ウルパン・アキバ滞在記(1996年)①

1995年10月31日、自分の中で声が聞こえてきた。

「イスラエルにいざ行かん。今度はできるだけ長く。
そこから世界を眺めよう。」

今までとは違う旅のスタートだった。

私はそれまでに2回イスラエルの土地を訪れていた。最初は1985年12月、画伯M氏をリーダーとする9日間のグループツアーだった。二度目は1991年の9月、東京で親交のあった友人家族を訪ね、エルサレムに三週間のホームステイをする機会があった。同じ国を三度訪問するとなると観光だけでなく、文化やそこに住む人々をより深く知りたい欲求が出てくる。

私は翌年の春に出発することを決めた。どんな場所で、どう過ごすかは直前までイメージが湧かなかった。年が明けて3月、ある旅行会社のパンフレットを手にした。それはヘブライ語学校(ウルパン・アキバ)を紹介していた。生徒は世界各地から集まるあらゆる世代の人々、あらゆる職業の人々、とあった。人種や宗教は問わない。ウルパンに隣接する宿泊施設に泊まり、三食を共にする環境でヘブライ語を学ぼうという主旨だ。部屋もほとんど共用タイプだ。

今回、多くの人々と出会い、対話したい私の目的にぴったりの生活の場ではないか。ヘブライ語は難しそうだが、言葉からその国の文化もわかる。聖書の原文にも触れられる。記憶力が減退しつつある脳への刺激にもなる。「これだ」というヒラメキと同時に行くべき理由が次々と浮かんできた。

すぐ手続きにかかった。とりあえず泊まる場所と食事は確保できる。私は1学期22日のコースを2学期間、滞在することにした。

(集団生活は遠い昔の経験だ。
今さら見知らぬ異国の人たちと部屋を共有できるだろうか?
マイペースの生活を大切にしてきた私が。)

一抹の不安はあったが、全て経験は無駄にはならないだろうと、4人部屋を選んだ。必要書類を二週間で揃え、ファックスで送った。翌日には入学日時の確認の返事が送られてきたので、迅速な事務処理に感心した。これでフライトを予約することができた。4月の入学に間に合い、出発を4月17日と決めた。

ウルパンへ出発する前、テルアビブの友人宅に最初の4日間泊めてもらうことになった。ソウルから直行で13時間で到着の予定にアクシデントが起きた。
(続く)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »