計算と誤算

多くの人は心の中で計算して予想を立てる。近いことから遠い将来のことまで、なんとなく予想するが、誤算が起こる場合は、近い事柄が多い。

誤算という言葉から、人はマイナスのイメージを持つ。結果が喜ばしいことなら誤算と言わず、ラッキーと嬉しくなる。誤算は人生につきものである。計算通りにいかないのが人生である。誤差はどのくらいだろうか。平均的誤算は2、3割だろう。時には10割誤算もあり、周りの人を驚かせる。

人は数字に支配されて生活している。計算しない人生は考えられない。計算して計画を立てる。計算上手であることが、生活の達人とも言える。時間の計算とお金の計算、年齢の計算が主なものだ。

これらの計算には個性が出てくる。計算上手な人が出す答えが、無限大になった、というのは可能だろうか。そんな計算方法はないと反論が来そうだ。

無限大というのは数字ではない。計算しても数字の答えが出ない数式があるのだろうか。個人の経済力や命の長さは限られているので、答えは有限である。しかし、自分以外の他の人の経済力や命につなげていけば、生きている人がいる限り、それは無限大の存在になるだろう。計算する人が存続する限り、その計算式は存在する。

個人の数式は練習問題である。百パーセントの正解は出てこない。それでも人は計算して人生を送っている。正確な答えの出ない練習問題に取り組んでいる。一生練習問題に取り組むなら、誤算を嬉しい誤算に変える方法も知っておくとよい。

嬉しい誤算は答えが実際より多い、おまけが付いているのが嬉しい誤算だ。予定外の収入、おまけの人生。責任がないことは楽しいことだ。

例えば単純な考え方を取り入れると、2+2=4の代わりに1+1=2と計算しておく。すると実際は2+2だったので結果は4が得られる。2の誤差を生じるのが誤算である。実際はおまけの2がついてくる。計算に入れなかった1+1は自分のところ以外の何処かに預けておくことで、嬉しい誤算が生じてくるのだ。

どこに預けるか?安全な場所は個人で考えなければならない。そうでないと、なくなってしまうからだ。

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