9月も今日が最後だ。
約半年、空き家が続いた実家。庭の手入れ、換気、弱くなった木部の補修など、メンテナンスが生活の一部になっていた。明日から新しい住人が活用してくれる。大きなひと区切りになる。

庭に行くと、都会の中の小さな自然を感じる。長いマンション暮らしの中、ひと時、昔の庭のある生活を思い出す半年になった。今週はアゲハ蝶や小さな蜘蛛、ヤモリにもよく出会った。明日から、また土から遠ざかる生活になる。


これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
9月も今日が最後だ。
約半年、空き家が続いた実家。庭の手入れ、換気、弱くなった木部の補修など、メンテナンスが生活の一部になっていた。明日から新しい住人が活用してくれる。大きなひと区切りになる。
庭に行くと、都会の中の小さな自然を感じる。長いマンション暮らしの中、ひと時、昔の庭のある生活を思い出す半年になった。今週はアゲハ蝶や小さな蜘蛛、ヤモリにもよく出会った。明日から、また土から遠ざかる生活になる。
一人暮らしの食事は気をつけないと偏りがちになる。
その結果はやはり体に出てきた。
これからの人生のため、体づくりを本気で、考えたのが2週間前。ネットでダイエットのためのトレーニングジムを探した。徒歩圏内で通いやすいパーソナルトレーニングジムに決めた。
ジムの週2回のトレーニングのほかに毎日の食事を見直している。今までは独り身の気楽さから、好きなものを買ってきて、食事のほかに間食も多かった。料理に時間をかけたくないので、簡単にすましがちだ。
トレーニングを始めてよかったことは3食の献立やバランスを考えるので、間食がなくなった。外食をしなくなり、簡単な常備副菜を料理するようになった。食べたい量の加減をするので、いつも冷蔵庫に残り物があるのもよい。
毎回の食事の献立を考える生活は、忙しい会社員時代、介護生活時代は、難しかった。食事時間10分のこともあった。今は時間が自由になるので、食生活を立て直す良い機会にしたい。
2日前、外で転倒した。公共の場では2回目だ。転倒事故が多いとは聞いていたが、やはり、他人事ではないと実感した。
近くの住宅街をぬけたところの階段。昔、小学校の登下校のときは、ジャンケンで、グリコ、チヨコレイト、パイナツプルと階段を進んで遊んだこともあった。
今回は階段幅が不揃いの石段の目測をあやまったのだろう。少しカーブになっているところで足を踏みはずした。とっさに後頭部を保護しようと首を挙げたのだが、最後に「コツン」と頭の中で響いた。頭の打撲はこわい。
階段にすわったまま、動けない。足を見ると、ひざ小僧やくるぶしが赤くすりむけ出血している。
その日の用事をキャンセルして、駅近の脳外科クリニックで脳CTの予約をとった。運良くすぐに診てくれると言う。脳ドッグではない事故なので保険適用だ。小さな丘状のコブが熱い気がしたが、医者は映像を見ながら、「頭の骨は厚みがあるので大丈夫でしょう」との診断。まずは安心した。
今回の反省は「履き慣れない靴に気をつけよう」と言うことだ。ふだんはほとんどウォーキングシューズだが、この時はふつうの靴にワンピース。新しい感覚について行けず、ウォーキングシューズの感覚でスタスタ軽快に歩いたのがよくなかった。
オシャレ第一より、安全第一の年代に入ったと痛感した。
8月の終わり、NHKのEテレビ 、「100分で水木しげる」を観た。4名の論客が水木しげるとのかかわり合いを情熱をもって楽しく語っていた。
私も水木しげるは生前、注目の人であったので、番組に刺激を受け、すぐに未読の彼の作品を探した。生誕100周年に相応しい水木しげる全集最後の巻、「水木しげる人生絵巻/わたしの日々」(編集、京極夏彦)を電子書籍で購入。即、読み始めた。
今彼が喋っているような若々しい文章のエッセイが詰まっている。彼の人生は超多忙だったが、猫の人生が理想とある。「好きな事をして、好きな時に昼寝する。暇なことはいいことだ。」一方、いつも趣味がないと仕事ができなかったそうだ。
若い頃は、ゲーテ、ニーチェなどの哲学書を愛読し、海山に恵まれた自然の中で思索した。厳しい環境下で戦争体験した彼は「敵と共に生きる」とも述べている。
「今生きている時代と折り合って生きるか、時代と離れて生きるかの迷いがある。」
「死も苦しみではなく、楽しい楽園の入り口ではないか? 夜布団の中で、楽園についていろいろ想像する。その時間もすでに楽園だ。」共感する。
8月23日、日差しの強いちょうど正午。
近所の長い石段を降り切ると、突然、右側から縄状の物体が目の前に現れた。1.5メートルはありそうなヘビだ。ゆっくり左側のガレージシャッターの下に消えていった。
住宅街でヘビに出会うのは何十年振りだろう。
早速、ネット検索した。本州では8種類のヘビがいるだけだ。そのうち最長2メートルと長〜く成長するのはアオダイショウだけ、毒性はない。
いつもなら予期せぬ見慣れぬ生き物の出現には、過剰な反応をする。しかしこの時は、ヘビは幸運をもたらすことを瞬時に思い出した。ヘビに声をかけ、カメラに収めることが出来た。
8月14日、猛暑の日曜日の午後、有楽町駅近くの出光美術館を訪ねた。
聖人と思える板谷波山、1872年から1963年まで、91歳の生涯を送った。88歳の年、人間国宝を辞退している。
出光佐三は美術館の創業者、実業家、そして波山の支援者。多くの波山の作品を今日まで守ってきた。1885年から1981年までの波乱の人生を生き抜き、95歳の大往生だった。以前、話題になった映画「海賊と呼ばれた男」を思い出し、早速アマゾンプライムで視聴した。
完璧を目指す波山は気に入らない作品は惜しげもなく壊した。出光佐三は「破壊せぬよう命乞い」をし、波山も「良き場所に嫁ぐなら」とそれを許した。
崇高な波山の精神を映した多くの芸術品を鑑賞し、また日本の偉大な実業家の道をたどって、良き時間が流れた。
猛暑日が続き、日中は不要不急の外出は避けている。
しかし夕方の風は心地よく、ウオーキングに出る。今日8月11日は山の日で休日だが、近所の人通りは少ない。
スーパームーン級の大きな満月を見つけ、嬉しくなり、普段と違う街中の満月を撮ってみた。日本国民はもとより、中国人民もアリゾナ州の米国人もウクライナの人も同じ月を見ている。
8月2日、3年振りの2万発の花火大会を1ヶ月前から楽しみにしていた。ネット予約でチケットを購入できた。
7時から和太鼓の演奏会、そして7時30分ちょうどに始まる瞬間が特に好きだ。多くの花火を重ねて打ち上げるため、時間経過とともに白煙が多くなる。前半がカメラのシャッターチャンスだ。
グランドフィナーレは特別豪華だ。バックミュージックのオーケストラに増幅されるように、重なる色とりどりの花火で締め括られた。今年も感激の夏のイベントだった。
花火の音は遠く鎌倉まで聞こえたそうだ。
7月10日(日曜日)参院選の朝、空の雲の様子に目が止まった。前々日の8日金曜日の昼前、大和西大寺駅前の広場で演説中の元首相、安倍晋三さんが銃弾に倒れた。
その日の夕方、天国に旅立たれた。
(昭和29年9月21日生〜令和4年7月8日享年67歳)
6月18日19日の2日間、新橋の博品館劇場で、NPO日本朗読文化協会主催の第18回「朗読の日2022」が開かれた。
3年振りの開催とあって盛況、開演前の長い列の人、人、人。
土曜日の午後2時間30分の間のチケットを購入し、全国から参加の12名の朗読者の成果に耳を傾けた。
朗読の世界は一定ではなく、表現も幅が広いことを実感した。扱うテーマは、すなわち参加者の興味の対象だろう。世代により様々な作品が提供される。表現の仕方も年齢で全く違う。
今回鑑賞した作品で言えば、実体験はなくても、伊藤左千夫「奈々子」がよかった。子供を亡くした親の気持ちが伝わってきた。自分の興味があるジャンルもはっきりしてきた。
朗読と言うより、一人芝居のように話される方、読むというより全て暗記されている方。様々な形があることを学んだ一日だった。