多くのスポーツ競技大会では時間を競う。どこでも時間が短い記録の方が良い記録となる。遅い時間は誰でも到達できるからである。しかし非常に遅い時間の記録となるとまた難しいものである。百メートルを進むのに5時間かかって直線に進むとなると、カタツムリになったつもりで進まないと達成できない。
一般に早ければ早いほど良いのが、人間社会の風潮である。遅ければ遅いほど良いのが、年齢のとり具合、お金の減り具合、悪い知らせなどである。締め切りや約束がまだ終わっていない時など時間が止まってほしいと思う。
遅い記録の部類で一番のものは、おそらく歴史の進み具合である。歴史の進み方は非常に遅いので、時々繰り返してしまう。行ったり来たりと進み、ある部分繰り返しが起こる。行ったり来たりとは、煮え切らない動きであるが、人間特有の動きである。他の動物では見られない動きだ。思いっきりが悪く、躊躇しながら進む。それでも、後ずさりしつつも、全体では前に進んでいるのが人間の進み方の特徴だ。
陸上競技で走るように、最短距離を選んで最高速度で進むのは、スポーツという特殊な状況下だ。普段の生活では、行ったり来たりの動きで前に進んでいる。これは、考えながら進んでいるからだ。スポーツ選手は走っている時は無我夢中であると思う。雑念を抱きながら走ると、良い記録は出せないだろう。
人間は考え始めると、速度が遅くなるものである。考えない人ほど、早く歳をとり、ある意味では健全な生活、人生を全うして逝く。考えながらの人の人生は速度が遅いので、多くの人は歳を重ねるのを遅く感じる。もちろん、これは内面的な歳の取り方のことで、見た目に歳より若い、老けているという意味ではない。考えながら人生を送った人は、体が弱くなって他界する時が来ても、中身は歳をとった感じがしないので、とても不思議な気がする。