
the remnant of King Herod’s temple, AC 70, Juresalem
We used to be relatives
with the same father
Brothers and sisters
with the different minds
For God’s sake stop killing.
Lives are not yours.


これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。

We used to be relatives
with the same father
Brothers and sisters
with the different minds
For God’s sake stop killing.
Lives are not yours.

国立新美術館、企画展示室にて
2023年7月12日〜10月2日の期間、開催された。
9月29日の朝、アートの広告メールで知り、ぶらりと訪ねてみた。

230年前のイタリアの月明かり。雲が流れている。

イタリアの火山噴火、自然の脅威。

イギリスのラファエル前派の画家。
森の中に横たわるシェークスピア、ハムレットの「オフェーリア」は彼の代表作品だ。

瀬戸内海の豊島にもリヒターの作品、14枚のガラスが、自然と融和して展示されている。
最後日は朝、雨が降ったり止んだりの天気の中、出発。小郡萩道路の秋吉台ICから5分ほどで、秋芳洞正面入り口に10時頃到着した。入り口手前に延びる商店街をのぞきながら歩くのも楽しい。雨は止んできた。


入り口にある池や山道が雨上がりの朝靄に包まれて幻想的だ。


想像より大きく、そびえる大鍾乳洞、自然が産んだ様々なアートに名前がつけられている。
上がりコース1キロの上り坂を1時間ほどかけて歩いた。帰りは別ルートの下り坂だが、黒谷入り口から外に出て休憩した。店の椅子にかけてオロナミンCドリンクで水分補給だ。気温は相当上がってきた。
地上を約2キロ、30分かけて歩き、正面入り口に戻った。

次は秋吉台を一望できるカルスト展望台へ行く。
約3億5千年前に南方の海で珊瑚礁として誕生し、今日のカルスト台地を形成した。展望台近くにカルスターカフェがあった。ちょうど空腹を感じてきた頃、ハンバーガーのランチをいただきながら休憩した。

秋芳洞、秋吉台と両方で小学生グループが引率者と野外活動をしていた。すれ違いどき、旅行者に元気な声であいさつをしてくれる子供もいた。遠足は楽しそうだ。
二日目、下関駅近くから車で海岸線の一般道を北上すること約2時間。非常に興味があった角島大橋と対面した。
曇り空でコバルトブルーの海は期待できない、とやや諦めていたが、岸辺付近の海底も見え、グリーンがかった青い海に出会えた。

橋を渡り、明治時代から今に至る、現役の角島灯台に着いた。英国の灯台技師ブライトンが建てた外壁の御影石が美しい洋式灯台。内部もヨーロッパの教会の鐘撞きの塔を思い出させる。急な螺旋階段が123段続き、最後はハシゴのようにほぼ直角。手すりと天井から下がる太いロープを頼りに上がる。高齢者向きではない、今回体力を振りしぼり昇ったのは良い記念になった。

橋の近くの「道の駅ほうほく」は海山の食品やお菓子の品揃えが多く、人気があるらしい。私は記念に缶入りの小さなビカクシダの植木を買った。
次の目的地は車で3、40分。日本海に面する元乃隅神社に到着した。この神社はユニークで、宗教法人には属していない個人所有の神社だ。地元の網元、岡本さんが1955年、夢のお告げで白い狐を祀った。最近アメリカのCNN放送局で「日本の最も美しい場所31選」に選ばれ、訪れる観光客が急増したそうだ。


新しい御影石の狐が三体神社で祀られ、そこでお参りしてから、123基の赤い鳥居をくぐって海岸に降りる。この石段や岩場を歩くのも体力を要する。帰り道は迷わず駐車場に通じる近道を選んだ。
9月19日から下関の唐戸桟橋近くに二泊投宿した。
今回は、お墓参りのあと、出身地の山口県の現在を観る旅になった。従兄弟が車で案内してくれた。
幼稚園の頃、東京へ引っ越したので、幼い頃の記憶はあまり残っていない。カトリック系の幼稚園の建物は残っていた。今も子供達は通園している。
ホテルの近くに桟橋があり、門司港行きと巌流島行きの2航路がある。巌流島までは所要時間10分。海峡の波は荒く、船酔いしそうなところで到着した。


昔は30軒程の住民が住んでいた島も今は無人島、公園になっている。
400年前の伝説が有名な、「宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の聖地」の看板があった。佐々木小次郎は敗者になったが、島の名前は小次郎の剣道の流派、巌流の名前がつけられている。

桟橋の周りは散歩道が整備されている。夕食後、散歩に出ると波は荒く、桟橋に打ちつける音が絶え間なく続いていた。
昼間の海面とは打って変わって暗く、引き込まれるようだった。
9月10日の朝、目覚めると
ひとつのフレーズが頭の中に浮かんでいた
《生かされている》
いつか誰かが、語っていた
《生きているのは、生かされているから》
なぜ、生きる?
それは、生かされているから
私の知り得ない意志が働いている



今日で熱く長かった8月の最終日。
涼を期待するが、9月も猛暑が続くらしい。
月がかわるのは嬉しい。
9月は準備の時期だったり、
世間の夏休みやお盆休みも終わり、
新しいことに出会うことが多い。
暦のおかげで、9月の元気をもらう。
お正月はまったりと速度をゆるめる新年。
9月は徐々に速度をあげる新年度。

今年の夏は特別に暑い、熱い。
怪談を書いてみよう。
遠い昔の実話です。
その頃私は忙しい会社員生活を送っていた。
夕食も終えて、ゆっくりとソファにくつろぎ、ぼんやり考えていた。トピックスは流れる雲の如く浮かんでは消えて行く。
その中で「私は何者だろう?」とふんわり考えていた。

すると電話が鳴った。もう夜11時を過ぎている。こんなに遅く電話がかかってくことは稀だ。イタズラ電話か間違い電話だろう、と思いつつも、受話器を取った。
電話の主は、名前を名乗るでもなく、相手を確認するでもなく、いきなりこう話しかけた。
「私が誰だかわかる?」
そして私の返事を待たずに、すぐに電話は切れた。少し微笑みを含み、いたずらっぽい声だった。
静寂の中、取り残された私は声の主は誰だろう、としばし考えた。男性か女性かわからない、こもった声だ。聞いたことがない声。そして気がついた。
あれは私の声だ。
新宿の損保美術館の山下清展を訪ねた。
8月9日、水曜日の午後、アクセスが複雑な場所にもかかわらず予想外の大勢の人々。190点ほどの山下清の生涯をたどる生誕100年目の回顧展を十分に堪能し、今まで見たことがなかった油彩画や陶磁器にも触れることができた。

1922年、関東大震災の翌年に東京に生まれ、1971年ドルショックがあった年に49歳の画家の生涯を閉じた。
私の人生と20年ほど重なり、当時の生活や風景、思想、旅行事情など思い出した。

画家活動が始まり、勧められて油彩画に挑戦、花々を多く描いた。
チューリップは私の好きな花でファイルを購入した。

日本中を旅した山下清は、海外旅行が難しい時代、今度は外国の渡航を希望する。2回40日の欧州旅行に出て、進化した作品を残した。

人並みはずれた記憶力と集中力で、帰国後1年経っても景色を再現できる能力、拡大鏡のような眼、多くの中間色を組み合わせる色彩感覚、、、天才以上の人物、唯一無二だ。

7月31日月曜日 19時30分から約30分間、二万発の花火が踊り、夢の時間が過ぎた。約二ヶ月前に協賛席のチケットを入手し、待ちどおしい日々を過ごした。
雨天の場合、順延はなく中止となるが、今まで幸運にもそのような事態はなかった。今日の未明前3時ごろ、珍しいゲリラ豪雨と連続の雷が轟いた。昨夜の花火大会の天候に感謝した。





