人間は生活を楽しむ自由を与えられている。
ある宗教者は禁欲生活、またはそれに近い生活を送ることを、期待されていることもあるが、それは神の意志からではない。個人の意志からだ。神はいつでも自由意志を許され、人間が自由に選択するのを見ておられる。
人間を縛るのは人間で、それはそれぞれの自我から発している。いつの世でも人間は自分自身を縛るばかりでなく、他人も縛ってきた。ある宗教に出会ったとしても、自由を縛ったり、縛られたりしているならば、そこでは神も縛られている。個人の精神の自由や解放は実現できない。
人間は自分で育てたものを自分で収穫し、その収穫したものは自分で使う。全部を自分のために使う人もいる。ある人は、感謝を込めて神に初穂を捧げ、別の人は残ったものを神に捧げる。自由意志を許している神は残ったものでも受け取られる。