



享保雛、あしがり郷「瀬戸屋敷」



去年11月に入手したシクラメン、2度目の花盛りで花数が多い。毎朝花が増え、心がなごむ。

これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。







去年11月に入手したシクラメン、2度目の花盛りで花数が多い。毎朝花が増え、心がなごむ。

昨年に続き今年もヒット作、歌舞伎を描く「国宝」は日本で生まれた名作だが、中国でも京劇を学び、名役者に成長した二人の青年の激しい物語があった。
1993年に制作された中国/香港/台湾映画だが、2023年に日本で4K版として上演された。今週、有料コンテンツで視聴した。
濃密な人間関係と毛沢東時代の政治的背景が重要な要素ともなっており、3時間の大作を続けて2回じっくりと鑑賞した。
見方は個人により、様々な角度から深くとらえられると思う。私は中国の近代史の急速な変わりよう、厳しい芸事、不遇な孤独な少年が出会った思いやりのある、自分を暴力からかばってくれるパートナーとの出会い。その尊さが心に残った。一番好きなポイントだ。
次に恋のライバルの遊郭出身の菊仙、自分を押し出す強さ、頭の回転の良さ、策略が見事なのだ。日本女性にはなかなか見られない。しかし彼女の一途な心が胸を突く。彼女の表情、行動、適役だ。
三番目に、今は昔話となった毛沢東の紅衛兵を扇動した文化革命だ。中国近代史の移り変わり、当時の多くの悲惨な密告エピソードを思い出した。有名人になった蝶衣と小樓、彼の妻になった女郎の菊仙、公衆の前で三人もお互いを深く傷つけ、裏切りを強要され、政治的環境の変化の犠牲者となった。
それでも11年後、、、
1月行く、2月逃げる、3月去ると、今年も進みそうだ。
先日小さな本屋さんで赤い表紙の金文字も美しく、イラストの色使いも楽しいグリム童話集を見つけた。

インテリアグッズとして、またノドを鍛える音読、朗読のテキストとして、英語の勉強にもなる。一石三鳥に活用できそうだ。セール販売でツーコインも嬉しい。
グリム童話集はドイツの昔話をグリム兄弟が集めて編集したもの、本当は子供には怖い童話集との感想もある。
今回ネット検索してみると、グリム兄弟名言集が出てきた。デンマークに住むアンデルセンとも交流があったというトリビアもあった。
名言集の中で目を惹き、共感した文章があった。
『老人は静かな哀しみとともに、みずから振り返ることを許された人々であり・・・・・気分爽快な涼しい夕べの中で、玄関の前のベンチに腰かけて概観することを許された人々なのである。』
青年期、成年期は活発に動き、用事やイベントが楽しくもあり、充実感もあった。70代半ばの現在、日々の時間の過ごし方がまさにグリム兄弟の名言通りになってきた。万国共通のシニアの心境に違いない。これでいいのか?と自問自答する私を肯定された気がした。

今年の1月24日は父が他界してまる20年の節目の年だった。父の誕生日は毎年意識しているが、13回忌の法事を過ぎた頃から命日は何気なく過ぎていった。
しかし今年は23日の明け方、久しぶりに父がはっきり夢に現れた。晩年いつも座っていたオットマンから、みかんをくれと日常の一コマのように話しかけてきた。食べ終わると、もっとくれと言う。いくつ欲しいの?と尋ねると、61個と答えた。えっと思ったときに夢がさめた。
24日の夜中、仏壇のある部屋から、ガタッと大きめな音が2回聞こえ、目を閉じていても青っぽい光を感じた。珍しい現象だ、と思いながら朝を迎えた。いつものように仏壇に向かってご挨拶、話しかけているとき、その日が父の命日であることにやっと気がついた。急遽、友人との予定の目的地を変更して、お墓参りに行くことにした。
戸塚の霊園は家から1時間もかからない。天気は快晴で境内には紅梅、蝋梅が花を咲かせ、気持ちが良かった。
お参りをすませたあと、友人と他家の墓石、墓碑を見ながら、他の眠る人たちの人生にも思いを馳せたひとときだった。

24日の朝、NHK番組で今、アイスホッケーがブームと紹介していた。父はあまり話題にしていなかったがアルバムに守護神として猛練習していた写真があったことを思い出した。

30代で若くして他界した祖母と映っている、1枚だけの貴重な写真も、父没後まる20年たった記念に謹んで投稿させて頂きます。
今年もあと何日とテレビで毎日カウントダウンしている。
実感がないまま季節のイベント、雑事を行なっている。

実家は賃貸に出しているが、庭の柚子が気になって、収穫させてもらった。
柚子の木は裏年表年があり、収穫高にばらつきがあるらしい。実家の柚子には80個ほどの実があった。姉はジャム作りに使い、私は柚子茶を味わった。柚子1個を絞り、蜂蜜とお湯を混ぜるだけだがとても美味しい。

ひとり暮らしでもクリスマスの飾りは11月に行う。
天国の従妹の遺品の刺繍作品から、お菓子でできた家のクリスマスヴァージョンとLEDライトのツリー、お菓子を飾った。

テレビが見づらくなり、50インチの有機ELテレビに買い替えた。画質も音質も改善され、海外の映像を画面からカメラに納めることもあり、世界が広がった。

クリスマスコンサートとフレンチコースのディナーは久しぶり。前菜の盛り付け方もデザート風で新しく、カップの雲丹のクリームも初めての味体験だ。

単発のハンギングフラワーバスケット作りを体験した。
春まで持つそうだ。工作のような作業もあり、指先の力の衰えを実感。
こうして振り返ると、来年の心得が見えてきた。認知症は記憶力の衰えばかりではないらしい。様々の味覚を体験し、新しい技術を少しずつ取り入れ、指先を鍛えるのが好ましい。
12月3日、ユニークな古代の宝物との出会いを楽しみに六本木に向かった。


六本木ヒルズの52階ではるばるペルーのリマにあるラルコ博物館から来た130点の古代アンデス文明の考古物が展示されている。




モチェ文化、インカ帝国と日本では時代がとらえにくい。時系列の展示ではなかったので、時代を追わずに出土品そのものを芸術品として楽しんだ。
文字をもたない文明から伝わるアイ・アパエクの英雄伝説や、自然崇拝の信仰ゆえの奇習など、当時の生活や人々を想像しながら2時間余りが流れた。
9月7日日曜日午後6時、石破さんは無念の思いで辞職を突然国民に伝えた。
理由として、8日月曜日の自民党員の全国選挙で、名前明記をすることなどで考えられる内部の分裂を避けたい、と言う。

その日の夜中、2時過ぎに目が覚め、皆既月食が観察できることを思い出した。それから30分くらいシャッターを切りつつ、望遠鏡を覗いた。地球の影が少しづつ月面にかかるのが良く見えた。

石破さんには自民党が今も分裂している党内がさらに分裂しても最後まで頑張ってほしかった。政治空白は石破さんは作っていない、対外国・対米の一年間の石破さんは外交努力を続けた。今回の動きは日本の政局の不安定さを再び印象づけ、間接的な経済効果にも好ましくない影響大に違いない。
足元しか見ない今の自民党内部の抵抗勢力。応援する国民の希望が急速にしぼんだ。
9月4日木曜日、やっと酷暑が和らぎ、曇り空になった。竹橋の近代美術館の企画展にて藤田嗣治の戦争中に描いた大作5点を鑑賞する。想像はしていたが、あまりの画力に魂が揺さぶられた。

日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件。4メートルを超えるキャンパスに部下の鎮魂を願う予備役中将の依頼に藤田は答えた。名作として知られている。

シンガポール、ブキ・テマ高原の占領を描いた。陥落直前の市街地から煙が立ち上がる。画面左上から陽光が市街地を明るく照らしている。

オランダ人邸宅に日本兵が踏み込む瞬間を描いた。
テーブルの下に猫が隠れている。


サイパン島で多くの住民はマッピ岬へ追い詰められ、バンザイと叫びながら、海に身を投げた。今はバンザイクリフと呼ばれる。多くの犠牲者は沖縄県出身の移民。藤田はこの集団自決をヨーロッパの宗教画のごとく描いた。
藤田嗣治の戦争画の大作は東京国立近代美術館に無期限貸与されている。企画展は10月26日で終了するが、その後も常設展で見ることができる。
今年の8月は例年より多く、当時の生き延びた証言者のリアルな体験談、記録の品々が公開されている気がする。NHKや民間テレビ局もドキュメンタリーを新しく制作更新し、反省や今まで目立たなかった当時の政策への反発の論調も全面に強く感じる。

2023年の1月、鹿児島の知覧平和記念館を訪れる機会があった。まだ10代の特攻員たち、墨で書かれた目の醒めるような美しい書体、文面……。
純粋な想いの手紙が数多く展示されている。なんと多くの大切な可能性を持つ青年たちが消えていったことか。彼らの遺書、最後の手紙やはがきから訴えるものは、今思い出しても強力だった。
ことしの報道では、当時の大本営は若き選ばれた優秀な特攻隊員の気持ちまでも利用して、広く国民に戦意高揚を演出したことを堂々と解説していた。
多くの犠牲者のおかげで、不戦80年の今日の日本に感謝感激するのみだ。
将来、日本が巻き込まれそうな戦争の火種は、官民協力して全力で消そう。
7月18日金曜日、酷暑の梅雨がやっと明けてくれた。
東京駅隣接の美術館、炎天下を避けてアクセスできるのがありがたい。

今回の展覧会でレオナール・藤田の生涯を辿ることができた。1886年から1968年、81年間、波乱の人生を生き抜いた。今もそのファッションがやセンスが新鮮な芸術家、国際人であることがよくわかった。
2011年、生前の多くの日記写真などの6000点の資料は、家族から寄贈され、今も母校芸大で研究されている。もっと多くの作品に触れたい。

愛猫のキジトラ、硯と面相筆、日本を感じさせるアトリエの様子。深いグリーン色のシャツの着こなしにも注目した。


1959年、藤田は妻の堀内君代とランス大聖堂でカトリックの洗礼を受けた。君代は藤田の没後、広報にて作品を広め98歳まで生きた。
夫婦の遺骨はランスの藤田が設計したフジタ礼拝堂に埋葬されている。

※ ノートルダム大聖堂の塔が作品左上に見える。