靖国神社の標本木による桜の開花宣言が例年より遅れている。横浜も昨日の開花予測日が過ぎて、今日も肌寒い。

帷子川沿いのソメイヨシノ
3月27日、久しぶりの快晴、青空に誘われて、イングリッシュガーデンの花々の様子を見に行った。

2月に訪ねたときは、整頓された地面に花が寂しく咲いていたが、今は春らしい花々でプロムナードが飾られている。
午後は愛犬を車に乗せて撮影する様子もよく見かける。



これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
靖国神社の標本木による桜の開花宣言が例年より遅れている。横浜も昨日の開花予測日が過ぎて、今日も肌寒い。
3月27日、久しぶりの快晴、青空に誘われて、イングリッシュガーデンの花々の様子を見に行った。
2月に訪ねたときは、整頓された地面に花が寂しく咲いていたが、今は春らしい花々でプロムナードが飾られている。
午後は愛犬を車に乗せて撮影する様子もよく見かける。
小さな空き缶の中でよく育っている。去年、山口県の道の駅で旅の記念に購入した。急に新芽が多く出てきた。
赤い部分がグリーンになり、分厚い葉になり、ヒダをつける。伸びる角度がまちまちで変化を楽しめる。力をくれる。
昨年11月に白色と赤色を二つ購入した。白色が咲き続けている。白が勝ったと言うと赤に申し訳ないが、白は5ヶ月経っても可愛らしい花が咲いている。
中央の白色の大きな葉が新しい。次第に色がつき、模様が入ってくる。歩みはゆっくりだ。
肥料なく、水だけで元気に育っている。水の力はすごい。
アカデミー賞授賞式のニュースを見て早速3月14日午前中の回を予約した。
ストーリーもゴジラの姿も、予想以上に没入した。隣の席の老人が終わり間近で席をたったのはもったいない。
退屈を感じる間は何もない。
テンポよく、時代が進み、ゴジラの登場も観客の期待よりも早く現れる。登場人物の科白も現代風で短いのがよかった。
戦中から昭和の時代、私の時代よりやや古い街並みや家の造りが出てくるが、なぜか懐かしくしみじみと懐古主義に浸る。
エンターテインメントでありながらヒューマンストーリー性が強い。世界に日本の精神性を軽やかに説明してくれる映画であり続けるだろう。
鑑賞した後、ユーチューブで山崎貴監督、神木隆之介、浜辺美波の鼎談を視聴した。今から4ヵ月前、撮影裏話を語っており、山崎監督の思い、狙いがよくわかった。ゴジラは動物としてではなく、原爆のメタファーとして、「祟り神」としてデザインしたと語っていた。地を這う姿勢ではなく、背骨をより立たせた。
ラストシーンの前からずっと涙が出てきた。もう一度じっくり観たい映画だ。
日記をつけて30年以上になる。
記録をしないと日々の歩みが頭に整理して入らない。何でもない1日でも貴重だ、記録に残したい。性分だろう。
過去の日々の記述を読み返すと、意外に楽しい。後ろ向きの感情は書いていない。その時の小さな出来事を客観的に眺められる。
最近は読み返しても思い出さないことがある。
例えば映画のタイトルなど、感動したことが書かれていても思い出せない。旅先の感想も本当に自分が訪れたのか、と思うこともある。
年を重ねて多くの楽しい記憶もつかの間。すぐに次の記憶が入ってくる。これでいいのか、と日記を閉じて睡眠に入った。翌朝、頭の中に古風な一文が浮かんでいた。
“かりそめを楽しむ、あなうれし”
これで納得だ。
今年は英語の勉強に取り組んでいる。学校にも通い始めた。
英語は仕事で接していたが、退職して15年が経ち、もう英語を話す環境から離れた。海外の友人とのメールの交換も誕生日や自然災害が起きたときくらいだ。
きっかけは昨年ニュージーランドを旅行し、国際交流をしている若い日本人達に接したことかもしれない。帰国し、新年を迎えたら、英語のブラッシュアップをしよう、という強い思いが浮かんできた。
今なら毎日英語のシャワーを浴びることも不可能ではない。
午前中は優先的に洋画を1時間視聴している。毎日続けるにはこのくらいの長さが良さそうだ。John Lennon in New Yorkは当時ニュースになっていたが個人的には詳しくなかった。今集中して見ると様々な見方ができ、素晴らしい記録で、2度視聴した。Jojo Rabit はフィクションで強烈な科白が多いが、狂気のヒットラー時代を考えさせる。
夜はNHKニュースを英語音声で聞き始めた。
マンツーマンの英会話レッスンでは、自分の思いや意見、経験を正確に伝えることに苦労している。日本語でも難しい。普段の日本語使いも同じように意識しなくては、と思っている。
家では小さな花屋さんのイメージで観葉植物と花が付く鉢植えを20鉢ほど置いている。
何年か前に買ったシャコバサボテン、デンマークカクタスともいう。毎年花が咲くと聞いていたが、いっこうにツボミが出ない。諦めかけていたところに、今年急に朱色とピンク色が混ざった小さな小さなツボミがいっせいに付いてきた。
昨日、最初の花が開花した。ツボミも一番乗りは嬉しいに違いない。
1月20日、冷雨が降る中、久しぶりに東京駅から一つ目の竹橋に来た。姉と待ち合わせて、皇居三の丸尚蔵館へ向かう。
入館して正面に展示されているのが奈良一刀彫の像。ユーモラスな表情と美しい着物の彩色が始めに目を引いた。
他ではなかなか見ない一対の七宝焼きの大壺。
この正月に玉造温泉でたくさんのメノウのアクセサリーを触った。掌でいつくしむ感覚はよくわかる。メノウは手遊びでいつまでも触っていたい。
香淳皇后(1903〜2000)にサウジ国王から贈られたネックレスのモチーフは可愛らしい花で今風だ。
壁一面、大迫力の太陽と富士山、皇居内でのみ鑑賞できる大観の2千点にのぼる富士山の絵の中で秀逸大作。
正面に設置されていたベンチに座って作品を眺めながら、日本の近代史現代史を思う。
今日はクリスマス。
先週始めに微熱が出た。ニュージーランド旅行中、コロナにかかった。旅の終わりで日本の入国の際、体温センサーにも引っかからなかったが、翌日発熱外来でコロナ判定をしてもらう。陽性反応が出た。意外というか、やはりと言うか、複雑な心境だ。
今年5月からコロナが5類に移行したおかげで、療養について規則はなくなった。治療については、ラゲプリオという特効薬を紹介された。高齢者や持病のある患者向けで、毎日8個のカプセルを5日間服用。昨日で飲み切った。
以前、多種多様の症状を見聞きした。喉の痛み、話しにくさ、痰の絡み、身の置き所がないような不快感、眠気、頭の重さ、幻想など少しづつ移り変わり、効果の速さを実感した。普段、クスリは飲まないが病気の時は本当にありがたいと思う。コロナ禍の初期の頃は患者は大変だっただろうと今更ながら思う。
1週間、ずいぶん睡眠をとった。寝ている間にカラダがウイルスと戦い、普通の風邪より時間はかかっているが徐々に回復してきた。
年末のコロナの通過後、来年2024年、改めて神様中心にした一日一日を大切に生きよう、と心に思う。
12月を迎えた。
今年一年を漢字一文字で表すと、「訪」が浮かぶ。
気になっていた多くの土地を訪ねることができた。
のどかに過ぎた。
が、年末に近づくにつれ「戦う」
「争い」は後味わるく避けているが、私は時々「戦う」
戦わなければ、落ち着かない。
筋を通したい。
戦って相手から理解を得られると、嬉しい。
理解を得られなくても、戦ったあとは後味が良い。
安心して先に進むことができる。
国立新美術館、企画展示室にて
2023年7月12日〜10月2日の期間、開催された。
9月29日の朝、アートの広告メールで知り、ぶらりと訪ねてみた。
230年前のイタリアの月明かり。雲が流れている。
イタリアの火山噴火、自然の脅威。
イギリスのラファエル前派の画家。
森の中に横たわるシェークスピア、ハムレットの「オフェーリア」は彼の代表作品だ。
瀬戸内海の豊島にもリヒターの作品、14枚のガラスが、自然と融和して展示されている。