熱田神宮を訪ねた

2月22日、天皇誕生日の23日と1泊で、ブラリ名古屋の気になる名所を歩いた。

新幹線の名古屋駅に到着し、そのまま名鉄線に乗り換え神宮駅で下車。駅から数分の場所に約19万平方メートルの「熱田の杜」が広がっている。

現在の本宮は平成21年に造営され、尾張造から神明造に改められた。ご祭神の熱田大神は、三種の神器の一つ、草薙の神剣をご神体とする天照大御神だ。

神楽殿、熱田神宮
桶狭間の合戦で戦勝した織田信長が奉納した信長塀

本宮は撮影禁止の神聖な場所。お詣り時間を長く取るため、本宮を囲む散歩道を一周した。30分くらいだが、途中古い建物が点在して歴史を感じさせる。

くさなぎ広場
とろろきしめん、つゆも選べる

神宮境内の「くさなぎ広場」でゆったりと名物のキシメンを頂いた。市民や参拝者のいこいの場所になっていることを実感した。

ウクライナ戦争が始まって1年

2022年2月24日、プーチン大統領の宣言によりウクライナへの攻撃が始まった。一年以上も残酷な戦いが続いているのは信じられない。

昨夜、日曜日のNHKスペシャルで「スクープ・侵攻72時間大統領側近明かす内幕、ゼレンスキー暗殺計画ロシア軍大いなる誤算」を視聴した。

進軍後2日で終わらせたかったプーチンはウクライナ軍や市民からの予想外の強い抵抗にあった。なりふり構わなくなったロシア軍はチェルノブイリ原発廃炉地域を占拠し、冷却用の電気を破壊しようとした。兵士達は危険性は何もわかっておらず、放射能を浴びながら食事をしていた。

戦時下では市民を襲うのは国際法違反なのに、混乱の中で犠牲者は男子若者はもちろん子供、高齢者、女性、すべての国民におよぶ。

欧米諸国はゼレンスキーに首都キーウを脱出して遠隔地での指揮を勧めた。しかし大統領および側近たちは現地で戦い続けた。戦争では敵の提案を受け入れないことで犠牲者は増え続ける。大統領の精神の強さと無念さを痛感させられ、その後夢の中でも祈った。誰もプーチンを止められないのなら、天罰は下らないのですか。

宮崎県日南海岸 ⑤

1月23日、旅の4日目の朝、ホテル出発は9時30分とゆっくりだ。
玄関には親近感を感じる横浜Fマリノスへの歓迎ボードがあった。

波状岩、内海

今日は宮崎県日南海岸のドライブ。午前中は海岸線を北上しながら、内海にある道の駅フェニックスから波状岩、遠く広がる太平洋を眺めた。

ランチタイム前に青島に到着し、風が強い中、周囲1.5キロの青島を散策した。隣接のボタニカルガーデンでは温室の中で種々の大型の熱帯植物が元気よく育っていた。旅の記念にそてつの苗を購入、育ててみることにした。

日南海岸のお土産、蘇鉄の苗木
青島の鬼の洗濯板、
海上にシェラトンホテルを望む

帰路は再び鹿児島空港に戻った。空港から近い河内源一郎商店で麹工場を見学し、旅の最後の午後はゆったりした行程で進んでいった。

鹿児島市内見学 ④

3日目の朝、鹿児島湾に昇る朝日を拝んだ。

指宿市湯の浜、
鹿児島湾(錦江湾)に昇る朝日

指宿市を後にして薩摩半島を北上し、午前中は鹿児島市内見物だ。まずは城山公園展望台に登り、白煙をたなびかせる桜島を4キロ手前から臨む。1914年の大噴火で元々島だった桜島は大隅半島とつながった。

鹿児島市城山公園展望台
火山と都市が共存する眺め

鹿児島県本土は約3万年前の巨大噴火で平均約60メートルの火山灰(シラス)で覆われ、水はけの良い台地となった。さつま芋などの畑作や牧畜に適している。

鹿児島市内公園の西郷像

ランチタイムは市内繁華街や公園を散策した。鹿児島の西郷どんは軍服姿だ。ご存じ上野の西郷さんは愛犬を連れた着物姿。上野の西郷隆盛像は、高村光雲の作品、今度ゆっくり鑑賞したくなった。

龍門滝、姶良市(あいらし)
高さ46m、幅43m
この日は通常水量の半分位?

午後は龍門滝を眺め、早めに宮崎市のシーガイヤリゾートに到着した。昔は新婚旅行のメッカ、今はプロスポーツ選手の定宿に利用されることも多い宮崎市のランドマーク。地上154メートルの広々とした室内外、ゆとりに驚く。

薩摩半島、南部の海岸線を巡る ③

昼食後、知覧を後にして、九州南部の枕崎市方面に向かう。

知覧にてランチ、
刺身はお茶でしゃぶしゃぶ、鹿児島の蕎麦

午後最初の訪問地は釜蓋神社。釜の蓋を数メートル頭に乗せて祈願するというユニークなお参りをする。近年スポーツ選手がよく訪れるそうだ。

釜蓋神社
スサノウノミコトを祀る
伊能忠敬絶讃の景勝地 昭和31年
開聞岳と池田湖、菜の花畑

次に「伊能忠敬先生絶讃の地」の石碑が建つ番所鼻自然公園、本州最南端の駅西大山、池田湖と海岸線をドライブ。宿泊地、鹿児島湾が目の前に広がる指宿市に到着した。

JR西大山駅
正面に開聞岳を望む

西大山駅では枕崎から指宿市へ向かう14時34分の列車がホームに入ってきた。その前は9時11分なので5時間20分の待ち時間。電車はめったに来ない。

知覧特攻平和会館 ②

2日目は、霧島から鹿児島空港を通過して、薩摩半島の南方面に向かう。午前中の訪問地は南九州市にある知覧特攻平和会館だ。

この記念館はかねてから、私の父親や職場の上司が驚きを持って感想を話していた。一度訪ねたかった場所だ。

知覧特攻平和会館
飛行機の形に刈った松、
戦争のない今

現在の日本の繁栄の陰には、終戦の1945年、戦況が険悪になる中、1036名の純粋な若い命が、沖縄戦で爆弾を積み、特攻出撃した歴史がある。10代終わりから多くの20代初めの若者らは純粋な精神を携え、生き抜き、海に散った。

零式戦闘機
陸軍練習機のプロペラ

展示物の両親、兄弟に宛てた筆書きのたくさんの手紙、遺書、遺品。達筆で書家がしたためるような書や文面を見ると、少年飛行兵や特別操縦見習士官らの姿や心がその場でよみがえる。少なくとも2時間くらいは滞在したかった。

鹿児島・宮崎への旅 ①

1月20日から3泊4日のグループツアーに参加した。
羽田空港での搭乗手続きを個人で行うのは初めてだ。勉強はもう始まった。
今回も南九州方面の修学旅行を期待している。

国宝、霧島神宮

鹿児島空港に降りて午後一で向かったのは朱塗りの霧島神宮、令和4年2月に国宝に指定された。社殿は540年高千穂峯近く背門丘(せとお)に建立された。その後の度々の噴火炎上で、今から五百年前に海抜五百メートルの現在の社地に御鎮座された。晴れた日には遠く桜島や開聞岳が眺められる。

ホテルの庭から、夕刻の霧島連山を望む

途中の車窓から、そして到着した宿泊地のアクティブリゾーツ霧島からも高千穂峯、新燃岳、韓国岳(カラクニダケ)の霧島連山がよく眺められた。岩の露天風呂では朱塗りの小さな鳥居から源泉が流れており、霧島に来た、と感じた。

みらい美術館、アルジー・ルソーの作品群

1月6日、高島町近くのこじんまりしたみらい美術館にぶらりと訪ねた。1時間もあれば十分に鑑賞できる。

今回の「超絶技巧ガラス展」のうち、多くがアルジー・ルソーの小作品の常夜燈や花器。そのデザインと色彩が楽しく気持ちが華やいだ。

ライオン、花器
鷹、ペン立て 1927年
トキ、葉巻入れ、1923年

彼はフランスのシャルトル出身。化学、物理学を学び、歯科技工士になるが、その後セーブル国立陶芸学校で学ぶ。作品を見ると彼のキャリアの反映に納得した。

パピルス、常夜燈 1924年
幾何学、常夜燈
葉、常夜燈 1923年

お正月の野毛山動物園

野毛山動物園入口、2023

1月3日も朝から日本晴れ、動物園に行き、生き物の元気な姿をカメラに納めたいと思い立つ。近場にある横浜市の入場フリーの子供向け動物園を訪ねた。

バタグールガメ、東南アジア
コンドル、原産地アンデス山脈
ヘンエリッタ(メス)
羽を広げると3m、体重10kg
1990年野毛山生まれ

大きな動物の柵は留守が多かったが、長寿の亀、勇ましいコンドルの元気な姿を撮ることができた。

ラクダの「つがる」さん
昭和57年来園〜 平成26年5月23日没

途中、ラクダの「つがるさん」の小さな像を見つけた。関節炎で前足が立たなくなっても元気で食欲旺盛だったそうだ。ラクダの寿命が25年と言われる中、なんと38歳で老衰で亡くなった。人気者で晩年は営業部長にも任命された。

2022年の暮れ

 

2023年、良き卯年を願い、
12月30日 モンステラを購入

12月30日、今年を振り返る。
ウクライナ戦争、国の赤字予算、膨らむ防衛費、国内のデジタル化の遅れ、円高不況、長引くマスク生活、、、
未解決の課題が多い環境の中で
モヤモヤ感を多くの人と分かち合っている。
予想外の出来事が多く、誰も先が読めない。

こういう時は頭を使うより、体力をつけようと思う。
来年はとにかく、地上を歩くことにした。
待ちきれず、この年末から目標を立てた。

調子が上がるとスピードを出すのもよさそうだ。
街歩きは趣味だが、今は体に集中し、歩くことが目的になってきた。
爽快、楽しい気分になるのが嬉しい。

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