最後の訪問地は福浦港。観光フェリーに乗って、海から能登金剛、巌門海域をクルージングした。
1月の地震で3艘の船のうち、2艘が座礁して最近まで休業していた。この日は天候も回復し、出航できた。




空模様も曇りへと変わる
これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
最後の訪問地は福浦港。観光フェリーに乗って、海から能登金剛、巌門海域をクルージングした。
1月の地震で3艘の船のうち、2艘が座礁して最近まで休業していた。この日は天候も回復し、出航できた。
2日目、宿泊した金沢駅近くのホテルを出発、再び能登半島に向かう。午前中は羽咋市(はくいし)にある宇宙科学博物館、コスモアイル羽咋を訪ねた。
旧ソ連とアメリカの実物の宇宙船が数多く展示されていた。
浅い大きなお椀型のユニークな建物の屋外にはアメリカ製のロケットがそびえている。
飛行士は高度6千メートル上空からパラシュートで帰還した。
24機のうち、最後の月面探査機。月の石を地球に持ち帰ることに成功した。
特殊な軌道を安定飛行した。中央オレンジ色部に偵察用カメラが見える。
昼食時、砂浜道路そばの千里浜(ちりはま)レストハウスに寄った。
昨日の帰路、夕刻にバスはここの8キロの砂浜を走り、対向車にモーターバイクの群れが続いていた。
午後は羽咋市に戻り、海岸線近くの日蓮宗本山の妙成寺を訪ねた。建立400年の重文祖師堂にて、住職から説明を聴く。加賀前田家が本堂、祖師堂、五重塔を建立し、現在国宝にすべく申請中だ。
お寺見学後、メダカを眺めながら、冷やしあめ、飲んでいってください、の声に惹かれて、一休み。生姜とレモン味が爽やかで美味しかった。
能登半島はいつか訪ねたい場所だった。今年始め、大地震に見舞われた。9月に入って豪雨災害が重なってしまった。
復旧が遅れ、被災者の不便な生活を案じている中、8月に旅行社の上記の企画に目に止まった。即参加申し込みをした。
10月15日、羽田空港を9時に出発、翌日20時に空港に戻る行程だ。参加者37名。
のと里山空港から北上、聖域の岬、珠洲岬に向かった。滑走路には凹凸が残り、車窓からの風景は瓦屋根の損壊した家屋やブルーシート、ブルドーザーなどが続いていた。
「ランプの宿」の従業員の多くは家屋が被害に遭い、宿の設備も復旧していない。現在、新たな施設への活用を考えているそうだ。
珠洲岬は海中で寒流と暖流がぶつかり、海の色が左右で異なる。大気も上下する、日本三大パワースポットの聖域と言われている。
717年インドから来日した方道仙人が岬で長らく滞在し、「天へ登る」修行をしたとの伝説がある。能登の語源にもなっている。
バスが穴水町に移動すると、景色は変わって収穫したばかりの葡萄畑が広がっていた。この地も水害で多くの損失を被った。
10月に入って残暑と秋の気配が交互ににやってくる。
日本の政局も揺れている。
最近ユーチューブの「オサダーライフ」をたびたびフォローしている。
世界中の都市を短期日数で一人で巡っている。私も居ながらにして、最新の世界のリアルを観ることができありがたい。尺が長いのが良い。一本の時間が1時間平均で視聴に時間がかかるのだが、リアルに旅情とオサダくんの自然なコメントを味わえる。
大体、空港から始まり、毎回期待感がある。何より気に入っている点は、BGMの音楽や効果音が皆無なところ。最近はテレビでも動画でも音楽の趣味を押し付けられ、視聴者の聴覚にストレスを与えかねない番組作りがほとんどだ。静かに視聴したい。
昨日のラオスのビエンチャンの動画が楽しかった。ちょうど石破新首相が初めての外国訪問して良いパーフォーマンスをした国である。よけいに興味をそそられた。ベトナム隣国の山岳地帯の国、人口750万、海を持たない。アメリカで一度は訪れたい国ランキングで1位だったらしい。
9月18日は平安時代の武将、鎌倉権五郎景政の命日。
戦いで敵に左目を射抜かれても果敢に戦い続けた武士だ。
この日、御霊神社(権五郎神社)にて主祭神権五郎景政の例大祭が行われた。神事は人々の一年の無病息災を願い、笹で湯釜の白湯を参列者の頭上に振りかけたり、4本の矢を四方に投げたり、飴を投げたり。1時間余り続いた。
炎天下の中、神楽の儀式のあとは、2時半から大通りで獅子頭の神輿と12名のそれぞれ異なる面をつけた人たちの行列が出発した。
一年間、元気にすごせますよう。眼病平癒にも良いらしい。
旅の二日目は秋田の竿燈まつりの観覧だ。
今回旅グループの全員が竿燈祭りは初めてらしい。土地の人々の懸命ないなせな姿に、旅仲間は顔を見合わせて祭りの熱気を共感。黄金の稲穂に見立てた、最長は長さ12メートルの竿燈260本余りのパレード。立ち止まって披露する伝統の妙技。
8月6日は4日間の祭りの最終日とあって、ひときわ演者のエネルギーがほとばしっていた。
「どっこいしょ、どっこいしょお〜」
竿には継ぎ目が何箇所かあり、祭りの終わりの頃、しなった竿が観覧席に迫って来た。継ぎ目が2度に渡って地面に向かって折れ、竿燈が水平になった。
私の隣のブロックの観客は倒れてくる竿燈にぶつかりそうになり周りに避難。私は席にギリギリ座ったまま、目前に迫る竿燈を見た。
アナウンサーは「祭りは最後で大盛り上がりです」
さほど驚いた様子はなかった。
今年のねぶた祭、4日目の8月5日にやっと念願かなって、観覧が実現した。当日は曇りで過ごしやすい気候だった。
グループツアーで指定席を確保、明るいうちに青森港で待機している22基のねぶたの様子、その後夜のパレードの動きを沿道からじっくりと眺めることができた。ハネトとお囃子の舞台が目前に通過する。
「ラッセイラ〰︎、ラッセーラッセー、ラッセイラ〰︎」
ねぶた祭は七夕祭が起源らしい。7月7日の夜にケガレを川や海に流すミソギの行事で「ねぶた流し」と呼ばれている。
人々はこの夏祭りで無病息災を祈った。
暑中お見舞い申し上げます。
連日、「命を守るために、エアコンの使用、水分摂取、不要不急の外出は控えよう」、とテレビで呼びかけている。
夜も30度から下がらないし、湿度は高く、昼間の空気はカラッとしない。睡眠中は特に必需品なのだが、購入して5年目のエアコンの冷房機能が効かなくなった。二日間のエアコンなしの生活体験をした。
子供の頃、母が寝ながらウチワ片手に仰いでいた姿を夏の一シーンとして思い出す。当時は夏の気温も今ほど高くはなかったが。
一晩中、窓を開放し、扇風機を首振りで回していた。起床時は汗でベタベタだ。頭皮も熱い、即シャワーを浴びた。これで電力供給が低下したり、止まったりしたら、扇風機も使えなかったらウチワだけが頼りだろうか。
エアコンが突然効かなくなった時、そして体温に迫る高温多湿の中で生活する時、どんな知恵があるのか考えておく必要がある。
旅の3日目は、晴れていたが雲が多く、この日も富士山は姿を現わさなかった。ホテルをチェックアウトした後、1時間のドライブで日本平動物園の到着した。
昭和44年8月、66,000平方メートルの敷地に123種の動物たちを展示、開園した。
動物たちの行動がよく見えるように展示されている。この日は外を歩くには暑すぎるので、3階建の涼しい猛獣展示館がありがたい。
冷房完備の猛獣館には広いスペースにアムールトラやピューマ、ジャガーなどが歩く姿が見られた。
シロサイのタロウ君は高齢者らしい。日向に体を横たえていた。水浴びさせてあげたい。
ちょうど11時半のランチタイムがあり、乾草キューブを飼育員のお姉さんが素手であげていた。さいの角は貴重で一生伸び続ける。高価な薬用にも使用され、以前展示の角が盗まれたこともあるそうだ。
7月16日、焼津で宿泊した。2日目は朝から梅雨最後の雨模様。
ホテルの案内係お薦めの掛川花鳥園と蓬莱橋を訪ねることにした。車で1時間のドライブで黒い色調の武家屋敷風門構えの渋いゲートに到着した。
しかし園内は一転して南国風の明るい屋内エリアが広がっていた。
入り口近く右手に世界のフクロウの檻が並んでいる。予想外の世界中の珍しい種類に出会えた。正面を向いて静止しているポーズで迎えてくれる。
熱帯性睡蓮の大池では色とりどりのウオーターリリィの花を咲かしていた。
鳥たちの羽や足は鮮やかで、動くとなお楽しい。ニュージーランドからの金色のミヤマオウム、自由に飛び回る人懐っこい黄色いインコたち、細い足で歩き回るセイタカシギやフラミンゴ。
ハシビロコウは長時間動かない鳥でここ花鳥園のシンボルキャラクターになっている。
小雨が残る屋外エリアには行かなかったが、表情豊かな鳥たちに会えて満足した。午後、次の目的地の蓬莱橋に向かった。明治12年に農業用の橋として建てられた897.4mの「厄なし」スポットだ。