったが、ぐるりと城の周りを歩き、様々の角度から城を仰ぎ見ることができた。月曜日の夜のせいか、訪問客は多くなく、旅の終わりまでゆっくり観光できた。