父の日 2022

昨日、6月19日は父の日だった。
2005年、79歳で他界した。もう17年も経つが、今年3月から貸家だった実家が空き家になった。近頃は掃除や換気に通っている。

先週、父の和ダンスを廃品回収業者に依頼した。
父の日に訪れた業者さんは「2階にあるタンスは階段の手すりを抜けるのはギリギリだ」という。後から取り付けられたのだろう。

何十年振りのアスコット・タイ

カラのタンスを全て開けると、今までなぜ気が付かなかったのだろう。前の入居者もそのままにしていたのか?
綺麗な色、柄のアスコット・タイがクリーニングの袋に収まったまま出てきた。

父の遺品、和ダンス

一瞬にしてオシャレだった父を思い出した。帽子が好きで、いつもかぶっていた。自宅療養時は初めて顎ひげを生やし、「意外に暖かいもんだ」と気に入っていた。

父の洋服が詰まっていた和ダンス、「回収に出すのはまだ早いよ」と父の声。新しい入居者のために残すことにした。

アゲハ蝶

庭先で遊ぶナミアゲハ蝶

6月10日、仏滅、実家で庭をぼんやり眺めていた。
現在空き家、どうぞ良い人が再利用してくれますよう。

父が設計し、建てた木造の二階家。
60年の歳月が流れた。

母は専業主婦、家で庭に花々を咲かしていた。
訪れる人は少なくても、園芸に取り組んでいた。

父は赤いバラの苗木を柵の近くに植えた。
伊東の友人からもらったみかんの木もたわわだ。

中国に定期的に行き、お土産を毎回買ってきた。
そのうちの一つが、陶器の庭テーブルと椅子セット。
週末はいつもゴルフで家族で遊ぶことは少なかったが
父が描く理想の家庭のシーンがあったのだろう。

そんなことを思い出していると、アゲハ蝶が現れた。
すぐにもう1匹飛んできた。2匹は戯れながら、木の天辺に飛び上がり、舞っていた。

アゲハ蝶は神の使いとも言われる。
この古い家もまた甦るのだろうか。

水と宝石

上野の国立科学博物館で「地球が生み出すキセキ、宝石展」を開催している。

ファイアーオパール、メキシコ

水のある惑星、青い地球。
地下深く、宝石をはぐくむ。
他の星は冷たく、水も宝石も生まれない。

水やマグマは分子を溶かし、濃縮し、宝石は発生する。

地球の空には、雲、雨、雹、雪、
地上には、海原、湖水、川、滝、山からの湧水、
生物、植物を潤し、みずみずしくする。

水惑星の地球には、豊かな水が満ちている。
地球は太陽のエネルギーを受け、
生命が誕生し、輝く宝石も添えられた。

丸池様、山形県

新刊本、朗読クラスのテキストで使う

3月に発売された「天使が語った道しるべ」が Y文化センターで5月、6月の朗読クラスのテキストになった。読書と朗読の違いを改めて意識した。

取り上げたエッセイは
ー戦争と平和
ー睡眠の謎
ー内輪の話
ー気持ちが晴れ晴れ
ータカラ袋 etc.

朗読は導入部の声の高い低いの調整、主語と述語を際立たせる等々、注意するポイントを教わっている。普段の話し方が影響されるのでむずかしい。

日本語の繊細さを改めて考えさせられた。例えば足跡は「あしあと」「そくせき」とどちらが適切か、選ばなければならない。変化は「へんか」「へんげ」、永遠も「とわ」「えいえん」と二通りに読める。

その他にアクセントで聞く人に意味の違いを伝える言葉もある。奇跡と軌跡、ソウル(魂)とソール(靴底)、団扇と内輪など。

初心者としては、読書と違って朗読は歌唱のようなアクティブな共通点を多々感じる。

丹田の位置

50代の頃、10年ほど丹田ヨガのスタジオに通った。多い時は週に3回と集中した時期もある。

丹田は目に見えない。最近やっと、場所が意識できるようになった。その頃はお腹を強く背中につけるように引き、また前に出す。このトレーニングから始まった。ドローイン、ドローアウトと呼ぶ専門家もいる。

最近体感したことは、お腹の動きではなく、尾てい骨を落として丸める。外側からの動きだ。そうするとお腹が自然と引っ込み、丹田に力が入り、お腹の真ん中に筋力を感じることができた。

楽な方法で、お腹を引くことができる。
押してダメなら、引いてダメなら、垂直方向へ落としてみる方法もあった。

新刊本「天使が語った道しるべ」発売

今週、新刊本「天使が語った道しるべ」が幻冬舎から全国流通になった。

新刊本と書店用ポップ

昨年始めに「眼(あい) 天使が語った道しるべ」を電子書籍で配信して頂いたが、やはり「紙の本」の方がよい、という声が多かった。若い読者の間ではアニメの電子書籍は非常に伸びているそうだ。しかし文学作品や思想、宗教関係は「紙の本」は頭に入りやすく、自分のペースも守りやすい。

この度、紙の本の出版に至ったのは、去年の6月にチェコ共和国の25歳の女性から、郵便レターを受け取ったことがきっかけだ。

27年前に出版した「妙な本」を古本屋で彼女が購入し、手紙をくれた。紙の本は、目に見え、触ることができ、手でページをめくる。読まない時でも、そこに居て文字と共に何かを発信している。

私自身もこの本を愛読書として、長い間そばに置いてエネルギーを得ている。

イングリッシュガーデン、シーズン前の静けさ

3月14日は記録的な夏の陽射しが降り注いだ1日。
しばらく休んでいたウオーキングを兼ねて、近くのイングリッシュガーデンを訪ねた。

桜、オカメ

4時頃の来園者は5名、ほぼ貸し切り状態の中、木陰のベンチに腰を下ろしてそよ風を感じた。

    子バトとパンジー

子ハトが一羽、白いパンジーを食べている。
短く剪定された草木が広がり、サッパリした地面をみえている。パンジー、クリスマスローズ、白色や黄色の水仙などが点在して植えられていた。

オステオスペルマム、菊科

桜の木を探した。オカメと名前のついたサクラの木は満開だ。

帰りに園芸コーナーで、オステオスペルマムの花苗を買った。中心の紫色が立体的な、八重咲きの白い菊で、初めて見る品種だ。

啓蟄の日、元気なセントポーリア

 

セントポーリア、3月5日

最近、毎朝セントポーリアのツボミの膨らみを観察するのが楽しみだ。今日は3月5日、春を感じる啓蟄の日。

写真に撮って拡大すると、また違った景色、世界が見えた。生命力旺盛で、葉も茎もツボミも光っている。植物のオーラ? 残したい成長記録だ。

戦争と平和

過去に多くの人が「戦争と平和」の課題に取り組み、努力し、祈ってきた。
その間、いろいろなドラマがあっただろう。平和を得る代わりに得たもの、それは希望であったり、絶望であったり、友情であったり、苦しみであったりだった。過去の人々成果を享受しているのが現在の状態だ。

平和を語るとき、ある人は何らかの躊躇を感じると思う。
そんな柄ではないと思う人もいれば、気恥ずかしさを感じる人もいるだろう。公然と平和運動をする人以上に、密かに平和を願っている人々大勢いる。平和祈願をする人々の中には、宗教者もいれば、子供もいる。現状が少しでも嫌だと思う人々は、すなわち広い意味で平和を願っていることになる。

「戦争と平和」という一組の言葉があるように、戦争ない状態が平和であると考える人もいる。事件が起こらないこと平和と思う人もいる。

Painted by H.T.

私はこう思う。いまだかつて世界に平和が訪れたことがあるだろうか? 答えは否。いつもどこかで争いが起きている。悲しんでいる人がいる。正しくない規則に縛られて生きている人がいる。

全世界が知らなくても、絶えずどこかで問題が起ているその争いの連続が人間の歴史を作ってきた。平和の時代であれば、歴史の記述者は困ってしまうだろう。書くことがないのだから。

平和を願う者の突き詰めた思いは、すべてのものが一斉に平和である状態」だろう。日本の平和だけを願う者、あるいはアジアの平和を願う者、特定地域の平和を願う者は、真の平和主義者の一歩手前にいる。全体の平和を願う者だけが祝福されるのだ。

政治家に関して言えば、今の地球上を見渡すと、誰も全体の調和ある平和を望んでいないようだ。かつて平和に対する正しい理解を持っていた人も、一度政界という世界に組み込まれると、小規模平和推進者にならざるを得ない。それが今の政治家の役目であるからだ。

すべての政治家は防御態勢に入っている。一見、他国を攻撃しているように見えてもよく分析してみると、それは防御のための攻撃なのだ。現在の戦争も防御のための戦争だ。

一体何をそんなに防御しているのだろう。そんなに守るものがあるのだろうか? 人にも当てはまることだが、国家も防御するものがなければ、攻撃もない。防御するものを捨てれば、攻撃は免れる。シンプルな理屈だ。

註:「眼(あい)天使が語った道しるべ」
2020年電子書籍より。

家なかのミニ花壇

家なかのミニ花壇

今日は日曜日。2月4日から始まった北京オリンピックも今日で閉会式を迎える。厳しい寒さもあり、外の散歩は敬遠しがち。今回はオリンピックをいつもより多く視聴した。

テレビの横に飾った鉢植え達は、家に居ても自然の力を与えてくれる。選手達と同じようにたくましい。

濃い白色のカランコエは、昨年の夏、スーパーの花屋で最後の売れ残りだった。小さな花がひとつだけ開いていたが、後は葉っぱだけでシーンとしていた。1か月後、やっと他の花が咲き始めた。半年かけて、今は白い八重の小花で覆われている。分厚い葉っぱから、さらに多くのツボミを覗かせている。

11月に東京で買ったシクラメンも形良く全てほぼ90度に整列している。元気なシクラメンに当たった。

水だけで10年は生きているセントポーリア。根が土の上からワサビ状になって出ている。それでも昨日、小さな1ミリほどのツボミをふたつ見つけた。開花が楽しみだ。今年はどんな形と色で咲いてくれるのだろう。

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