京都の日帰りツアー、天龍寺 (2)

貴船川沿いにある「べにや」でボリュームのある懐石料理を頂いた。
午後1時にバスは世界遺産の天龍寺へ向う。今回は夢窓国師の回遊式庭園、「曹源池」と法堂天井に描かれた加山又造の「雲龍図」の鑑賞となった。

紅葉の見頃はほぼ終わっていた。夢窓国師は苔寺として有名な西芳寺の作庭でも有名な禅僧で、政治家でもあった。「後醍醐天皇」と不仲だった「足利尊氏」。夢窓疎石は崩御された後醍醐天皇を鎮魂するため、尊氏に天龍寺の創建を勧めた。尊氏の弟、足利直義と協力していわゆる「天龍寺船」で中国(元)と交易を行う。そこから造営費用を得て、天龍寺と庭を完成させた。

夢窓疎石は「怨親平等」(おんしんびょうどう)という有名な言葉を残した。

人間界で敵・味方なく、平等に向き合うように、という教えだ。疎石の曹源池は、人間界を含む自然界の中で、すべての生き物が共に生きている絵を表現しているようだ。

天龍寺、曹源池(そうげんち)

 

天龍寺、鬼瓦2種

天龍寺から歩いて15分の場所が遊覧船やボートの乗り場だ。
20名位乗船できる舟で30分程度の桂川クルージング。途中、渡り鳥たち、崖に嵐山モンキーパークの猿たちの姿も見えた。南米の外来種ヌートリアも川沿いの穴から出現するらしい。今週初めの3連休では100艘くらいの舟で混雑していたそうだ。この日は平日で空いており、のんびり動き、浮かんでいた。

嵐峡を巡る渡し舟

京都日帰りツアー、貴船神社(1)

貴船神社、絵馬の発祥地

11月26日、新幹線のぞみを利用して日帰りツアーに参加した。京都での滞在時間は9時から夜8時までの11時間だ。

日中の気温19度、晴れたり曇ったりで風は心地良い。貴船神社は鞍馬近くの山に1300年前に創建され、水の神様を祀っている。これは日本書紀と同じくらいでかなり由緒ある古い神社。

絵馬の発祥地で本殿前に2頭の馬の像がある。和泉式部、平實重(さだしげ)、源義経もここで大神様に祈ったと聞くと、歴史上の人物も身近に感じる。

2頭の馬、古くは歴代天皇が日照りの時には黒馬、長雨の時には白馬または赤馬を捧げ祈祷された。のちに生馬の代わりに「板立馬」を奉納したことから、現在の絵馬の由来になっている—そうだったのか、とても興味深い説話だ。

しかしここは日照りには縁遠いような渓谷、川縁に並ぶ石垣の

貴船川、苔に覆われた石垣

豊富な苔が美しい。紅葉のピークの後の枯れ葉が地面を覆っていた。

桂(ご神木)
貴船渓谷を流れる川

 

 

 

 

 

 

 

北鎌倉、懐石料理と散策の半日ツアー

11月20日、23度と季節はずれの暖かい天候に恵まれ、天気予報の小雨にも会わなかった。北鎌倉の古民家レストランで「懐石料理の昼食と付近の寺を巡る小さな旅」を企画。

北鎌倉駅付近の紅葉風景

フランスから来日の友人と駅で待ち合わせた。徒歩10分で着くはずの幻董庵、住宅街で迷い、お店に電話。お女将さんが自転車で迎えに来てくれた。親切、家庭的で、近頃珍しく嬉しくなった。予約した時間は13時だ。道端に咲く花や木々の話をしながら、焦ることなく、門に辿り着いた。

幻董庵、入り口

建物は昭和初期の2階建の木造。庭の松や季節の紅葉が美しい。正面にそびえる崖も種々の緑で覆われている。懐石料理は2時間ほどかけて頂く。始めの食前酒の梅酒からコースが始まる。器と料理の盛り付けを楽しみながら、3時30分過ぎまでゆっくり会話を楽しんだ。コロナ対策で席は四人テーブルを対面で二人で使用した。

懐石料理
幻とう庵、門の上で遊ぶリス
Photo by Emi

帰りがけ、庭に2匹のリスが突然、かけっこしながら現れた。友人がカメラシャッターをリスに負けないくらい早技で撮ることに成功。若い人は機敏だ。4時近くになり、近隣のお寺を散策することにした。お店の人が東慶寺と浄智寺が近くて女性にお勧めと、地図をくれた。

浄智寺、境内

駆け込み寺で有名な東慶寺は、ギリギリ閉門時間に間に合って参拝できた。浄智寺は関係者葬儀をされていたが、境内に入った。巨大な岩の横道の先に薄暗い洞窟の布袋尊が見えた。境内を一周した。

静かな薄暗い空のもと、鳥の鳴き声が?と思ったら、リスが私たちのいる頭上の枝で、しきりに鳴いているのが見えた。喋っているように聞こえる。その声はずっと続いていた。

東京国立博物館のゆりの木

11月12日、東京国立博物館の特別展、「桃山ー天下人の100年」を訪ねた。
建物の前にそびえる一本の大木は秋の色。このゆりの木の雄姿が一番印象に残った。平成18年の記録では高さは32メートル、幹回りは48メートルとあった。

葉っぱの形は奴凧のような半纏をしていることから、別名、半纏の木。北米原産の落葉高木だ。1881年?、30粒の種から育ち、現在は140歳位。モクレン科で春はチューリップのような花をつけることからチューリップツリーとも呼ばれる。

大きく広がる枝と幹を支えるのは、もちろん根っ子だ。木の巾と同じくらい広い範囲で根が伸びているのが見える。人々が踏まないように低い柵で囲ってある。根っ子の姿も力強い。

北鎌倉古民家ミュージアム、絣展

11月8日、日曜日の外出は久しぶりだ。
暖かな、やや曇り空の午後、絣展と近くの散策を思いつき、家を出た。

円覚寺の座禅会が催されたのか、寺の入り口は人がやや多かった。ミュージアムの中は二人。日曜日の午後とは思えない位、静かだ。その中で明治、昭和の古典的絣作品が待っていた。目を引いたのは久留米絣団地で制作されたお祝いのために作られたタペストリー。日露戦争に勝ったときの記念に創られた。日露の文字、大勝利の文字、軍旗をあしらったデザイン。他に病院が開院したときの記念品。万歳とある。古典久留米絣は幾何学模様、クロスが特徴で、はっきりした輪郭が印象的。

久留米絣、日露戦争、大勝利
病院の開院、万歳

伊予絣の自動車とケマリを並べたデザインも可愛かった。昭和初期の子供用の着物。

伊予絣、自動車と蹴鞠

今年の1月に訪ねた奄美大島の龍郷柄着物も幾何学模様が素晴らしい。

奄美大島紬、龍郷柄

お土産に久留米絣のマスクを買った。

久留米絣のマスク

北鎌倉、円覚寺を訪ねた (2)

円覚寺は1282年、私寺として、北条時宗が開山した。
元寇の戦没者を追悼するため、中国から高僧、無学祖元を招いた。その2年後に亡くなった時宗の墓が「佛日庵」だ。歩き疲れて休みたいと思っていたところ、佛日庵の弁天茶屋のポスターが目に入った。迷わず、お抹茶券を購入し、赤い毛氈の上でお抹茶と鳩落雁を頂いた。

残るは国宝「洪鐘(おおがね)」だ。坂道を下ったところに上り階段があった。先が見えないくらいたくさんの階段が見える。最後の頑張りを出そうと、いつもなら諦めるところだがこの日はエネルギーがあり、階段を上った。やっと頂上に着くと小さな弁天堂。向かいに洪鐘があった。大晦日に使用されるもので一般人は触れない。鐘の横のベンチに若い女性が座ってた。他に誰もいない。共にマスクを付けていたが、目が合い、ハアハア言いながら、「こんにちは」と声をかけた。

聞くと「フランスから来て、日本で働いている」と言う。その日の朝、彼女が近くの公園で見かけた迷子の白いウサギの話になり、写真を見せてくれた。動物が好きで「気持ちがわかる」と言う。その後、話が弾んだ。30分かけて小町通りまで歩き、夕食も一緒に頂くことになった。

円覚寺の花

その間、木に駆け上るリス、庭先のカラス、トンビ、小町通りにある人気の豆柴カフェに住んでいる黒色シバと通常の茶色のシバ犬。散歩途中の3匹にも出会った。鎌倉ならではの風景に加え、コロナ禍で悩むフランスの厳しい事情も聴くことができた。思いがけない出会いの小さな旅になった。

北鎌倉、円覚寺を訪ねた (1)

10月29日、今月いちばんの秋晴れ。
北鎌倉の古民家ミュージアムの「絣展」を訪ねるつもりで家を出た。北鎌倉駅を13時近くに下車。すぐに円覚寺の階段が現れた。その先が古民家なのだが、この秋晴れで建物の中に入るのはもったいない。急な階段を見上げて迷ったが、じっくり円覚寺の境内を散策することにした。

結局、境内の建物は数多く、3時間近くも滞在し、絣展は後日訪ねることになった。横浜に住んでいても、参拝は今回初めてだ。興味深く観てまわった。臨済宗の大本山で私の学生時代から週末は座禅の会が催されていた。

夏目漱石が神経衰弱で苦しんでいた時期、この寺で参禅した。
「佛性は白き桔梗にこそあらめ」
漱石の句碑が残されている。この句で当時の漱石の心情が伝わって来た。漱石は正岡子規と親しく、小説以外に俳句や漢詩、書、水彩画も描いた文化人。49歳で世を去った。オーストラリアでルームメイトだったパティが漱石の勉強をしていたことを思い出した。

方丈、金沢翔子書の屏風

方丈の建物には金沢翔子書家の大きな作品がどっしりと置かれていた。建物の縁側には椅子が置いてあり、日本庭園の池が鑑賞できる。方丈の中も訪れる人が少なく贅沢な空間だった。

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