9月10日の朝、目覚めると
ひとつのフレーズが頭の中に浮かんでいた
《生かされている》
いつか誰かが、語っていた
《生きているのは、生かされているから》
なぜ、生きる?
それは、生かされているから
私の知り得ない意志が働いている

これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
9月10日の朝、目覚めると
ひとつのフレーズが頭の中に浮かんでいた
《生かされている》
いつか誰かが、語っていた
《生きているのは、生かされているから》
なぜ、生きる?
それは、生かされているから
私の知り得ない意志が働いている
今日で熱く長かった8月の最終日。
涼を期待するが、9月も猛暑が続くらしい。
月がかわるのは嬉しい。
9月は準備の時期だったり、
世間の夏休みやお盆休みも終わり、
新しいことに出会うことが多い。
暦のおかげで、9月の元気をもらう。
お正月はまったりと速度をゆるめる新年。
9月は徐々に速度をあげる新年度。
今年の夏は特別に暑い、熱い。
怪談を書いてみよう。
遠い昔の実話です。
その頃私は忙しい会社員生活を送っていた。
夕食も終えて、ゆっくりとソファにくつろぎ、ぼんやり考えていた。トピックスは流れる雲の如く浮かんでは消えて行く。
その中で「私は何者だろう?」とふんわり考えていた。
すると電話が鳴った。もう夜11時を過ぎている。こんなに遅く電話がかかってくことは稀だ。イタズラ電話か間違い電話だろう、と思いつつも、受話器を取った。
電話の主は、名前を名乗るでもなく、相手を確認するでもなく、いきなりこう話しかけた。
「私が誰だかわかる?」
そして私の返事を待たずに、すぐに電話は切れた。少し微笑みを含み、いたずらっぽい声だった。
静寂の中、取り残された私は声の主は誰だろう、としばし考えた。男性か女性かわからない、こもった声だ。聞いたことがない声。そして気がついた。
あれは私の声だ。
新宿の損保美術館の山下清展を訪ねた。
8月9日、水曜日の午後、アクセスが複雑な場所にもかかわらず予想外の大勢の人々。190点ほどの山下清の生涯をたどる生誕100年目の回顧展を十分に堪能し、今まで見たことがなかった油彩画や陶磁器にも触れることができた。
1922年、関東大震災の翌年に東京に生まれ、1971年ドルショックがあった年に49歳の画家の生涯を閉じた。
私の人生と20年ほど重なり、当時の生活や風景、思想、旅行事情など思い出した。
画家活動が始まり、勧められて油彩画に挑戦、花々を多く描いた。
チューリップは私の好きな花でファイルを購入した。
日本中を旅した山下清は、海外旅行が難しい時代、今度は外国の渡航を希望する。2回40日の欧州旅行に出て、進化した作品を残した。
人並みはずれた記憶力と集中力で、帰国後1年経っても景色を再現できる能力、拡大鏡のような眼、多くの中間色を組み合わせる色彩感覚、、、天才以上の人物、唯一無二だ。
7月31日月曜日 19時30分から約30分間、二万発の花火が踊り、夢の時間が過ぎた。約二ヶ月前に協賛席のチケットを入手し、待ちどおしい日々を過ごした。
雨天の場合、順延はなく中止となるが、今まで幸運にもそのような事態はなかった。今日の未明前3時ごろ、珍しいゲリラ豪雨と連続の雷が轟いた。昨夜の花火大会の天候に感謝した。
旅の最終日は、石畳を歩く古寺巡りでゆっくり散策することにした。多くの寺院の中、観光案内所で勧められた浄土寺を目指した。
浄土寺は尾道駅からいちばん奥、瑠璃山を背景に尾道水道を眺める場所にある。616年の飛鳥時代、聖徳太子が開基したと伝えられている。
参詣者は二人だけ、建物の中は入場料300円で方丈を見学できる。入り口にはNHKのブラタモリがロケに訪れたことを紹介している。古い台所や襖絵の座敷、庭園と廻った。
当寺は江戸時代、京都にある皇室の菩提所、泉涌寺の末寺となり、大本山として1400年の法燈を継承している名刹だ。
私と友人は、京都の泉涌寺は2年前の秋に訪れておりすぐに思い出した。
同じ泉涌派に属する鎌倉の覚園寺は住職も当然ご存知だ。
友人が「家の菩提寺は泉涌寺派の鎌倉覚園寺です」とご住職に伝えると「泉涌寺派は全国でも少ない、これがご縁と言うものでしょう」とコメントしていた。
7月11日、朝9時15分、ホテル前の尾道港から、生口島の瀬戸田(沢港)に向けてシトラス号は出航した。待ち人がいない島は、汽笛を鳴らして通過する。向島、因島を経て約40分。レモンの島、生口島(いくちじま)に到着した。
沢港前のレンタサイクル店で2台の3段ギアの黄色い自転車を借りた。ルートは地面に塗られたブルーラインに沿って走るので迷わない。
ビューポイントのサンセットビーチまで海風の中進んだ。
ここで折り返し、風の少ない港方向に進み、港近くの平山郁夫美術館を訪ねることにした。陽射しが強いので、こまめに休憩をとった。
平山郁夫画伯の出身地である瀬戸田。若い頃の作品に目を惹かれた。昭和時代の地元の様子を描いた油彩画も珍しい。
建物や庭園も和風。手入れと愛情が行き届いている清々しいスペースだった。改めて平山郁夫画伯と奥様の歩んで来られた道を考えた。旅から戻り、芸大時代の平山美知子作品集をオンラインで購入した。
帰りは4時30分の尾道駅行きの定期バスを利用した。しまなみ海道を60分ほどかけて各駅停車で走り抜けた。
夕食は気になっていた牡蠣のレストラン。ホテルと同じ建物の港を臨む1階にある尾道ワーフ。店内が賑やかに混んでいたので美味に違いない。広島最後の夕食タイムも旅情を満喫した。
宮島の雨は午前中も本降り。10時前にホテルをチェックアウトして、次の宿泊地の尾道へ向かった。
山陽本線で宮島口から尾道まで2時間6分、途中糸崎で乗り換えて、12時26分に尾道駅に無事到着した。
ホテルは駅から徒歩5分の港に面している便利な位置にある。駅前にはパン屋さんや百貨店があった。荷物を預けて、午後はロープウェイに乗って千光寺公園を訪ねることにした。天気は回復している。
券売り場ではじめにロープウェイで山頂の公園まで上り、帰りは下山しながらお寺をお詣りするコースを勧められた。
千光寺は大宝山中腹の標高140メートルに位置している。
平安時代初期806年創建の真言宗のお寺で、本堂が舞台造りになっている。
境内に巨岩「玉の石」があった。由来は昔、岩の上に光る玉があり、その光が夜遠くの海上を照らしていたと言う。
夕方5時過ぎにホテルに戻った。海風が心地よく、波止場の散歩道を歩くと、犬の散歩中の地元の人々とすれ違う。
翌日のサイクリングに備えて、帽子を探しに駅近くの百貨店に行った。ホテルのロケーションは最高だ。
7月9日、新幹線で3泊の広島の旅に出た。
1日目は大雨注意報の出ている西日本に向かうことになった。新幹線は50分遅れ、広島駅から宮島口までのJR在来線も不通になった。残る交通手段は路面電車、所要時間は1時間15分だった。
前回は日帰りだったが、今回は宮島に1泊した。
雨の中、送迎バスでホテルに到着した。
夜8時30分からのライトアップの厳島神社を訪ねるツアーが始まると雨は止み、大鳥居の下まで歩くことができた。ツアー終わりの頃また雨が降り出した。
ホテルの早朝ガイドツアーにも参加した。
7時から1時間ほど近くの山道を散策した。傘をさしながらでも美しい緑を楽しむことができた。花崗岩が粘着質の真砂になっている。白っぽい地面のおかげで雨天でも明るい気がする。
晴れていれば目的地だった弥山(みせん)伽藍。
そこへ登るロープウェイの入り口。秋は紅葉が美しいベストシーズンらしい。紅葉は葉っぱの小振りなイロハモミジという種類だ。
ツアーの最後、ホテル隣りの車庫に可愛い鹿が待っていた。
島の人口1500人に対し、鹿は500頭ほどもいるそうだ。
横浜イングリッシュガーデンに恒例、6月の花々鑑賞のため訪れた。
梅雨の合間の曇り空の下で、アジサイの他にも色彩が映える花々があった。
アーケードはいつも季節にあった飾り付けがほどこされている。今回は、たくさんのかざぐるまと風鈴。風も程よく通り抜け、チリンチリンと一斉に鳴ったり、止んだり。自然のリズムを楽しんだ。
ゴージャスな百合の群生。黄金色のカサブランカと聞いて納得した。香りも強い。
曇りの日にひときわ映えていたあざやかな百日草。
花火のように咲いている多種のアジサイ。
毎年新しい品種に出会えるのも楽しみだ。