
8300万年前の海鳥


ヒマラヤ山脈




Green Jay
大自然に羽ばたく鳥たち。
神様の造形物、落ち着いたトーン、
あでやかな色彩が会場を埋め尽し、
圧倒された。
これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
大自然に羽ばたく鳥たち。
神様の造形物、落ち着いたトーン、
あでやかな色彩が会場を埋め尽し、
圧倒された。
2月6日、「インストレーション」というジャンルの現代アート展を訪ねた。
鉄の素材を駆使する彫刻家の青木野枝さんとベネチアと京都のニ拠点で活動を続けるガラス作家の三嶋りつ惠さんの二人展覧会だ。
光の場 Hall of light, 2019
電子機器の設置で良く使われる「インストール」の名詞形が「インストレーション」。
旧朝香邸内にインストール(設置)された重量感のある大型作品を同じ空間の中で体験した。
姪の初めてのフレスコ画作品がメールで送られて来た。
翌日の新聞朝刊の横浜版にフレスコ展の記事を見つけ、早速ギャラリーを訪ねた。
この猫はしっぽが立体になっている!
フレスコ絵画は砂と消石灰の結晶化を利用してレリーフにもなる。イタリアから始まった世界最古の技法らしい。
作品の大胆なデザインも目を惹いた。作品名はドイツ語のおはよう〰︎のことだろうか。
会場中央に飾られた4作品、精密さはもちろん迫力ある構図と復古調で懐かしさを感じる色使いにしばし足を止めた。
今日は展覧会の初日で当作品作家の瑞慶覧かおりさんが絵画の前のベンチにおられ、フレスコ画の話、過去の作品集も見せて頂く。
知識乏しい私、丁寧な詳しい説明を拝聴でき、フレスコ画がいっきに身近な存在になった。日本では気候の関係もあり、普及活動をしているそうだ。
高輪に眠る英一蝶のお墓をたずねた。
1652年に京都で生まれ、1724年2月7日に73歳で世を去った。
生誕300年だ。
お寺は日蓮宗で、戒名は「英受院一蝶日意居士」
本堂横の左側の墓石には「北窓翁」の画号が使われていた。
風流人にして、変幻自在の人生を送り、三宅島で12年の島流し生活中にあっても家庭を築き、人生を謳歌し、人気絵師であった。
一蝶の江戸の風俗画をみると、楽しそうな庶民の生活風景、動物、植物も楽しげだ。
今年はまだ訪れたことがない三宅島にも行って、一蝶さんの名残りを探す散歩も予定表に入れよう。
昨今、台湾が話題になっている。2002年以来、2度目の台湾観光に出かけた。
12月18日から3泊で台中、高雄、台南は2階建ての観光バスで巡った。高鐵台南駅から台北駅は新幹線を利用して移動。
グループは15名と少人数で新しいバスにゆったりと乗車でき、ラッキーだった。街はクリスマスの賑わいだが、気候は穏やかだ。
盛りだくさんの旅だった。現地のベテランガイドの呉さんが効率よくまわってくれた。今回の旅行でベストは呉さんの現地事情の話や健康話だった。50年間の植民地時代、日本の事情、歴史の話も詳しく、知的刺激を受けた。
コロナ禍の後、台湾の人々は今を楽しもうという気風、そして何はさておいても健康の話題が多いらしい。活気があった。
料理や飲物は日本より、甘めで、糖分摂りすぎの傾向。飲み物を買う時は無糖を確認した方が良い。血管不全や肥満の問題がある。台湾人は外に出て活動したり、国内旅行したり、話好きの傾向。かたや日本人は高齢者は家滞在が多く、認知症が多いと説明していた。
国土は水不足でトイレの水圧が低い。ペーパーは流さず、ボックスの中へという習慣が日本と異なる。うっかり流さぬよう注意が必要だ。
ショッピングはラジウムが健康に良い台湾特産品の北投石と肥満防止と血液サラサラ効果のある年代物のプーアル茶を熱心に説明された。御多分に洩れず、両方をお土産に購入した。
北投石のアクセサリーをつけてから、すぐに睡眠の質が良くなったので、良い出会いだったと思う。
あけましておめでとうございます。
皆様のご健康と日本の安寧をお祈り致します。🎍
前泊を入れて12月29日から3泊で香港を訪れた。
大晦日から元旦にかけてカウントダウンの花火大会を観覧するのが目的だ。
31日、日中は地下鉄の乗り、ヴィクトリアハーバーへ行く。
雑踏を避けて香港藝術館の常設展、呉冠中(Wu Guanzhong)のギャラリーをぶらりと訪ねた。
Wu氏は1919年に生まれ2010年に逝去。世界的に有名な中国人画家。中国と西洋のモダンアート絵画の融合に取り組んだ。入場料は無料。
フランスに留学したWu氏、晩年はアプローチを変えて中国水彩画に戻ってきた。
“I love black and always exploring its potential.
Black is the most powerful note of all visual stimuli.”
海沿いに立つカルチャーセンター2階のレストランで飲茶ランチをいただいた。
カウントダウンの花火は行く年来る年を繋いで、12分ほど続いた。
12月28日、今年もあと3日を残す時を迎えた。
テレビでは今年の出来事ばかりでなく、昭和から振り返ってコメントする企画も多い。昭和歌謡もまたブームの兆しで、昔華やかな時代の歌手の映像もよく流れている。生きている間にこんなに多くの事件、出来事が起きていたと驚く。
齢70数年、振り返るとあっという間、走馬燈の様に流れた、故人達は言っていたが、それをいま実感する。
今日夕方の空はアートだった。今年一年を表していると感じ、直ぐにシャッターを押した。
豪州からの哲学者の英語教師が先日こう述べていた。
短い言葉で良く表現されていたので、心に留めた。
Mother Nature stands above human chaos.
(母なる自然が人間世界の混沌の上に存在している)
12月1日は亡き父の誕生日、姉と小田原駅出発の1日観光バスを利用して、箱根をまわった。
ルートは岡田美術館、芦ノ湖の遊覧船ソラカゼに乗船、箱根園のビュッフェランチ、温泉利用もできる。
快晴で穏やかな天候なので、我々は駒ヶ岳ロープウェイに乗って富士山を眺めた。
12月5日木曜日、風なく、快晴、暖かな、そして強い陽ざし。
国分寺駅近くに住む学生時代の友人を訪ね、玉川上水近辺を案内していただいた。
この日は何と2万5千歩を歩き、個人のレコードハイを記録した。
ルートは鷹の台駅から玉川上水駅に向かう。駅近の和風レストラン「木曽路」で昼食、国分寺方面に戻る。寄り道をしながら進み、約6時間のコースとなった。
落ち葉のジュータン、歩くとカサカサ音がして楽しい。
江戸時代前期1653年、玉川兄弟が露天掘りで掘り進んだ玉川上水は全長約43キロ、多摩川の羽村から四谷まで続く。
今年1月、眼の不調から50年以上使用していたコンタクトレンズをやめた。常時3本の眼鏡を使い分けている。
白内障も気になり、同年代の友人、知り合いも、手術経験者が多くなってきた。医者は80歳以上はほぼ全員白内障になりますよ、という。10月、横浜市の健診の機会に、眼の状態を調べてもらった。すると意外にも「白内障と軽度の緑内障」と診断され、それぞれの治療点眼液2種類を処方された。
眼圧を下げるためのラタチモという目薬、寝る前に一滴づつ使うのだが、滲みるし、毎回充血する。1ヶ月後、担当医に伝えると、「これがいちばんバランスよく配合されているから、続けて下さい」との返事。
不信感を持った私は、別の眼医者を探し、セカンドオピニオンを求めた。すると検査の結果、「白内障はないので目薬は不要、緑内障の目薬は他にもいくつかあるので、アイベータに変えて様子を見ましょう」、という診断だった。この点眼液を1ヶ月使用して滲みないし、充血の副作用もなかった。
前回の目薬には気分が憂鬱になったが、今使用している目薬とは相性が良い。
医者の治療方法、診断に疑問を持ったら、詳しく説明してくれる医者、患者に寄り添ってくれる医者を見つけることが非常に大切だと実体験した一件だった。