法事所感

仏教では多くの儀式があり、法事は身近な集まりです

法事は家族、親戚が集まり、亡くなった人を弔います。亡くなって年月が浅い場合と年数がある程度たった場合と意味合いが異なります。

葬儀は四十九日法要、一回忌、三回忌、七回忌、十三回忌などがあります。初めのうちは故人の影が色濃く、だんだん年月が経つにつれて影が薄くなるのが通常です。最愛の人を亡くした場合、影が留まり、年月の経過も止まり、いつも亡くなったばかり、まだ生きているのではないかと感じることもあるでしょう。一般的には、去る者日々に疎しで、これは生きている人に対しても、故人に対しても当てはまります。

生きたまま立ち去った人に対しては、所在もわからず、気持ちもわからないものです。一方、明確にあの世に旅立たれた方は、所在は天国、亡くなった時の気持ちはある程度わかります。それでも現実の中に生きて進んでいくのが人間。影がだんだん薄れていくのは必要・必然のことです。しかし、それでしょうがないと言うものではありません。

故人を偲ぶ為に、個人的に時々思い出すことを自分の行事にされている方もいらっしゃるでしょう。法要は忘れないように、言い換えれば、思い出すように会を持ちます。最近は法事も省略する家庭もあるでしょうし、仏教徒でなければ、お墓参りという形でのみ死者を思い出す家庭もあるでしょう。形は様々でも死者を思い起こす機会を持つことは、生きている人にとって重要であり、エネルギーを与えられます。

それは死者からのエネルギーです。確実にこの世に生きていた人を思い出すことによって得られます。もし、故人が若くしてこの世を去っていれば、自分がその人の分まで人生を探ろう、頑張ろうという気持ちを持ってください。悲しみが和らいだとき故人とつながるためにも、弔うためにもそうしてください。

故人が高齢で十分生きた場合は、その方は生きているうちに迷いながらも最良の人生を歩んだと受け取り、その着地点にゴールしたことの喜びを感じてください。そこまで突き進んだエネルギーを思い、称賛し、想いを馳せてください。

法事は過去を思い出すと同時に、現在、未来への歩みを深めるためのすばらしい機会となります。

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