戦争と平和 (2)

自分が知らなくても、絶えずどこかで問題が起こっている、その連続が人間の歴史を作ってきた。平和の時代であれば、歴史の記述者は困ってしまうだろう。書くことがないのだから。すべてのものが一斉に平和である状態が、平和を願うものの突き詰めた思いだが。

日本の平和だけを願う者、あるいはアジアの平和を願う者、特定地域の平和を願うものは、真の平和主義者の一歩手前にいる。全体の平和を願う者だけが祝福されるのだ。

政治家に関して言えば、今の地上を見渡すと、誰も全体の調和がある平和を望んでいないようだ。中にはかつては平和に対する正しい理解をしていたのに、一度政治界という世界に組み込まれると、小規模平和推進者にならざるを得ない。
それが今の政治家の役目であるからだ。

すべての政治家は防御体制に入っている。一見、他国を攻撃しているように見えてもよく分析してみると、それは防御のための攻撃なのだ。現在の戦争も防御のための戦争だ。一体何をそんなに防御しているのだろう。そんなに守るものがあるのだろうか?人もそうだが、国家も防御するものがなければ、攻撃もない。防御するものを捨てれば、攻撃は免れる。シンプルな理屈だ。

 

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