“皇室のみやび” :近代皇室を彩る技と美

1月20日、冷雨が降る中、久しぶりに東京駅から一つ目の竹橋に来た。姉と待ち合わせて、皇居三の丸尚蔵館へ向かう。

 

入館して正面に展示されているのが奈良一刀彫の像。ユーモラスな表情と美しい着物の彩色が始めに目を引いた。

“熊坂長範”, 平安時代の盗賊
  森川杜園 1893

 

七宝唐花文花盛器
 濤川惣助、1889年頃

他ではなかなか見ない一対の七宝焼きの大壺。

 

掌でいつくしむメノウの金魚
  明治時代

この正月に玉造温泉でたくさんのメノウのアクセサリーを触った。掌でいつくしむ感覚はよくわかる。メノウは手遊びでいつまでも触っていたい。

 

サウジアラビア国王からのネックレス、1971年頃

香淳皇后(1903〜2000)にサウジ国王から贈られたネックレスのモチーフは可愛らしい花で今風だ。

 

“日出処日本” 横山大観   1940、紙本着色料

壁一面、大迫力の太陽と富士山、皇居内でのみ鑑賞できる大観の2千点にのぼる富士山の絵の中で秀逸大作。

正面に設置されていたベンチに座って作品を眺めながら、日本の近代史現代史を思う。

2024年お正月:城下町松江市を巡る②

 

松江城、木造の鯱は火事から建物を守る魔除け、約2メートル

下船後、松江城まで歩き、天守閣に登った。頑張った甲斐があった。快晴の中、遠く大山まで見えた。

松江城天守閣から臨む大山

松江城山公園内に、松江神社があった。ここで気になっていた初詣を行うことができた。無病息災を祈念し、御朱印も入手した。

松江城一ノ門、豪華な門松飾り
松江神社の御朱印

「日本の道百選」に入る塩見縄手近くにある小泉八雲記念館は2016年に生まれ変わった。最新の展示方法で日本での八雲の業績、生涯がわかる二階建ての建物だ。家に帰ってからさらに勉強したくなった。

記念館を出ると島根物産館の2階に出雲そば屋があった。遅い昼食は冷たい割子そばと暖かい宍道湖のシジミ味噌汁。美味しいそばに出会った。

八雲が愛した日本庭園と侍屋敷

食後、満足して歩いていると、小泉八雲旧居が現れた。家族とともに数ヶ月借りて生活した庭付きの武家屋敷だ。

中に入ると、八雲が実際に愛用していた特注の机と椅子が何の制限もなく置いてあった。オープンマインドな八雲の思想を引き継ぐ八雲会の精神を感じた。
しっかりと椅子に着席し、1904年この世を去ったハーンの日常を感じ取ってみた。

2024年お正月:城下町松江市を巡る ①

今年の年始は元旦夕方の自然災害の能登地震と、2日夕方の羽田空港のJAL旅客機と海上保安機衝突事故と、連日予期せぬ出来事から始まった。6日の今も余震は続き、本格的な飛行機事故調査はこれからだ。
亡くなられた方々に慎んで心から黙祷をお捧げ致します。

新年は家を離れて山陰地方の温泉地で過ごそう、去年の夏頃から個人旅行を計画した。いつもと違うお正月をノープランでのんびり過ごそう。学生時代の友人とふたり旅だ。

長生閣ロビーのめのう柄ピアノ

元日、足立美術館から松江の玉造温泉長生閣に移動した。
玉湯町は平安時代から青めのうの産地で、ロビーのピアノは3色のめのう模様。温泉場の床に三色のめのうを敷き詰めためのう風呂だった。

卑弥呼がつけていた?装身具をかける瑪瑙像 (森脇物産店内)

翌日は快晴の朝を迎えた。10時にタクシーを予約して、松江駅近くの堀川めぐりの乗船場まで送ってもらった。

遊覧船は45分かけて松江城下町を巡る。めづらしいのは暖かいコタツの完備、そして低い橋をくぐる時に屋根が下方に座る乗客に向かってかなり降りるのだ。手作りのような仕掛けだった。

堀川遊覧船からの景色
船上から見上げる国宝松江城

年の瀬のコロナ

今日はクリスマス。
先週始めに微熱が出た。ニュージーランド旅行中、コロナにかかった。旅の終わりで日本の入国の際、体温センサーにも引っかからなかったが、翌日発熱外来でコロナ判定をしてもらう。陽性反応が出た。意外というか、やはりと言うか、複雑な心境だ。

今年5月からコロナが5類に移行したおかげで、療養について規則はなくなった。治療については、ラゲプリオという特効薬を紹介された。高齢者や持病のある患者向けで、毎日8個のカプセルを5日間服用。昨日で飲み切った。

以前、多種多様の症状を見聞きした。喉の痛み、話しにくさ、痰の絡み、身の置き所がないような不快感、眠気、頭の重さ、幻想など少しづつ移り変わり、効果の速さを実感した。普段、クスリは飲まないが病気の時は本当にありがたいと思う。コロナ禍の初期の頃は患者は大変だっただろうと今更ながら思う。

1週間、ずいぶん睡眠をとった。寝ている間にカラダがウイルスと戦い、普通の風邪より時間はかかっているが徐々に回復してきた。

夕日があたるマウントクック、
21:10、12/17/2023

年末のコロナの通過後、来年2024年、改めて神様中心にした一日一日を大切に生きよう、と心に思う。

Riverdale Park,
NZ 12/2023

「戦う」

12月を迎えた。
今年一年を漢字一文字で表すと、「訪」が浮かぶ。
気になっていた多くの土地を訪ねることができた。
のどかに過ぎた。

が、年末に近づくにつれ「戦う」

「争い」は後味わるく避けているが、私は時々「戦う」
戦わなければ、落ち着かない。
筋を通したい。

戦って相手から理解を得られると、嬉しい。
理解を得られなくても、戦ったあとは後味が良い。

安心して先に進むことができる。

ドローンショー、赤レンガ倉庫

イタリアの旅 🇮🇹 ⑧ ローマ(バチカン美術館)

旅の最後は古代ローマ時代以降のキリスト教芸術、美術品に囲まれたひと時を過ごした。時代を遡った贅沢な時間だった。

円形の間 赤斑岩の巨大水盤
廊下天上の黄金装飾、地図の間
コンスタンチヌス帝、妃と娘の石棺、ポルフィード製

 

ローマ時代、富豪の居間に飾られたタイル絵、食生活を示す

 

バチカン市の国章とバル・ベルニーニ家の家紋の蜜蜂のコラボ、蜂の装飾は大聖堂に所々に見られる

ピザのランチの後は、コロッセオ方面の石畳を散策した。

コロッセオ、元は5階の建物

 

凱旋門とコロッセオ
コロッセオと凱旋門

夕方の自由時間は3時間。
まずは集合場所のスペイン広場近くのカフェで静かに一休み。元気が回復したところでブティックやスーパーマーケットで買い物。最後は広場で買った焼き栗やみかんをグループでベンチに座って味わいつつ、夜はふけていった。
お疲れ様〜でした。

この日も1万6千歩のローマ道を歩いた。

イタリアの旅 🇮🇹 ⑦ ローマ(サンピエトロ大聖堂)

最終日10月30日の月曜日、気合いを入れて歩く予定が待っている。出発は7時30分。ホテルに帰る時間は20時。

午前中はサンピエトロ大聖堂とバチカン美術館を訪ねる。昼食後はコロッセオや凱旋門、古代遺跡周辺を歩く。
自由時間は夕方4時から7時までだが、この間に買い物や食事をするという過密スケジュールだ。

大勢の人が並んでいる中、ガイド付きの団体予約の私たちは荷物チェックも入場もスムーズで助かった。効率が良すぎるくらいに観光が進んだ。

サンピエトロ大聖堂とバチカン宮殿、右手にバチカン美術館
大聖堂の奥に聖ペテロの棺が祀られている その奥の中央、教皇だけが座る「聖ペテロの司教座」
茶色の天蓋はブロンズ製「バルダッキーノ」 ベルニーニ作
聖ペテロの像、右足は参拝者の願いの跡、ピカピカになっている

サンピエトロ大聖堂はカトリック総本山、キリストの弟子ペテロが初代ローマ教皇になった。イエスから天国の鍵を受け取ったとみなしている。聖書の中でイエスはシモン・ペテロに次のように語った。

『私はあなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう』(マタイによる福音書16:19)

ピエタ像、ミケランジェロ
聖ベロニカ像
 キリストの聖骸布を掲げる

大聖堂の出口付近の床をふと見ると大きな鍵が置いてあった。大事なものを見つけた気がした。

出口の床に彫られた大きな鍵

天国への鍵を得るには何が必要だろうか。
地上に天国を実現するには、やはり争いを避け許し合うことだろうか、、と自分に語りかけながら大聖堂を後にした。

イタリアの旅 🇮🇹 ⑥ オルビエート

日曜日のランチを農家風レストランで頂いたのち、私たち一行はバスで北上、ケーブルカーで4キロほど山を上り、歴史ある人口2万人のオルビエートに到着した。

ケーブルカーでオルビエートへ 丘はブドウやオリーブの木々が植えられている
オルビエート大聖堂

夕方4時頃に大聖堂の前に立つ。
イタリアの3大ゴシック建築のひとつで 1264年頃建てられた。きっかけは「ボルセーナの奇跡」。

1263年、サンタ・クリスティーナ教会でボヘミヤの司教がミサの聖体拝領に使ったパンからキリストの血が流れ、聖体布に付着した。

当時この地を訪れていたローマ法王ウルバーノ4世がこれを認定し、聖体布を祀るためにこの豪奢な教会建設に至ったそうだ。そして聖体祭、花祭りの始まりとなった。

オルビエート大聖堂祭壇

 

大聖堂天井の装飾

 

大聖堂の巨大パイプオルガン

 

ピエタ、1579年
 イッポリート・スカルツァ

教会前の広場で若い男性がよく躾けられたブルテリアを散歩させていた。リードを外していてもおとなしい。

大聖堂広場で散歩中のブルテリア

夕方5時、オルビエートをあとにして、バスは136キロ南に進んだ。
19時頃、今回観光の最終地のローマのホテルに到着した。

イタリアの旅 🇮🇹 ⑤ 天空の街 チビタ・ディ・バニョレッジョ

毎年10月の最終日曜日にイタリアのサマータイムが終わる。日曜日の朝、時計を1時間遅らせた。つまり1時間得したのだが、この日の出発時間は7時45分と相変わらず早い。

午前中は郊外にある小さな中世の天空の街、チビタ・ディ・バニョレッジョをめざした。個人で行くには交通が不便な場所らしい。フィレンツェから南下して178キロ、バスで2時間半、天空の街が目の前上空に現れた。

天空の街、チビタ・ディ・バニョレッジョ

バスから道はきれいに整備さているが300の階段は登り坂だ。頑張りどころ、万里の長城のように続いている。

中世の街を入島すると、こぢんまりと真っ直ぐに道が続き、まもなく行きどまる。
土地の崩れが進み、住民は観光の仕事に携わる数名だけだそうだ。

中世の街並み
村の教会
年代物の古びた扉の奥は?
貴重な現在の天空の街の全景
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