今日

今日の日は帰らない。
今日という日はかけがえのないもの。
今日を大切にしよう。

今日はいつ来るのだろう?
今日はいつ過ぎるのだろう?
時計の針が12時を指して境を決める。
本当だろうか。

私にとって今日だけが永遠への道のりの始まり。
昨日もない、明日もない、今日だけが連なって
永遠へと導く。

本当に生きている人は、過去に生きることも、
未来に生きることもしないのではないか?

今日を一番大切にしたい。
過去は現在を押し出すだけのもの。
未来も現在を助けるために、
人に夢をくれるためにあるのだろう。

過去も未来も現在の良き援助者であれ、と願う。

流れる雲

photo: tisa

 

気を使わず、気を抜いて流れる雲。

ふんわり進んで、暗雲も通り抜け、

かたいものにもぶつからず、

障害物も、ものとせず、

いつの間にか、形を変え、抜け出し、

過ぎてゆく。

すべてのものは声を持っている

すべてのものは声を持っている。
聞こえる声もあれば、聞こえない声もある。
植物も声を持っている。
動物、鳥、魚、昆虫、石、机、椅子も声を持っている。

声はそのものを超えた存在だ。
良い声もあれば、悪い声もある。
悪い声は不調和音だ。調和する声は良い声だ。

ふだん黙っていても、非常時には声が出る。
病で話せない人も、まさかの時、人の耳には聞こえなくても、
彼の声なき声が天に届く。

声は偉大だ。
声を出すことで、天に通じるから。
無言の祈りも天に届けることはできるが、
とっさの声はそれに勝る。
非常ベルとなり、何はさておいても天に届く。

宇宙の意志、神の意志

宇宙の大きな意志は、「病のない宇宙」へ戻そうとする。
宇宙の医師の働きだ。
宇宙には健康を取り戻す医師がある。

人間の体の中にある自然治癒力のよう、
自然にしていれば段々良くなり
回復していく。

一方、神の意志は自然にしていては働かない。
人間からの働きかけによって、神の働きが出てくる。

神の意志は自然にしていては出会えない。
宇宙の意志と神の意志と二つの意志がある。

新しい年を迎える

新しい年を迎える前に、捨てる執着を考える。
魂の脱皮をし続けることで成長を続ける。
身を軽くすることで、魂の軽やかさを保つ。

神の流れは悠久の流れ。
細く流れるのは、人間社会の急進の流れ。
神の持つ流れは大き過ぎるため、目に入りにくい。
心を騒がせないで眺めていらっしゃい、
かつて神様は言われた。

神は常に静かな心を持っていたいと願う。
祀りごとを静かに行いたい。
神の世界の祀りは騒がしくない。

お祀りに供えられるお神酒。
人間が米から作り、お神酒を神にお供えする。
神はそのお酒の氣を人間に振舞われ、お返しをする。
それを眺めておられる。

大人の世界

子供と大人はどちらが上だろう。
単にどちらが上かと言えば、子供が上である。
大人が子供を上で自由に泳がせている。

子供は上なので天国に近い。
成長するに従って天国から離れて行く。
子供はだんだん重くなって大人に向かう。
これ以上下がなくなった時、下にぶつかり上昇する。
上に昇るに従ってまた子供に戻って行く。

上にいる状態が子供であることだ。
上の方が楽な状態で下を見ることもできる。
下の大人は一度通ってきた道を思い出すことができる。
また天国の道を昇る。
いつか来た道だ。

このように幼な子になって天国に入って行く。

意外にもそこは大人だけの世界と変わる。
成熟した、しかし完成されていない世界。
みんな学ぶことに一生懸命、
学ぶ楽しみを身につけている大人の集まり。
教える人はいない。

自分で学び、自分で気づかなくてはならない。
大人の立場だ。
親子の役割を負うことなく、個として生きる。
個としての役割があるだけだ。

 

花は人間を待っていた

 

花の良さは、色、形、香り、そして人の心を和ませる。
空気をきれいにしてくれる。

花は人間が生まれる前からあった。
花は人間を待っていた。
見てもらうために、来るのを待っていた。

人は花を見て名前をつける。
花が名前を持っているのも不思議なこと。
山にも名前がある。
山は自然の一部であっても、名前がある。
人間が自然と関係を持った時に名前が付けられる。
子供やペットに名前をつけるように。
知恵を絞ってつける。
自然も名前をつけるとぐっと身近に感じる。

花が人間に害を及ぼすことがあるのだろうか?
花の害があるかというと、花は枯れるのが悲しいと思う。
花の命は短い、もののあわれ、はかなさを感じる。
この感情は、また素晴らしい感情になる。

花が枯れてもの悲しく思うのは、途中経過の状態だ。
花はまた種が育てば、枯れたものは復活する。
枯れることも花にとって、冬休み、春休みのようだ。
花はすべて良いものを人間に与えている。

悪い状態は後の良い状態となるためにつながる。

数字の力

数字には神様の特別な思いがある。

人間社会は数字でしばられている.
身長、年齢、年収など数字で作る壁が多い。
本来、数字には壁がなかった。
人間が数字を扱うと壁ができてしまう。

神様が扱うと、壁がなくなり、可能性が生まれる。
人間は数を数えたり、制限をするために使う。
神様は人間に力を与えるために数字を与えられた

たとえば、神様は人間に寿命を与えられた。
寿命は人間に力を与える。
労働力、体力、生活など時間によって、計画が立つ。

苦しい労働も永遠ではないから耐えられる。
百メートル競争も、力を最大限に出し切れる。
いつ終わるともなく走らなければならないとしたら。
不老不死が実現したら。

数字は上手に使って素晴らしい力を発揮できる。

旅立ちの時のタカラ袋

人間は時の流れを変えることができない。

すべての人の願いを叶えることは不可能な時の流れ。

すべての人は時の流れに従順にならざるを得ない。

人生の終わりの時、気がついたら何も手に持っていなかったとわかる人。

すべてを経験し、すべてを所有したと満足に思う人。

傍目にはカラダ一つでこの世を去る。

そのカラダ一つに多くを入れる。人の形の中に色々のものを詰め込む。

荷造りは日々の生活の中で行い、旅立つ人々は終わりの荷造りをする。

旅立ちに何を持って行くだろうか。

カラダという袋の中に色々のものを入れるとお楽しみ袋になる。

自分が入れたものは知っていても、知らないものが入っている魔法もおきる。

自分の中にしまい込んでいたつまらないものが、永遠に役立つものに

変化(へんげ)する。

一つとしてつまらない世界はない。

究極の世界はみな詰まっている世界。

充満して丸くなるように、詰まっている世界は、

全体をやさしくおおう真ん丸い世界だ。

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