
今年の関東地方の梅雨明け宣言は7月16日、昼ごろだった。雲の形はくっきり。東京五輪やコロナの予防策、ワクチンなどなど、モヤッとした世の中の空気が変わった。天気は元気のもと。

これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。

今年の関東地方の梅雨明け宣言は7月16日、昼ごろだった。雲の形はくっきり。東京五輪やコロナの予防策、ワクチンなどなど、モヤッとした世の中の空気が変わった。天気は元気のもと。

7月15日サントリー美術館を訪れた。
今回のチラシの表紙を飾り、プロローグのキャラクターになっている石版画の役者絵。明治時代、出版元「彫刻会社」は、石板印刷の機械を購入し、銀座で会社を創業するも5年で閉店。会場には目の部分に後ろからライトを当てた絵がいくつも並ぶ。観る角度で表情が変わるのを楽しんだ。作者は石版彫刻師のオットマン・スモーリック。

珍しい立体的な表と裏を描いた菊が散りばめられた二曲一双の屏風。
盛り上がっている花弁は胡粉(ごふん)を使用している。


硯箱の蓋を開けると、二羽の鳳凰が左右に並び、真ん中に卵形の水入れが現れる。こんな道具で恋歌や物語を書いたら、楽しい時間はずっと続くだろう…..

エピローグとして置かれていた吉祥天などをあらわした女性神の頭部。
平安時代の伏し目、穏やかな和みの雰囲気を今に運んでいた。
目が早く疲れる。
「眼鏡の機能、ブルーライトカット率を上げてもらおうか。視力検査も久しぶりに受けよう」と思い立つ。
メガネ屋さんでフレームを見て思い出した。
1年以上前から左右のこめかみが痒く炎症が出たり薄くなったり繰り返している。皮膚科で軟膏を処方してくれた。「眼鏡の金属アレルギーかもしれないが検査は複雑で時間がかかる」と言う。
複雑な検査をするほどでもない。そのことをシニアのアドバイザーに言うと、現在のフレームを点検。丁度こめかみをかする所に小さな飾りネジがあった。「2本取っても構造上問題ない」「まずは炎症を治すことが先ですね」その場でネジを取ってもらった。
あれから1ヶ月経ち、去年からのこめかみの痒みは消え、すっかり治った。

知の巨人と言われた立花隆さんが、4月30日ひっそりとこの世を去っていた。
6月30日のNHKのクローズアップ現代で、急遽、追悼番組が放映された。ゲストの文芸春秋の元社長の話は尽きず、もっとエピソードを聞きたかったが、中途半端で番組は終わった。
多くの著作物を残されたが、私が読んだのは1997年の「インターネットはグローバル・ブレイン」くらい。73歳で自らもがん患者になり、「死」や「臨死体験」について世界各地で取材した。NHKでドキュメンタリー番組を作り、私も興味がある分野で視聴した記憶がある。
今回ジャーナリストで元外交官の佐藤優氏が文春でコメントを載せていた。佐藤優氏は神を信じる立場だが、立花さんと対談した時、波長が合わなかったそうだ。しかし晩年死や臨死体験(形而上学)に関心を持つようになった立花さん。「なぜ見えないものに関心を持たれるようになったか、天国に行ったら話したい」と述べている。
立花さんは多方面で専門家並みの多くの知識を蓄えていた。「知ることに終わりはない」。知りたい欲求が枯渇することなく、自分の病気体験、死も、探究の対象だった。
ふっと「なぜ山に登るの?」「そこに山があるからさ」の山男の答えを思い出した。知りたいから探究した人生、その情熱に説明はいらない。
アマゾンのプライムビデオを開くと、冒頭に三島由紀夫のドキュメンタリー映画が出てきた。昨年劇場公開された。1969年5月13日、東大駒場キャンパス900号室にて東大生約1000名と三島由紀夫が討論した記録だ。TBSテレビ局で極秘保管されていた。観たかった映画に巡り合った。
50年前、私は大学1年生だった。三島由紀夫の割腹事件は朝日号外新聞を手にして知った。あれから50年経ち、歴史となって世に出た。共闘、民青、ゲバルト等々、あのような学生運動の形は過去のものになったが、今の日本を再び意識できる。91歳で世を去った母もよく「日本の行き先が心配で死ねない」と口にしていた。
当時東大生だった学生たちが70歳代になり、多くは宿題を持ちながらも好々爺となり、取材を受けている。それでも地球はまわっているのだ。
あの教室では予想に反し、いがみ合いの闘いや暴力はなかった。三島由紀夫の「個人が持つユーモア」と会場をうまく「取り仕切る才能」と「年配者としての思いやり」を終始感じた。映画で三島由紀夫に会えたのは貴重だ。
議論は喧嘩するためではなく、共通点を見出し、歩み寄るために行う。結論は出ずとも三島由紀夫が終わりに語りかけたように「この空間に言霊が飛び交い、残った」
緊急事態宣言で休館になっていたが、再び開催された展覧会。
はるばるミネソタ州から渡日してきた約100点の名品にこもる遊び心、いにしえの画家達の魂の気迫。
作品は全て撮影可なのも珍しい。

禅宗では「龍虎が自然の理の象徴」とされ、「龍吟ずれば雲起こり、虎が吠えれば風生ずる」などと詠まれた。

楽しい恋物語。セミ赤ちゃんや産後の玉虫姫の様子も右上に描かれている。背景の繊細な筆使いと色彩、見ていて飽きない。文章の書も美しく走りうっとりする。


この蕭白の鶴は六曲一双の一部。それぞれの鶴の眼を個性的に描き分けていた。

以前、京都の相国寺で出会った若冲。再び数点の鳥の図を鑑賞できた。上の絵は橋下のカラス。その他、軽快なタッチのモノクロのニワトリたち。夏向きに感じる。
最近立て続けにアンソニー・ホプキンスの映画を3本観る機会があった。
好奇心のまま映画をチョイスすると、偶然にその中で主演を演じていた。なつかしい。
現在83歳になられても、2020年「ファーザー」で認知症の父親役を演じ、アカデミー主演男優賞を取った。イギリスに居たご本人は受賞の知らせに驚いたとか。制作はイギリスとフランスの合作。両国の色合いが出ていたと感じる。介護は世界共通のテーマだ。システムや家族関係の違いから、日本の介護の共通点と相違点を考えさせられた。
二本目は1993年「日の名残り」。イギリスの名士が住む邸宅に長年仕える執事(バトラー)と女中頭との関係を全編丁寧に描いている。原作はノーベル賞作家のカズオ・イシグロだ。これを観ると「イシグロはほぼイギリス人ではないか」と思ってしまう。
三本目「チャーリング・クロス84番地」。これは原作書名で、副題に「本を愛する人のための本」とある。朝日新聞の書籍紹介記事からすぐに読みたくなった。1970年に出版された実話。ロンドンの古本屋とニューヨークに住む女性脚本家との20年にわたる往復書簡集だ。
アマゾンで検索すると、1986年に映画化されている。アンソニー・パーキンスとアン・バンクロフトが出演。ミセスロビンソンもなつかしい。映画監督である夫がアンの希望で制作したそうだ。カメラのレンズに向かってアンが語りかける多くの場面を思い出した。本作は今から35年前の作品。
控えめな店主役のアンソニーの演技に共感した。隠れた名作に出会え、ラッキーな日だった。
今年、関東ではまだ梅雨入り宣言がない。
市中や庭園でアジサイは梅雨を待たずに見頃を迎えた。
30度を超える真夏日の6月9日、戸部のイングリッシュガーデンに足を運んだ。青、赤紫、紅、ピンク等々、美しい新種のアジサイが広い庭園中に咲き誇っていた。





古い1冊の絵本「サンタのたのしいなつやすみ」が本棚にある。
久しぶりに手に取った。私が32歳の時、英語教室のアルバイト日曜教師を数ヶ月していた。再就職が決まり、仲間の若い先生達が絵本の後ページに寄せ書きを書いて贈ってくれた。

絵本は自分で買うことはなかったが、楽しい内容と絵が好きで、いまだに手元にある。サンタの生活が、理想の老後生活のようにも思った。
先日、作家が自分の両親について描いた絵本(グラフィックノベル)を出版したことを偶然知った。すぐにアマゾン電子版で「エセルとアーネスト True story」を購入した。

その後、2019年にこの本が映画化されたことをネットコメントで知る。懐かしいレイモンド・ブリッグズが現在も活躍している、イギリス国民に愛される代表的な絵本作家。エンディング曲もポールマッカートニーが手掛けている。
90分ほどのアニメ映画は、手描きで暖かい印象だが、第二次世界大戦前後の政治や階級社会が背景にある。無名のイギリス夫婦の普通の生活、迎えた老後。残された家族はただ受け入れるしかなかった。
母が令和元年5月に他界して2年たった。
快晴のもと親族10名出席の三回忌法要を無事に終えた。
母の晩年は、葬儀をとり行う宗派について、私はかなり考えた。
母はイエスキリストを慕っていた。西欧美術展を巡り、キリスト教聖画の葉書コレクションも残っている。
しかし最終的にたどり着いたのは、「代々の家の伝統、習慣となっている仏教形式で行う」ことだ。個人の信条と異なる位置にあっても、「仏教の法事があってよかった」と今、心から思う。
忙しい生活の中、優先して、普段会えない親族と会う機会があることは、良い習慣だと、歳をとって実感した。気持ちの区切りにもなった。母の存在は今でも時々感じるが、社会の一員だった母の存在を新たにした。
実際の命日は翌日の5月31日。
この日も穏やかな心地良い風を感じる快晴だった。
窓際に椅子を移して、ただ空を眺めていた。遠くの電車の音、鳥のさえずり、ごみ収集車の音楽など、人々の生活活動の音をしばし、聞いていた。

雲が変化をつけて形を変える。
「もしかして空からのメッセージはないだろうか?」
目を凝らして雲の形をたどる。
「あれは龍が鼻から息を出している? 右下に十字架のようにも見える雲が。」母の干支は辰年だった。
「あの雲は目が二つ、口が真一文字の顔に見える」
父の顔を思い出す。

私も旅立った人と生きる本格的なシニア生活に入った。