丹田の位置

50代の頃、10年ほど丹田ヨガのスタジオに通った。多い時は週に3回と集中した時期もある。

丹田は目に見えない。最近やっと、場所が意識できるようになった。その頃はお腹を強く背中につけるように引き、また前に出す。このトレーニングから始まった。ドローイン、ドローアウトと呼ぶ専門家もいる。

最近体感したことは、お腹の動きではなく、尾てい骨を落として丸める。外側からの動きだ。そうするとお腹が自然と引っ込み、丹田に力が入り、お腹の真ん中に筋力を感じることができた。

楽な方法で、お腹を引くことができる。
押してダメなら、引いてダメなら、垂直方向へ落としてみる方法もあった。

国宝彦根城天守

国宝彦根城天守

4月3日、小雨が降っていたが、春休み、日曜日とあって天守閣の内部見学は30分待ちだ。60度傾斜の階段はかなりきつかった。

ガイドさんの説明で、印象的だったのは、全体は三層の屋根、その中で屋根の数は18、花頭窓も18だそうだ。この窓は、本来寺院建築に使われる窓で曲線が美しい。

国宝天守は、他に姫路、松本、犬山、松江の4ヶ所にある。

 

玄宮楽々園と遠景の彦根城

多くの観光客を避け、城内部見学のあとはすぐに広々とした国名勝の玄宮園に向かった。江戸時代1677年に築造された広大な自然豊かな、回遊式庭園。

近江八幡市、日牟禮八幡宮

近江八幡の城下町は、商人町として発展し、近江商人を育てた。日牟禮八幡宮は湖国の地、そして近江商人の守護神として、広く崇敬されている。

比叡山延暦寺

4月4日も朝から快晴、坂本駅からケーブルに乗って、比叡山延暦寺を目指した。坂本ケーブルカーは昭和2年開業、日本最長約2キロのレールを11分で移動する。大正時代の駅舎、多くの橋、長いトンネルが楽しめる。

琵琶湖の朝、8時、
Pホテルからの眺め

比叡山延暦寺は日本仏教の総合大学、新しい諸宗派の高僧が学んだ五山の一つだ。延暦寺は比叡山に建つ百近い寺の総称。

延暦寺駅から根本中堂へ続く道
平成の万拝堂、本尊千手観音像
大数珠を左へ回して平和祈願

この日はガイドさんも初めてという「延暦寺御修法(みしほ)大法」の初日、4月4日で、特別の旗が根本中堂の入り口になびいていた。延暦寺の年中行事で最も重要な法儀で7日間続く。

根本中堂に幕で仕切った内道場を設け、天皇陛下の御衣を奉安する。祈願は、玉体安穏、国土安穏、自然災害の被災者の安寧と地域繁栄のために行われる。17名の碩徳高僧によって奉修される。

延暦寺の大講堂

大事な延暦寺御修法(みしほ)の初日に参拝させて頂いた。

伝教大師最澄、
788年に根本中堂を創建

竹生島神社、琵琶湖の湖上の聖地

いつかは訪ねたいと思っていた。琵琶湖と竹生島(ちくぶしま)。
4月5日のグループツアー3日目、長浜港からフェリーで島を目指した。乗船時間は30分。

波穏やか、琵琶湖北の竹生島

前日は冷たい強風で一抹の心配があったが、この日は朝から快晴、風も波も穏やかだった。

竹生島神社、石の鳥居

着岸するとすぐに165の石段が続く。島全体は一枚岩の花崗岩だそうだ。階段を登りきると宝厳寺が迎えてくれる。本堂には大弁財天が祀られている。724年、聖武天皇の勅命を受け、行基が開眼した最古の弁財天だ。

宝厳寺、日本最古の大弁財天

国宝の唐門は大阪城極楽橋の遺構。
豊臣秀頼の命を受けてこの島に渡ってきた。建物は、美しく修復され飾り金具も絢爛豪華だ。正面に私の好きなウサギが3羽、横に連なって戯れている。

帰宅してから唐門前で撮った写真を改めて見ると、空が輝き、屋根から光が降り注いでいた。

国宝唐門と光

長浜港への帰路のフェリーでは2階のデッキに出た。雪を山頂に残す山々を眺めながら、気分爽快だった。

琵琶湖と残雪の連山

水陸両用バス、スカイダックに乗ってお花見

3月31日、以前から気になっていたみなとみらいのスカイダックに乗船体験した。曇りだったが気温は21度。

水陸両用バス、スカイダック

3時30分の便に予約した。満席で出航。
海上は思ったより、風が強く、波も荒かった。
前方の席はしぶきがかかるポイントもあった。

船上から眺める桜並木

さくら吹雪も起こり、地面にピンク色の絨毯が出来始めるのが見えた。

満開の桜とインターコンチネンタルホテル

新刊本「天使が語った道しるべ」発売

今週、新刊本「天使が語った道しるべ」が幻冬舎から全国流通になった。

新刊本と書店用ポップ

昨年始めに「眼(あい) 天使が語った道しるべ」を電子書籍で配信して頂いたが、やはり「紙の本」の方がよい、という声が多かった。若い読者の間ではアニメの電子書籍は非常に伸びているそうだ。しかし文学作品や思想、宗教関係は「紙の本」は頭に入りやすく、自分のペースも守りやすい。

この度、紙の本の出版に至ったのは、去年の6月にチェコ共和国の25歳の女性から、郵便レターを受け取ったことがきっかけだ。

27年前に出版した「妙な本」を古本屋で彼女が購入し、手紙をくれた。紙の本は、目に見え、触ることができ、手でページをめくる。読まない時でも、そこに居て文字と共に何かを発信している。

私自身もこの本を愛読書として、長い間そばに置いてエネルギーを得ている。

イングリッシュガーデン、シーズン前の静けさ

3月14日は記録的な夏の陽射しが降り注いだ1日。
しばらく休んでいたウオーキングを兼ねて、近くのイングリッシュガーデンを訪ねた。

桜、オカメ

4時頃の来園者は5名、ほぼ貸し切り状態の中、木陰のベンチに腰を下ろしてそよ風を感じた。

    子バトとパンジー

子ハトが一羽、白いパンジーを食べている。
短く剪定された草木が広がり、サッパリした地面をみえている。パンジー、クリスマスローズ、白色や黄色の水仙などが点在して植えられていた。

オステオスペルマム、菊科

桜の木を探した。オカメと名前のついたサクラの木は満開だ。

帰りに園芸コーナーで、オステオスペルマムの花苗を買った。中心の紫色が立体的な、八重咲きの白い菊で、初めて見る品種だ。

3月の富士山

河口湖まで行く機会があった。
目の前の巨大な早春の富士山を満喫し、パワーを頂いた。時間によって少しずつ変わる富士山の三態の写真、感謝を込めて投稿します。

3月6日、12:30 上吉田
3月6日、17:00 河口湖畔

富士山の歴史は1万1千年前に始まる説がある。
2900年前に御殿場泥流があり、二つの山頂があった古富士は徐々に山体崩壊して現在の姿に近づいた。

約2300年前に山頂爆発が起きた。その後も爆発が続き、なだらかな新富士の山体になってきた。

3月7日 朝8:00、河口湖

1707年宝永大噴火が、最後の爆発と記録されている。
以前は休火山の分類だったが、分類方法が変更され、現在は活火山になった。

啓蟄の日、元気なセントポーリア

 

セントポーリア、3月5日

最近、毎朝セントポーリアのツボミの膨らみを観察するのが楽しみだ。今日は3月5日、春を感じる啓蟄の日。

写真に撮って拡大すると、また違った景色、世界が見えた。生命力旺盛で、葉も茎もツボミも光っている。植物のオーラ? 残したい成長記録だ。

戦争と平和

過去に多くの人が「戦争と平和」の課題に取り組み、努力し、祈ってきた。
その間、いろいろなドラマがあっただろう。平和を得る代わりに得たもの、それは希望であったり、絶望であったり、友情であったり、苦しみであったりだった。過去の人々成果を享受しているのが現在の状態だ。

平和を語るとき、ある人は何らかの躊躇を感じると思う。
そんな柄ではないと思う人もいれば、気恥ずかしさを感じる人もいるだろう。公然と平和運動をする人以上に、密かに平和を願っている人々大勢いる。平和祈願をする人々の中には、宗教者もいれば、子供もいる。現状が少しでも嫌だと思う人々は、すなわち広い意味で平和を願っていることになる。

「戦争と平和」という一組の言葉があるように、戦争ない状態が平和であると考える人もいる。事件が起こらないこと平和と思う人もいる。

Painted by H.T.

私はこう思う。いまだかつて世界に平和が訪れたことがあるだろうか? 答えは否。いつもどこかで争いが起きている。悲しんでいる人がいる。正しくない規則に縛られて生きている人がいる。

全世界が知らなくても、絶えずどこかで問題が起ているその争いの連続が人間の歴史を作ってきた。平和の時代であれば、歴史の記述者は困ってしまうだろう。書くことがないのだから。

平和を願う者の突き詰めた思いは、すべてのものが一斉に平和である状態」だろう。日本の平和だけを願う者、あるいはアジアの平和を願う者、特定地域の平和を願う者は、真の平和主義者の一歩手前にいる。全体の平和を願う者だけが祝福されるのだ。

政治家に関して言えば、今の地球上を見渡すと、誰も全体の調和ある平和を望んでいないようだ。かつて平和に対する正しい理解を持っていた人も、一度政界という世界に組み込まれると、小規模平和推進者にならざるを得ない。それが今の政治家の役目であるからだ。

すべての政治家は防御態勢に入っている。一見、他国を攻撃しているように見えてもよく分析してみると、それは防御のための攻撃なのだ。現在の戦争も防御のための戦争だ。

一体何をそんなに防御しているのだろう。そんなに守るものがあるのだろうか? 人にも当てはまることだが、国家も防御するものがなければ、攻撃もない。防御するものを捨てれば、攻撃は免れる。シンプルな理屈だ。

註:「眼(あい)天使が語った道しるべ」
2020年電子書籍より。

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