8月1日の梅雨明け

 

8月2日 11時

8月1日、平年より11日遅く、待ち遠しかった梅雨明け宣言が出た。
ベランダから見える空は懐かしの夏の空。
カラッとした空気、昨日までの梅雨とは全く違う。

青空を眺めているだけで、気分は上がる。
今年は6月11日の梅雨入りだった。
真っ白い雲の下側のグレーゾーンは今のコロナ禍を表しているようで、夏の明るさを楽しむには100%には少し届かない。

日中は30度を超える真夏日なので、夕方7時近く、陽が落ちてから散歩に出た。風も気持ち良い。桜木町駅までゆっくり歩いて、40分。今日はほぼ満月に近い明るい14夜月だった。みなとみらいの動く歩道からしばし月を眺めた。

下の写真、右側の建物は6月29日に全面供用開始された新しい横浜市庁舎。
32階建ての行政に当てられた高層ビル。2017年から着工され、工事期間は約3年と今年に入っての検査で竣工という早さに驚く。
手前の横浜らしい船形の8階の建物は議会棟で母屋の行政棟と離れている。
左は横浜アイランドタワーで2003年竣工した17階建てのオフィスビル。

ほぼ満月、横浜市庁舎

 

誤嚥性肺炎を予防する食事:母の場合

2013年、ある老人ホームで、ドーナツを提供し、入所者の85歳の女性が窒息、心肺停止になった。准看護師が過失致死罪を問われていた裁判で、逆転無罪になったニュースを読んだ。妥当で嬉しい判決だと思う。73万筆の無罪を求める署名があったそうだ。

私の母も要介護度が高くなった時、デイサービスやショートステイ先のおやつや食事による誤嚥性肺炎で、救急車にお世話になったことを思い出した。

逝く前の1年間は、「自宅で看護する」という主治医やケアマネージャー、私を含めての話し合いがあった。「救急車を呼び、数週間入院して炎症を抑える」の選択はなくなった。延命処置は考えていなかった。主治医からは「余命数週間」と告げられていたので、退院後、流動食を自宅で3食用意するという重い課題があった。通販の缶詰のジュースや噛まずに食べるシリーズは母の食べる楽しみをなくすだろう。病院の流動食も素材の味が残っていなかった。

家では骨に負担にならないよう車椅子を使わず、電動エアマットベッド上の生活が続いた。母は食欲を保ち、三度の食事を規則正しく食べてくれた。基本は食事はあまり凝った料理をせず、「本人の好きなものだけ」にした。ナースステーションから看護師研修生が、参考に話を聞きに来たこともあるので、ここに紹介したい。

食事:お粥にふりかけ。温泉卵1日2個くらい。ヨーグルト。
りんごのすりおろし。牛乳と小松菜をジューサーにかけたドリンク。
油物は消化の負担になるが、たまにとろとろしたクリームコロッケ。カレイの煮物。ナスの煮物。
銀だらや銀シャケの細かくしたフレーク。
柑橘類の天然ゼリー状100パーセントジュース。

おやつ:アイスクリーム。チーズケーキ。チョコレートケーキ。わらび餅小片。
ドーナツ、カステラは温めた牛乳につける。

これらのメニューを繰り返し、用意した。喉で「ゴックン」と飲み込んだことを確認しながら、時間をかけて食事することも、重要なチェック点だと思う。

 

横浜市の米軍跡地にテーマパーク構想?

7月20日の情報番組で、瀬谷区、旭区の巨大な空き地、農地にディズニーランドや大阪のユニバーサルスタジオを超える大きなテーマパークを建設する案があると伝えていた。コメンテータは「なぜ?」という意見が多かった。若いアナウンサーは、「いいと思います、年間パスポート買います」と喜んでいる様子だ。

この世代ごとの反応は他のインタビューでも同じだ。地元の人たち、年配の人たちは自然破壊や交通渋滞による大気汚染、ホテル乱立も予想される観光賑わいゾーン構想に顔を暗くする。年間650万〜1300万人の利用者を想定し、横浜市、国は多額の公金を投資する。一部では1300億円の投資額と報道されていた。

新型コロナ対策で混乱気味の時期に、なぜ今、この報道がされるのか、理解できない。経済にゆとりもなく、新しい日常基準 で入場制限した場合の対策はもちろん未定だ。土地の返還前の2006年に発表され、地元に説明された指針は、公園や防災ゾーン、緊急医療施設も作るなどの住民説明会があったのが、話が変わったようだ。

首都圏の広大な土地は貴重だ。住民は高齢者も多い。若者の娯楽施設が多すぎないだろうか。東京のとしまえん跡地も、2023年にハリーポッターテーマパーク開園を予定している。日本の土地を外資の嗜好、アイデアに任せていいのか、不安を感じる。瀬谷区もアメリカの大手映画会社に頼む案だ。今、停滞している横浜のカジノリゾートも外資頼み、横浜市民の多くが喜ばない娯楽施設だ。

2015年に米軍から返還された242ヘクタールの土地活用はテーマパーク構想になり、地元でも知らなかった人も多いようだ。しかもコロナ禍が発生する前の計画だ。政治家は軌道修正は考えないのだろうか。不思議だ。

私は自然を守り(ある程度残し)、近郊農業の育成、医療施設、防災センターの充実に1票投じる。安心感とゆとりを与えてくれる。観光施設とシニア市民が利用できる施設、両方の良いバランスを取ってほしい。

みなとみらいギャラリーで創作人形展

7月24日、4連休の2日目、横浜みなとみらい方面に出かけた。
野外で人出は多く、休日の賑わいを感じた。99パーセントの人々はマスクをしている。暑いが仕方がない。

クイーンズスクエアに行くと、人形展が見えた。5月にゴールデンウィークに開催予定の公募展「第二回My クリエイティブドール展」が延期になり、今週に変更されたそうだ。入場無料、ブラリと立ち寄った。撮影自由、ブログ掲載もよいことを確認した。

一般の人の応募作品と創作人形作家の作品コーナがあった。

左の作品は一番印象に残った森松英子氏の作品。若いお母さんは身につまされるだろう。今年のコロナ禍の生活を
細かく表現していた。精細さに驚く。

 

係の方が、レジ袋にはレシートも入ってますよ、と教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創作衣装も洋装から着物、昔の普段着物などデザインや色合いも楽しめた。

男性モデルの人形は珍しい。ファッショナブル!

 

堤寛(ゆたか)先生の「感染症大全」

朝日新聞の書籍広告で堤先生の著書を見て、電子書籍で購入した。
先生はベテラン病理医で現在、名古屋で開業されている。病理学の役割を新聞に連載されたり、医者、看護師用教科書も執筆されていた。仕事場で何年間か秘書的業務で近くで働いたことがある。熱血漢タイプの情熱あふれる先生だ。ミャンマーの孤児院の衛生環境改善のため現地を訪ねたり、オーボエの吹奏楽で医療施設で演奏されたり、CDを制作されたり、、と活動範囲が広い先生を思い出した。

病理診断の中でも感染症の専門医だ。この400ページ近い本は「楽しんで読んで下さい」とまえがきにあるが、ウイルス、細菌、寄生虫と電子顕微鏡の中の世界が網羅されている。私はコラム中心に拾い読みをしたところだ。裏話や先生の率直ななコメントは分かり易い。

新型コロナについても所々、4月現在のデータで加筆されている。印象に残ったのは「政局やマスコミの報道次第で、全体の負担が増えること。市民と医者、開業医の過剰負担。1月に ”新型コロナが指定感染症” にされたことで、強制入院が可能になったこと。学校閉鎖は人々の認識向上には役に立ったが、過剰反応ではなかったか?」

感染症と社会の関係も書かれている。2002年、米国ハーバード大学内科医マーシャ・エンジェルの言葉、
「昔々、製薬会社は病気の治療薬を売り込んでいた。今日では、しばしば薬に合わせた病気を売り込みます。」
国際的製薬企業がワクチンを売るためにパニック・キャンペーンを画策した疑いがあった年だ。

安全対策で大事な公費を多額に減らし、人々のエネルギーを消耗している。日本や世界各国同じような事情だ。昔と同じパンデミック状況、著者は「人々は歴史・過ちから学ぶことがあまり得意でないことがわかるだろう」と述べている。

転ばぬ先の杖

7月8日の夕方、バスの中で転倒した。転倒事故の話はよく聞くので、足元は注意するほうだ。今回の教訓は、「急ぐと、転ぶリスクが高くなる」という、当たり前のことだ。

バス停に2台のバスが来た。どちらも私の目的地を通る。コンビニから出た時、瞬時に車内の混み具合を比較し、初めのバスに急いだ。バスを待っている数人の人たちは、2台目に乗るようだ。バスのステップは、標準より低めだった。乗る前につまずき、バスの階段の角で右足の弁慶の泣き所を強打、そのまま、床に寝る格好になった。料金を払うため、手にあったスマホはどこかに投げ出され、私はそのまましばらく痛みで動けなかった。

数人のバス停の人たち、車内の人たちを待たせる格好になったが、じっとするしかない。バスの女性乗客が飛んだスマホを拾い、助け起こそうとしてくれた。運転手さんも、「救急車を呼びましょうか?」と呼び掛けた。それほどでもない。右足に力が戻ったところで、ゆっくり起きて、空いていたシルバー席に座った。

足を引きずって家に戻り、ズボンの裾を上げると、スネに大きなコブと切り傷が出来ていた。右肘も打撲した。骨は大丈夫だったのでまずは安心。処置をネットで調べると、「打撲にはアイシングが良い、入浴は控えよ、安静」とある。それから1時間半、保冷剤で冷やした。翌日、驚くほど、腫れは引いていたのでアイシング効果を実感。しかし外出の予定はキャンセルだ。

バスは待ってくれなくても、時間は待ってくれる。「不要不急な行動を、少なくしよう」と少し反省した。

奇跡のセントポーリア

6月1日のブログで2鉢の勢いのあるセントポーリアの写真をアップした。約半年間毎日眺めて今年上半期を過ごした。

すると6月下旬、白色でうっすらと紫が入った最後の花びらと同じ茎の下に小さなつぼみを見つけた。この種の発見はとても嬉しい、感激する。しばらくするとつぼみは7個になり次々に花が開いてきた。

この花たちは奇跡の花だ。10年ほど同じ色だったセントポーリア。半年の満開を終えて、6月からは全く色を変え、形も変えて咲き始めた。今回は美しい江戸紫色。形は以前の一重の5つの花弁から八重咲きとなって現れた。これも母からの贈り物の気がする。新しい花は母のイメージそのままだ。

 

サザンの42周年記念、無観客配信ライブ

6月25日に横浜アリーナでサザンの初めての無観客ライブが行われた。
私も偶然、テレビの情報番組で知り、受付日前からチケットを購入、楽しみにしていた。夜8時から10時過ぎまで。姪を誘って一緒に観ることにした。パソコンとipadからの視聴になった。チケット購入者は約17万人、視聴者は50万人とメディアは伝えた。

前半は「You」から始まり初期の頃の懐かしいナンバーが続いた。後半はトークも多くなり、コロナに関しての演出が多くなった。アマビエのイラストを頭につけて、疫病撃退を祈り、塩の代わりに紙吹雪を撒いていた。手洗いの意味も、「手を洗うと気持ちが楽になる、ヒーリング効果というのでしょうか?」と掘り下げて語っていた。いつもながらバランスの良いトークだと思う。

後半には定番の42年前のデビュー曲、「勝手にシンドバッド」でスタッフ全員と踊りながらアリーナを一つにまとめた。最後は「みんなの歌」で締めた。画面側の視聴者も一緒に体でリズムをとったことだろう。桑田くんは「みんなの心、魂が見えます」とコメント。「東京ビクトリー」が始まる中、巨大なオリンピック聖火台が映し出された。座席にもライトが付いている。スタッフは約400名で動いていると聞いて驚いた。医者、看護婦さんもおられるそうだ。

2日後のラジオ番組で桑田くんは「コロナを逆手にとって年末へと頑張ることを教えられた」と語っていた。

コロナ禍での入院患者との面会事情

学生時代の友人が「4月中旬に突然の脳梗塞で、入院をしている」と入院先の病院から電話をくれた。普段元気で笑顔しか見たことがない友人が、左半身動かなくなった。

電話で事情を聞いてすぐにでも、お見舞いに行こうと思い、詳しい事情を知るため友人の家族に電話をした。すると「昨今、コロナ関係以外の入院患者でも家族も病院を訪ねることができないですよ。院内感染予防のため、全国の病院どこも同じですよ。」という説明だった。すべての病院患者の面会が禁止されているとは知らなかった。介護施設入所者は高齢だから、持病があるからという理由で制限されている。一般病院でも同じだったのだ。

緊急事態宣言解除になった後、東京都内のこの病院での面会の緩和が6月15日から始まった。しかしルールや規制がある。面会時間は2時から5時まで。一回10分間で人数は2名まで。お見舞い品は持ち込めない。生花でなくプリザーブの花が好ましいが、置く場所は限られている。予約やリハビリの時間の問い合わせはできない。

入院中の友人はすでに二ヶ月の入院生活を送り、リハビリ中だ。短い面会時間でも会いに行きたい、と共通の友人を誘って週末の土曜日に訪ねた。しかしルールには細則があり、面会者は1親等相当の家族のみ。遠方からの家族は遠慮してくださいとある。受付で「10メートルくらい離れて手だけでも振りたい」とねばったのだが譲歩は望めそうになかった。一人を認めると他の人も要求するということらしい。用意していたメッセージカードを渡してくれるようお願いして、すごすごと病棟を後にした。

病院の帰り、近くの公園で。
「馬とピューマ」の彫刻

 

 

映画「コリーニ事件」

6月12日、2019年制作のドイツ映画「コリーニ事件」ロードショウ初日に映画館に向かった。昨年秋にドイツの旅をして人々と言葉を交して以来、ドイツのニュースや文化、食べ物に自然と関心が向く。

今回は20世紀を舞台に現役弁護士が描いた小説から、現代においての戦争犯罪にまつわる正義のあり方を問うている。戦争中は見過ごされていた残虐行為を、戦後その犯罪性を見直し、罪を再評価できたことがこの作品の大きなテーマだ。

その他に映画の中からドイツの現状を学ぶ楽しみもある。まずトルコ移民の新米弁護士とイタリア系移民の経済学を学ぶ女子学生が事件の謎を痛快に解き明かす。微妙な移民の立場もさりげなく描かれている。この弁護士の父親もトルコで弁護士をしているが、親子関係に問題があった。幼なじみで元恋人との関係、女性の豹変ぶり、そんな中で思いやりを示す弁護士の態度にも共感できる。

殺人犯の生涯に想いを馳せた。イタリア系移民の彼は30年間は善良なドイツ市民だった、そして殺人の罪で捉われの身になった。しかし弁護士のおかげで公けの場で正義を示すことができた。故郷のイタリアの田舎に帰り、魂は子供の頃に戻り、亡き父親と再会したのだろう。戦争中の悲劇現場には目を背けるが、裁判を取り巻く人々、そして監督の優しさに悲劇の中に救いを見た。

 

 

Translate »