承教寺、英一蝶の墓所

高輪に眠る英一蝶のお墓をたずねた。
1652年に京都で生まれ、1724年2月7日に73歳で世を去った。
生誕300年だ。

承教寺、高輪、日蓮宗

お寺は日蓮宗で、戒名は「英受院一蝶日意居士」
本堂横の左側の墓石には「北窓翁」の画号が使われていた。

英一蝶の墓石
「北窓翁」と刻まれている

風流人にして、変幻自在の人生を送り、三宅島で12年の島流し生活中にあっても家庭を築き、人生を謳歌し、人気絵師であった。

一蝶の江戸の風俗画をみると、楽しそうな庶民の生活風景、動物、植物も楽しげだ。

 

 

今年はまだ訪れたことがない三宅島にも行って、一蝶さんの名残りを探す散歩も予定表に入れよう。

英一蝶、江戸の人気画家にして風流人

 

サントリー美術館の英一蝶の没後300年を記念した展覧会を訪れた。京都出身の一蝶、藩医の父の赴任先の江戸に移った。

江戸の文化、風俗を描き、自ら吉原で幇間として人々を笑わす盛り上げ役もした。かたや狩野派に習い、芭蕉の弟子でもあり、美声の持ち主で小唄も歌う。何と魅力的な人であるか。

江戸の大太鼓、春日大社に同じ太鼓が展示されていた
六曲一双の部分、舞楽図、
メトロポリタン美術館
六曲一双の部分、英一蝶
メトロポリタン美術館

町人の分際で釣りを楽しんだということで「釣りの罪」で三宅島に島流しになった。島でも人気画家で注文を多く受け、家持ち流人、結婚もして父親になる。徳川綱吉の逝去で大赦があり、晴れて江戸に戻った。

1724年2月7日、73歳で世を去ったときの辞世の句は
ーーまぎらはず浮世の業の色どりも
有りとや月の薄墨の空ーー

英一蝶は港区の日蓮宗の承教寺に眠る。ここには晩年の作、「釈迦如来像」が奉納されている。

山あり谷ありの人生を謳歌し、晩年は熱心な仏教徒として活動していたと想像できる。今度、機会をつくって彼の菩提寺を訪ねてみよう。

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