アントニオ猪木氏の他界

プロレスには関心がなかったが、10月1日の逝去報道には驚いた。享年79歳。

政治家になってから、新聞に載るニュースは胸のすく内容が多く、日本人からみて型破りの行動力を持っていた。

若いころ、自宅に侵入した泥棒を夫婦で捕まえた。独自のルートでイラクの日本人人質を解放した。国交断絶だった北朝鮮と友好関係を深めた。ユーチューブで荘厳な病気との戦いを死の間際まで記録し、公開していた。個人的に記憶している話題をたくさん思い出した。

確かテレビ局は逝去当日に、2時間の特別追悼番組を流していた。最後まで見入ってしまった。モハメッドアリとは始め、会見で火花を飛ばしあい、悪口の言い合いだった。しかし後年、アリから結婚式の招待状が届いたそうだ。また「アリ、ボンバイエ」の曲を贈呈され、猪木のテーマ曲「炎のファイター」にアレンジされた。

多くの名言が紹介されている。私が特に好きなフレーズは
「元気が一番。元気があればなんでもできる」
「ちっちゃなケンカをするたびにスケールがちいさくなる」

十三夜の名月

10月8日、栗名月

もうすぐ古稀を迎えて1年になる。自分を観察してみると、やはり昔と同じではない。身体能力の低下を認めざるを得ないのが現実だ。

先週、初めて歩行困難、立っていられない目まいを経験した。

横になってもコップの水も飲めない。胃腸の不快感。症状が急速に進むので、生まれて初めて救急車で搬送された。重なるストレスや加齢による衰えからきたらしい。後日、一過性の目まいで再発はあまりないと診断され、安心した。知らず知らずに集中時間が長くなる行動パターンがストレスを生み、脳に負担をかけていた。

昨夜、外を歩行中、光り輝く月に気が付いた。自宅に帰って調べると十三夜の栗名月の晩らしい。夜中、再び月をじっくり眺めた。欠けた十三夜くらいを目標にし、休みながらゆっくり前へ進もう、と思う。

明日から空き家再生

9月も今日が最後だ。
約半年、空き家が続いた実家。庭の手入れ、換気、弱くなった木部の補修など、メンテナンスが生活の一部になっていた。明日から新しい住人が活用してくれる。大きなひと区切りになる。

アゲハ蝶の優雅な羽根の動き

庭に行くと、都会の中の小さな自然を感じる。長いマンション暮らしの中、ひと時、昔の庭のある生活を思い出す半年になった。今週はアゲハ蝶や小さな蜘蛛、ヤモリにもよく出会った。明日から、また土から遠ざかる生活になる。

9月4日、梅雨前とは違う雑草
手入れ後、サッパリした

食を見直し、ダイエット開始

一人暮らしの食事は気をつけないと偏りがちになる。
その結果はやはり体に出てきた。

これからの人生のため、体づくりを本気で、考えたのが2週間前。ネットでダイエットのためのトレーニングジムを探した。徒歩圏内で通いやすいパーソナルトレーニングジムに決めた。

ジムの週2回のトレーニングのほかに毎日の食事を見直している。今までは独り身の気楽さから、好きなものを買ってきて、食事のほかに間食も多かった。料理に時間をかけたくないので、簡単にすましがちだ。

トレーニングを始めてよかったことは3食の献立やバランスを考えるので、間食がなくなった。外食をしなくなり、簡単な常備副菜を料理するようになった。食べたい量の加減をするので、いつも冷蔵庫に残り物があるのもよい。

毎回の食事の献立を考える生活は、忙しい会社員時代、介護生活時代は、難しかった。食事時間10分のこともあった。今は時間が自由になるので、食生活を立て直す良い機会にしたい。

石階段を踏みはずした

2日前、外で転倒した。公共の場では2回目だ。転倒事故が多いとは聞いていたが、やはり、他人事ではないと実感した。

近くの住宅街をぬけたところの階段。昔、小学校の登下校のときは、ジャンケンで、グリコ、チヨコレイト、パイナツプルと階段を進んで遊んだこともあった。

今回は階段幅が不揃いの石段の目測をあやまったのだろう。少しカーブになっているところで足を踏みはずした。とっさに後頭部を保護しようと首を挙げたのだが、最後に「コツン」と頭の中で響いた。頭の打撲はこわい。

階段にすわったまま、動けない。足を見ると、ひざ小僧やくるぶしが赤くすりむけ出血している。

その日の用事をキャンセルして、駅近の脳外科クリニックで脳CTの予約をとった。運良くすぐに診てくれると言う。脳ドッグではない事故なので保険適用だ。小さな丘状のコブが熱い気がしたが、医者は映像を見ながら、「頭の骨は厚みがあるので大丈夫でしょう」との診断。まずは安心した。

今回の反省は「履き慣れない靴に気をつけよう」と言うことだ。ふだんはほとんどウォーキングシューズだが、この時はふつうの靴にワンピース。新しい感覚について行けず、ウォーキングシューズの感覚でスタスタ軽快に歩いたのがよくなかった。

オシャレ第一より、安全第一の年代に入ったと痛感した。

水木しげる、生誕100周年

8月の終わり、NHKのEテレビ 、「100分で水木しげる」を観た。4名の論客が水木しげるとのかかわり合いを情熱をもって楽しく語っていた。

私も水木しげるは生前、注目の人であったので、番組に刺激を受け、すぐに未読の彼の作品を探した。生誕100周年に相応しい水木しげる全集最後の巻、「水木しげる人生絵巻/わたしの日々」(編集、京極夏彦)を電子書籍で購入。即、読み始めた。

今彼が喋っているような若々しい文章のエッセイが詰まっている。彼の人生は超多忙だったが、猫の人生が理想とある。「好きな事をして、好きな時に昼寝する。暇なことはいいことだ。」一方、いつも趣味がないと仕事ができなかったそうだ。

若い頃は、ゲーテ、ニーチェなどの哲学書を愛読し、海山に恵まれた自然の中で思索した。厳しい環境下で戦争体験した彼は「敵と共に生きる」とも述べている。

「今生きている時代と折り合って生きるか、時代と離れて生きるかの迷いがある。」
「死も苦しみではなく、楽しい楽園の入り口ではないか? 夜布団の中で、楽園についていろいろ想像する。その時間もすでに楽園だ。」共感する。

住宅街のヘビ

8月23日、日差しの強いちょうど正午。

近所の長い石段を降り切ると、突然、右側から縄状の物体が目の前に現れた。1.5メートルはありそうなヘビだ。ゆっくり左側のガレージシャッターの下に消えていった。

アオダイショウ、8/23/2022

住宅街でヘビに出会うのは何十年振りだろう。
早速、ネット検索した。本州では8種類のヘビがいるだけだ。そのうち最長2メートルと長〜く成長するのはアオダイショウだけ、毒性はない。

いつもなら予期せぬ見慣れぬ生き物の出現には、過剰な反応をする。しかしこの時は、ヘビは幸運をもたらすことを瞬時に思い出した。ヘビに声をかけ、カメラに収めることが出来た。

板谷波山と出光佐三

8月14日、猛暑の日曜日の午後、有楽町駅近くの出光美術館を訪ねた。

波山、大正3年、高さ38.6cm

聖人と思える板谷波山、1872年から1963年まで、91歳の生涯を送った。88歳の年、人間国宝を辞退している。

波山の晩年最後の作品、椿文茶碗

出光佐三は美術館の創業者、実業家、そして波山の支援者。多くの波山の作品を今日まで守ってきた。1885年から1981年までの波乱の人生を生き抜き、95歳の大往生だった。以前、話題になった映画「海賊と呼ばれた男」を思い出し、早速アマゾンプライムで視聴した。

天目茶碗、銘 命乞い 1944年

完璧を目指す波山は気に入らない作品は惜しげもなく壊した。出光佐三は「破壊せぬよう命乞い」をし、波山も「良き場所に嫁ぐなら」とそれを許した。

崇高な波山の精神を映した多くの芸術品を鑑賞し、また日本の偉大な実業家の道をたどって、良き時間が流れた。

街中の満月

猛暑日が続き、日中は不要不急の外出は避けている。
しかし夕方の風は心地よく、ウオーキングに出る。今日8月11日は山の日で休日だが、近所の人通りは少ない。

満月、8月11日19:51

スーパームーン級の大きな満月を見つけ、嬉しくなり、普段と違う街中の満月を撮ってみた。日本国民はもとより、中国人民もアリゾナ州の米国人もウクライナの人も同じ月を見ている。

3年振り、みなとみらい花火大会

8月2日、3年振りの2万発の花火大会を1ヶ月前から楽しみにしていた。ネット予約でチケットを購入できた。

花火開始35分前の茜空

7時から和太鼓の演奏会、そして7時30分ちょうどに始まる瞬間が特に好きだ。多くの花火を重ねて打ち上げるため、時間経過とともに白煙が多くなる。前半がカメラのシャッターチャンスだ。

19:38 開始から8分後
終了3分前、有終の美の始まり

グランドフィナーレは特別豪華だ。バックミュージックのオーケストラに増幅されるように、重なる色とりどりの花火で締め括られた。今年も感激の夏のイベントだった。

花火の音は遠く鎌倉まで聞こえたそうだ。

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