はじめに言葉があった

「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」

これらの言葉は新約聖書ヨハネ伝冒頭の言葉である。この偉大な言葉は誰によって語られたのだろう。聖霊によってのみ語られた言葉だ。聖霊によって語らしめられた言葉は、永遠に残る。人間を通して聖霊が言わしめるのである。

多くの格言、名言も本人が気づかずして言わされている。積み重なる経験の結果の言葉もあるだろう。本人が体得した、目に見えないものを言葉によって表し、記録し、残すことができる。人の一つ一つの経験は忘れ去られるものであり、当人さえも覚えていられないが、言葉が経験から得たものを永遠に残す。

言葉は命の核となって生き延びている。

様々な言語が世界中にある。これはなぜだろう。一つの理由は民族間に距離を置くためである。遠くから眺め、考えるためである。適度の距離は、距離を縮めるために役に立つことがある。距離がないと、対峙しているものの全体が見えにくい。少し離れると、輪郭が見えて相手を理解しやすい。

言語の違いは相手の輪郭を掴むためだ。母国語のように中身を全て理解することは難しいが、輪郭だけなら簡単だ。外国語を習う人は輪郭を知るために学ぶことが大切だ。輪郭を知った上で、理解を深める。語学の取り組みも輪郭というカタチから入っていくと長く続けられる。

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