祈りと神様の望遠鏡

日頃、宇宙に大きな祈りと小さな祈りが動いている。大きな祈りは絶えず祈っている。砕け散らない大波。神と人間のあいだを行きつ戻りつしている。

小さな祈りは、白いさざ波を立て崩れる波。外から見ても美しい。形も色もわかり、音もする波らしい波だ。さざ波は音をたて、神は返事をする。音がして波が消える。

さざ波のような小さな祈りは勢いも小さい。神は望遠鏡を使って、小さな祈りを引き取られるが、届かないこともある。小さな祈りを神様の望遠鏡に入れることが必要だ。

そのためには光っていること、目立っていることが大事だ。その光り方は霊的に光っているか、目立っているか。常に燃えている状態でいれば、光っていることができる。火を絶やさない松明(たいまつ)の燃え方だ。
神様の望遠鏡に向かって燃え続けている。

常に燃え続けるやり方とは? 火がなくなりそうになれば、火(神)を求めることだ。車がガス欠になれば、ガソリンスタンドへ行く。パンがなくなれば、パン屋へ行く。神が必要な人は神を求め、神を認める。

火(神)を認めることは、非を認めることにも通じるものがある。

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