英国俳優「アンソニー・ホプキンス」

最近立て続けにアンソニー・ホプキンスの映画を3本観る機会があった。
好奇心のまま映画をチョイスすると、偶然にその中で主演を演じていた。なつかしい。

現在83歳になられても、2020年「ファーザー」で認知症の父親役を演じ、アカデミー主演男優賞を取った。イギリスに居たご本人は受賞の知らせに驚いたとか。制作はイギリスとフランスの合作。両国の色合いが出ていたと感じる。介護は世界共通のテーマだ。システムや家族関係の違いから、日本の介護の共通点と相違点を考えさせられた。

二本目は1993年「日の名残り」。イギリスの名士が住む邸宅に長年仕える執事(バトラー)と女中頭との関係を全編丁寧に描いている。原作はノーベル賞作家のカズオ・イシグロだ。これを観ると「イシグロはほぼイギリス人ではないか」と思ってしまう。

三本目「チャーリング・クロス84番地」。これは原作書名で、副題に「本を愛する人のための本」とある。朝日新聞の書籍紹介記事からすぐに読みたくなった。1970年に出版された実話。ロンドンの古本屋とニューヨークに住む女性脚本家との20年にわたる往復書簡集だ。

アマゾンで検索すると、1986年に映画化されている。アンソニー・パーキンスとアン・バンクロフトが出演。ミセスロビンソンもなつかしい。映画監督である夫がアンの希望で制作したそうだ。カメラのレンズに向かってアンが語りかける多くの場面を思い出した。本作は今から35年前の作品。

控えめな店主役のアンソニーの演技に共感した。隠れた名作に出会え、ラッキーな日だった。

アジサイ・フェスティバル

今年、関東ではまだ梅雨入り宣言がない。
市中や庭園でアジサイは梅雨を待たずに見頃を迎えた。

30度を超える真夏日の6月9日、戸部のイングリッシュガーデンに足を運んだ。青、赤紫、紅、ピンク等々、美しい新種のアジサイが広い庭園中に咲き誇っていた。

 

庭園近くの平沼神社境内
「水徳の神」水天様

絵本作家「レイモンド・ブリッグズ」

古い1冊の絵本「サンタのたのしいなつやすみ」が本棚にある。
久しぶりに手に取った。私が32歳の時、英語教室のアルバイト日曜教師を数ヶ月していた。再就職が決まり、仲間の若い先生達が絵本の後ページに寄せ書きを書いて贈ってくれた。

サンタのたのしいなつやすみ     1982年 篠崎書林

絵本は自分で買うことはなかったが、楽しい内容と絵が好きで、いまだに手元にある。サンタの生活が、理想の老後生活のようにも思った。

先日、作家が自分の両親について描いた絵本(グラフィックノベル)を出版したことを偶然知った。すぐにアマゾン電子版で「エセルとアーネスト True story」を購入した。

Ethel & Ernest, 1998

その後、2019年にこの本が映画化されたことをネットコメントで知る。懐かしいレイモンド・ブリッグズが現在も活躍している、イギリス国民に愛される代表的な絵本作家。エンディング曲もポールマッカートニーが手掛けている。

90分ほどのアニメ映画は、手描きで暖かい印象だが、第二次世界大戦前後の政治や階級社会が背景にある。無名のイギリス夫婦の普通の生活、迎えた老後。残された家族はただ受け入れるしかなかった。

鴨居玲の絵は暗かったが...

5月18日、そごう美術館の「近代日本洋画の名作選展」を鑑賞する機会があった。文化センターの「芸術魂に触れるレクチャー」に参加した。
ひろしま美術館からのコレクションだ。

白い人(A) 1980年

最後のコーナーに鴨居玲の作品が数点展示されていた。
初めて知る画家と作品。
レクの終わりの方で、疲れも感じており、ほとんど時間をかけずに飛ばした。
引き付けられなかったが、しかし印象が強かった。

私の村の酔っ払い 1973年頃

異様に暗く、パネルの説明からはどうも神を信じない立場のようだ。
暗さと無神論者であること、性別が気になり、帰宅して生涯を調べてみた。たくさんの作品もネットで見て人物を想像した。

友達も多く、スペインにも留学していた。美形ゆえ、「多くのスペイン女性が驚くような流し目を送り、嬉しい」と手紙に書いている。ヨーロッパのキリスト教文化に触れても、神の存在を否定していたのだろうか。最後は自殺未遂で、知人の説によると、画家は未遂で終わりたかったのだが、飲酒と睡眠薬で57歳で他界した。

「月に叫ぶ」  1979年頃

彼の残した偉業は人生の知っておくべき暗闇を鮮烈に描いたことだと思う。

戻ってきたストール

5月14日、25度の夏日になった金曜日、友人と元町、山手方面へ散策に出た。
夏用の白いストールがあれば買おうと思っていると、中通りの雑貨屋さんで出会った。全体が薄いグレーで今季節のバラの刺繍が白色の糸で一面に刺繍されているストールだ。ひと目で気に入り、即購入した。

家に帰り、リュックを開けたところ、ストールがない。慌てて記憶を辿った。そうだ。歩き疲れて元町プラザ2階のカフェで休憩する前の、トイレの棚に置いたストールの映像が浮かんだ。遺失物を扱う電話をネットで探したが電話番号は見つからない。もう3時間以上は経っている。ほとんど諦めたが、何か方法はないかと懸命に考えた。残念すぎる。

そこで立ち寄ったカフェにすがる思いで電話した。感じの良い店の人がすぐにトイレの棚を見に行ってくれたが、やはりない。「いったん電話を切って下さい、折り返しますから」と丁寧な応対をしてくれた数分後、「ありました。隣の店の人が保管していました」と連絡がきた。「キセキ! 嬉しい。ホッとしました」と私。

考えてみると、トイレでは忙しかった。
まず、前に使用していた人がトイレの内側のフックに手提げを忘れていたので、私は慌ててドアを開き、声をかけた。その後、いつもはバッグに入れるスマホ、その日はリュックだったのでズボンの後ろポケットに入れていた。そのスマホが床に落ちて、危うく水没しそうなリスクがありヒヤッとしたのだ。トイレ個室から出て、リュックから買い物したストールを棚に置き、その上でタオルを取り出した。外で友人が待っているので急いでトイレから出た。とこんな具合だった。

この日の教訓は「公共トイレの中では集中を切らさない」そして「すぐに諦めずに方策を考えること」。

「ノマドランド」(2021年、アメリカ)

ノマドランドは2018年に出版された本「ノマド:漂流する高齢労働者たち」が原作のドラマ映画だ。

2008年のリーマンショック後、持ち家のローンを払いきれず、手放す人々が多くいた。主人公のファーンは夫を亡くし、住まいの住所の郵便番号も亡くなり、RV車で車上生活をしている。以前は臨時教員をしていたが、今は日雇いの移動労働者だ。少額の早期年金受給も選択にない。

登場人物はファーンと友達になったデビッドを除いて、すべて実際に流浪の車上生活をしている人たちだ。今からわずか3年前の2018年の映像だから、今も続く社会問題を提起している。経済格差から生まれた貧しい人たちが映る。

しかし、その裏に多く人たちの心の歴史がある。
主人公は「ホームレスではなくハウスレスよ」とプライドを持って、通りがかりの子供の言葉を訂正する。
確かにハウスはなくても、ファーンの心の中にホームがある。妹や男友達から住まいの提供の話があっても、好意として受け取るだけだ。

今は海外旅行に出られない時代にあるが、普段映像では映らないアメリカの素朴な雄大な自然、郊外のアマゾン社の工場内、セットではない場末のレストランなど日本では見られないシーンも珍しかった。

法律は人のためにある

今日は5月3日憲法記念日だ。

NHKで午前中に長めの1時間20分の特集番組をしていた。
討論会で、コロナ禍で憲法が保証する「自由」についてだった。

番組を視聴しながら約20年前の裁判所での「調停」場面を思い出した。
母は専業主婦だったが、着物の訪問販売、「次々(つぎつぎ)販売」を受けて、10件近くの契約を結んでいた。支払い能力を超える額だった。

そのため弁護士を頼んで解決に取り組んでいた。私は営業の犠牲者になっていた母のため、また当然、営業のあり方に怒りを感じ、弁護士と共に、信販会社数社と戦っていた。

信販会社は、契約後に契約者に電話で契約の確認をする。
何と録音テープを提出してきたのだ。母らしき声で「はい」と答えている。父も「これはお母さんの声だよ」と言っている。これで契約に文句は言えないだろうか?

私は裁判所の調停で、裁判官に、母の声だとしても、信販会社の表面的な確認方法に問題がある、と訴えた。高齢の顧客に「契約しましたか?」と聞いて「はい」と答えるのが普通だろう。

「テープがあっても正当化する証拠にはならない」と感じた。専業主婦の支払い能力を考慮せずに、次々と契約させるのは法律に反しなくても、アウトだ。

結果、ほとんど時効になり残金を払うことはなかったほか、既払い金も小額ながら戻った。

当時は、ずっと「法律は人のためにある」と思って、戦っていた。

ピースサイン所感

母がベッドからピースサインをしている写真がある。
91歳で、おそらく「初めてのピースサイン」、母にポーズをしてくれるよう頼んだ。
本人の意思からではなかったが、今では良い記念だ。

若い世代、沖縄にて
若い世代、沖縄にて

私が学生の頃の1960年代、アメリカでベトナム戦争を反対して、ニコニコマークとピースマークがセットで流行った。日本にもすぐに文房具や雑貨に浸透していった。「スマイルのマーク」も「勝利と平和を示すピースサイン」も両方好きだったが、自分でジェスチャーするのは恥ずかしく絶対にしない、出来なかった。

しかし、母が2年前に他界してから急にピースサインを積極的にするようになった。
なぜだろう。写真を撮るときは、気持ちがリラックスして表情が緩むようだ。

ピースのジェスチャーと自分の気持ちが一致したからかもしれない。

ネットでチェックすると、有名な高齢の政治家や俳優も、好んでピースを出している。年齢に関係なく、心の底から「ひとり平和運動」もできるようだ。

音読で脳と喉を鍛える

4月に入り、ルーティンを一つ増やした。
日本語と英語の文章を音読、録音してチェックすることだ。

最近、滑舌の衰えを感じていたところ、いつも見ているBSの「偉人たちの健康法」で菅原道真の勉強法を紹介していた。平安時代は中国の漢詩を覚えたり、音読していたそうだ。この音読が目で読み、自分の耳で聞き、脳を使って意味を考える、と同時にできる。

確かにいつもしている黙読は刺激が少ない。以前、声に出して読む日本語ブームもあった。録音すると緊張感と集中力が増して良い。

読み物は年度毎に出る「ベストエッセイ集」。未読であったので、初見で読むことにした。実際やってみると、見て意味がわかる単語でも、音読するまで時間がかかる単語がいくつも出てくる。もどかしい。しかし内容を知りたくて読み進みたい気持ちが出てくる。

番組では「アナウンサーの言葉を真似して言うと、無駄な言葉もなく、良いでしょう」とアドバイスしていた。これは内容が無味乾燥なので、継続しにくい。

世界のお伽話、
  Edmund Dulac

英語も合わせて音読し始めた。子供用の「世界のお伽話」が家にあった。その中で「ウラシマタロウ」を選んだ。難しい単語は少ないし、筋は有名だ。読んでいてそのストーリーが「現代社会のテーマをいくつも含んでいること」に改めて気づいた。音読にはたくさんの効果があることを実感した。

「旅立つ息子へ」 Here we are

3月27日、話題のイスラエル映画を観に行った。

「時間をくれ」父は別居中の妻に訴える。
この映画は田舎で暮らす父と息子の生活、そして自立までの過程を描いている。
息子は自閉症スペクトラムを患い、思春期を前にしているウリだ。実話である。

家族を介護する生活は、時間の流れ方が世間と違う。
映画の中でも、会話は短くゆっくりと進行する。父親アハロンは流行グラフィックデザイナーの職を捨て、結婚生活も二の次にして、弟夫婦との交流からも遠ざかっていた。「息子の生活は自分が看る、施設に入れるには今その時期ではない」と考えていたからだ。

周りは父の考えを理解しない、社会主義のイスラエルでは裁判所の指示やケースワーカーのシステムがよく整っている。無収入の父は四面楚歌、逃亡の旅に出た。その短い旅で息子は、世間に触れて新しいイベントやトラブルを体験した。少しづつ成長し、変化していく。旅の力はなんと偉大なことだろう。

一対一で真剣に向き合って介護する親の気持ちや喜び、自分ごとのように感情を移入できる映画だった。

Translate »