音読で脳と喉を鍛える

4月に入り、ルーティンを一つ増やした。
日本語と英語の文章を音読、録音してチェックすることだ。

最近、滑舌の衰えを感じていたところ、いつも見ているBSの「偉人たちの健康法」で菅原道真の勉強法を紹介していた。平安時代は中国の漢詩を覚えたり、音読していたそうだ。この音読が目で読み、自分の耳で聞き、脳を使って意味を考える、と同時にできる。

確かにいつもしている黙読は刺激が少ない。以前、声に出して読む日本語ブームもあった。録音すると緊張感と集中力が増して良い。

読み物は年度毎に出る「ベストエッセイ集」。未読であったので、初見で読むことにした。実際やってみると、見て意味がわかる単語でも、音読するまで時間がかかる単語がいくつも出てくる。もどかしい。しかし内容を知りたくて読み進みたい気持ちが出てくる。

番組では「アナウンサーの言葉を真似して言うと、無駄な言葉もなく、良いでしょう」とアドバイスしていた。これは内容が無味乾燥なので、継続しにくい。

世界のお伽話、
  Edmund Dulac

英語も合わせて音読し始めた。子供用の「世界のお伽話」が家にあった。その中で「ウラシマタロウ」を選んだ。難しい単語は少ないし、筋は有名だ。読んでいてそのストーリーが「現代社会のテーマをいくつも含んでいること」に改めて気づいた。音読にはたくさんの効果があることを実感した。

「旅立つ息子へ」 Here we are

3月27日、話題のイスラエル映画を観に行った。

「時間をくれ」父は別居中の妻に訴える。
この映画は田舎で暮らす父と息子の生活、そして自立までの過程を描いている。
息子は自閉症スペクトラムを患い、思春期を前にしているウリだ。実話である。

家族を介護する生活は、時間の流れ方が世間と違う。
映画の中でも、会話は短くゆっくりと進行する。父親アハロンは流行グラフィックデザイナーの職を捨て、結婚生活も二の次にして、弟夫婦との交流からも遠ざかっていた。「息子の生活は自分が看る、施設に入れるには今その時期ではない」と考えていたからだ。

周りは父の考えを理解しない、社会主義のイスラエルでは裁判所の指示やケースワーカーのシステムがよく整っている。無収入の父は四面楚歌、逃亡の旅に出た。その短い旅で息子は、世間に触れて新しいイベントやトラブルを体験した。少しづつ成長し、変化していく。旅の力はなんと偉大なことだろう。

一対一で真剣に向き合って介護する親の気持ちや喜び、自分ごとのように感情を移入できる映画だった。

三ツ沢公園でお花見

三ツ沢公園、池と桜

3月24日の朝、テレビは横浜の桜は本日満開と伝えていた。

以前会社員だった頃、桜の便りを聞いてもタイミングよく花見ができなかった。今は自由に当日ピンポイントで出かけられる。

三ツ沢公園はスポーツ総合グランドでテニスコートや馬場もある。桜の木々が点在している。近くに住む人達やスポーツに来ている人々がほとんど。全体的に人出は少ない印象だ。

馬場は50年以上前からある。

以前は会員制乗馬クラブだったが、今日案内を読むと、予約して誰でも利用できるようだ。

馬術練習場

 

ソメイヨシノ。幹は太くなり年代を感じる、変形した木も多かった。

三溪園のサギたち

3月17日午後、三溪園の自然を訪ねた。

三溪園入り口、サギの勇姿

入り口近くの池に、「これぞサギの勇姿」と言える大サギが一本足でたたずんでいた。

三溪園、子どものサギ

 

子どものサギ、カメと移動中

奥の池には若いコサギが小さな魚を求めて歩いている。数匹の子亀もその周りで、一緒に移動している。

三溪園、成鳥のアオサギ
ポーズを決めたアオサギ

茶屋の前に広がる池の正面に高齢に見えるアオサギが首を長く伸ばしながら立っていた。しばらくすると羽を水平に広げて飛び立って行った。

奥の方に歩いて行くと、周りに誰もいない橋の近くでじっとしている。カメラ用ポーズを決めてくれた。

三溪園の住民ネコ

帰るとき、受付近くの木陰で住民の茶ネコが寝ていた。🌳💤

没後70年「吉田博展」

3月12日、吉田博の淡い色彩の木版画を求めて東京都美術館を訪ねた。最近のアニメ作家も憧れる画風だ。

明治9年から昭和25年に生涯第一線で活躍し、74歳で他界した。作品の時代背景は今日から比較的近い(と考える)。

作品を鑑賞する前、個人的に期待したことは、光る海や川、滝などの水の表情。当時の生活の様子。世界中の国々を旅することを愛した画伯の風景画。

「瀬戸内海集 光る海」吉田博
  1926、絵葉書

会場にはまるでカメラで撮ったような自然風景が数多くあり、いかに一生の間、旅の先々で自然を愛でていたかがわかる。中国蘇州は私も旅した町、思い出す。

蘇州、吉田博(1940)、※作品部分

意外なことに戦後1945年以降は1枚制作しただけだ。ー 晩年の作品は「農家」ー。

吉田画伯は人物を得意としなかったが、この絵には農家の台所で家事をする婦人が二人描かれている。当時の何気ない日常のワンシーン。戦争が終わった後、平和を徐々に取り戻した1946年の作品だ。

農家、吉田博(1946)、フリー素材

奄美大島のポンカン

 

奄美大島のポンカン

前回、奄美大島で大島紬の工場で働きながら、画家の情熱を出し切り生涯を終えた田中一村について書いた。

近頃よく日常の中で「繋がり」を感じる。奄美出身の知人から島のポンカンを頂いた。奄美と一村を思い出す。

皮は硬くて手で剥こうとすると、スムーズにはいかない。コツはナイフで四つ切りにすること。これで、苦労なく丸ごと食べられる。

ポンカンは見た目は自然体、岩肌のような黄緑色も部分的に見えワイルドだ。中身は、香りよく、甘くてジュースを飲んでるようだ。来年はお取り寄せしようと思う。

ひなまつり、田中一村
(ハガキ、部分)

「田中一村展」、千葉市美術館にて

田中一村展、千葉市美術館

2月22日、千葉市美術館を訪ねた。横浜から直通70分で千葉駅、徒歩15分以内にある。モノレールで2駅葭川(よしかわ)公園下車でも近い。

2月末までとあって予約はいらないものの入場制限され、20分くらい列に並んだ。

細長い建物の7階が展示場。一村初期の南宗画、書画、掛け軸や個人像の式紙、金屏風、友人とやり取りした葉書、晩年まで19年過ごした奄美の自然画。毛筆の字も見入ってしまう。

2020年1月、奄美大島の田中一村美術館を訪ねた。1年振りの鑑賞の機会、一村は「日本の宝」だとシミジミ感じた。花鳥風月の画家だ。昔の民家と庭、花を添えて緑繁る葉っぱを主役にした作品が多かった。

晩年の作品、孤枩(こしょう)は特にシニアに静寂を与え、共感する。海の向こうの雲が「金色の龍」の形をしている、とはなかなか気付かなかった。

孤枩、田中一村(絵ハガキ)

横浜美術館、長期改修工事前に訪ねた

横浜美術館コレクション展

今月末、横浜美術館は大規模改修工事のため、2年以上閉館になる。2月末までのトライアローグ展と美術館コレクション展と建物内装を駆け込みで見納めに行った。

特別展では、初めて出会ったジョアン・ミロの写実画。抽象画しか見たことがなかった。珍しい。

ジョアン・ミロ「花と蝶」、葉書

横浜美術館の所蔵品は撮影OK。ギュスターブ・モローの「岩の上の女神」や、横浜の風景を描いた浮世絵が印象に残った。

ギュスターブ・モロー
「岩の上の女神」

建物は1989年に丹下健三が設計した。2階の回廊の壁に鶴見区で生まれ、弘明寺の画塾に通った林敬ニの連作5点が飾られている。巨大な帆布の上、揺れ動く水の中に浮かぶ様々なモチーフを描いている。イタリアに渡り学んだテンペラ技法を使っている。

回廊に飾られた連作5作品、
林敬ニ

コロナに負けず「ガンバっ展2021」

画家のTさんからの小品展の案内葉書を頂いた。2月15日から1週間開催中だ。関内駅近くの画廊「楽」は以前も訪ねた。

T氏の絵は元気なハツラツとした女性と色彩が楽しい。今回出品の2作品は、昨年からのコロナ禍での空気をストレートに感じる。

“I hope….”, H.T

1枚目は「教会のステンドグラスを描いた」と背景の説明してくれた。
題名は “ I hope ….”

この後を個人的に考えた。
I hope for all of us to keep good balance in mind, body and spirit.

 

 

 

2枚目は少女が深刻そうな顔をして考えている。
題名は “I wish ….”

この絵画も自分に置き換えて、言葉をつなげてみた。
I wish that we could move freely as before.
I wish restrictions in our life would be removed sooner.

“I wish….”, H.T

「想いが重なるひな人形」

横浜人形の家にて故後藤由香子さん(1969〜2017)のひな人形展を3月21日まで開催中だ。

岐阜県生まれ。祖父も人形作家で子供の頃から人形作りを見て育った。十二単の着物の「かさね」の色彩が美しいお雛様たちはそれぞれタイトルを持つ。桜は作家の一番のテーマだった。

後藤由香子氏のお雛様の顔立ちは江戸時代中期の「享保雛」に似ている。私が会場で撮った写真は、自動でグーグルが同じ人物としてまとめていた。作品群は会場で流れるビデオの中で、説明するご自身にも思えた。

享保雛、江戸時代中期

 

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