鴨居玲の絵は暗かったが...

5月18日、そごう美術館の「近代日本洋画の名作選展」を鑑賞する機会があった。文化センターの「芸術魂に触れるレクチャー」に参加した。
ひろしま美術館からのコレクションだ。

白い人(A) 1980年

最後のコーナーに鴨居玲の作品が数点展示されていた。
初めて知る画家と作品。
レクの終わりの方で、疲れも感じており、ほとんど時間をかけずに飛ばした。
引き付けられなかったが、しかし印象が強かった。

私の村の酔っ払い 1973年頃

異様に暗く、パネルの説明からはどうも神を信じない立場のようだ。
暗さと無神論者であること、性別が気になり、帰宅して生涯を調べてみた。たくさんの作品もネットで見て人物を想像した。

友達も多く、スペインにも留学していた。美形ゆえ、「多くのスペイン女性が驚くような流し目を送り、嬉しい」と手紙に書いている。ヨーロッパのキリスト教文化に触れても、神の存在を否定していたのだろうか。最後は自殺未遂で、知人の説によると、画家は未遂で終わりたかったのだが、飲酒と睡眠薬で57歳で他界した。

「月に叫ぶ」  1979年頃

彼の残した偉業は人生の知っておくべき暗闇を鮮烈に描いたことだと思う。

戻ってきたストール

5月14日、25度の夏日になった金曜日、友人と元町、山手方面へ散策に出た。
夏用の白いストールがあれば買おうと思っていると、中通りの雑貨屋さんで出会った。全体が薄いグレーで今季節のバラの刺繍が白色の糸で一面に刺繍されているストールだ。ひと目で気に入り、即購入した。

家に帰り、リュックを開けたところ、ストールがない。慌てて記憶を辿った。そうだ。歩き疲れて元町プラザ2階のカフェで休憩する前の、トイレの棚に置いたストールの映像が浮かんだ。遺失物を扱う電話をネットで探したが電話番号は見つからない。もう3時間以上は経っている。ほとんど諦めたが、何か方法はないかと懸命に考えた。残念すぎる。

そこで立ち寄ったカフェにすがる思いで電話した。感じの良い店の人がすぐにトイレの棚を見に行ってくれたが、やはりない。「いったん電話を切って下さい、折り返しますから」と丁寧な応対をしてくれた数分後、「ありました。隣の店の人が保管していました」と連絡がきた。「キセキ! 嬉しい。ホッとしました」と私。

考えてみると、トイレでは忙しかった。
まず、前に使用していた人がトイレの内側のフックに手提げを忘れていたので、私は慌ててドアを開き、声をかけた。その後、いつもはバッグに入れるスマホ、その日はリュックだったのでズボンの後ろポケットに入れていた。そのスマホが床に落ちて、危うく水没しそうなリスクがありヒヤッとしたのだ。トイレ個室から出て、リュックから買い物したストールを棚に置き、その上でタオルを取り出した。外で友人が待っているので急いでトイレから出た。とこんな具合だった。

この日の教訓は「公共トイレの中では集中を切らさない」そして「すぐに諦めずに方策を考えること」。

「ノマドランド」(2021年、アメリカ)

ノマドランドは2018年に出版された本「ノマド:漂流する高齢労働者たち」が原作のドラマ映画だ。

2008年のリーマンショック後、持ち家のローンを払いきれず、手放す人々が多くいた。主人公のファーンは夫を亡くし、住まいの住所の郵便番号も亡くなり、RV車で車上生活をしている。以前は臨時教員をしていたが、今は日雇いの移動労働者だ。少額の早期年金受給も選択にない。

登場人物はファーンと友達になったデビッドを除いて、すべて実際に流浪の車上生活をしている人たちだ。今からわずか3年前の2018年の映像だから、今も続く社会問題を提起している。経済格差から生まれた貧しい人たちが映る。

しかし、その裏に多く人たちの心の歴史がある。
主人公は「ホームレスではなくハウスレスよ」とプライドを持って、通りがかりの子供の言葉を訂正する。
確かにハウスはなくても、ファーンの心の中にホームがある。妹や男友達から住まいの提供の話があっても、好意として受け取るだけだ。

今は海外旅行に出られない時代にあるが、普段映像では映らないアメリカの素朴な雄大な自然、郊外のアマゾン社の工場内、セットではない場末のレストランなど日本では見られないシーンも珍しかった。

横浜イングリッシュガーデン

連休明けの5月7日金曜日。
薔薇真っ盛りの戸部の横浜イングリッシュガーデンを訪ねた。

Th-1
Th-2

見事に咲いた色とりどりの薔薇、薔薇、薔薇。

満開の薔薇が所狭しと高低差をつけて私たちを迎えてくれた。右も左も、モネの絵にあるように一枚の絵画に見える。

Th-3
Th-4

芳しいたくさんの異なる種類の香りを楽しむぜいたくだな時が流れた。

Th-5
Th-6

若い友達のグループ、カップル、年配の人達、ほとんどの来園者が感嘆の声をあげながら散策していた。
一人で訪れている人も写真を撮る手が止まらない。

いろは紅葉と薔薇

2009年の開園以来、工夫を重ね丁寧に育ててきた関係者の方々にお礼申し上げます。

法律は人のためにある

今日は5月3日憲法記念日だ。

NHKで午前中に長めの1時間20分の特集番組をしていた。
討論会で、コロナ禍で憲法が保証する「自由」についてだった。

番組を視聴しながら約20年前の裁判所での「調停」場面を思い出した。
母は専業主婦だったが、着物の訪問販売、「次々(つぎつぎ)販売」を受けて、10件近くの契約を結んでいた。支払い能力を超える額だった。

そのため弁護士を頼んで解決に取り組んでいた。私は営業の犠牲者になっていた母のため、また当然、営業のあり方に怒りを感じ、弁護士と共に、信販会社数社と戦っていた。

信販会社は、契約後に契約者に電話で契約の確認をする。
何と録音テープを提出してきたのだ。母らしき声で「はい」と答えている。父も「これはお母さんの声だよ」と言っている。これで契約に文句は言えないだろうか?

私は裁判所の調停で、裁判官に、母の声だとしても、信販会社の表面的な確認方法に問題がある、と訴えた。高齢の顧客に「契約しましたか?」と聞いて「はい」と答えるのが普通だろう。

「テープがあっても正当化する証拠にはならない」と感じた。専業主婦の支払い能力を考慮せずに、次々と契約させるのは法律に反しなくても、アウトだ。

結果、ほとんど時効になり残金を払うことはなかったほか、既払い金も小額ながら戻った。

当時は、ずっと「法律は人のためにある」と思って、戦っていた。

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