私は一人で、ふつう二人と思われていないが、目に見える私と目に見えない私がある。最初に存在したのは私で、次に体ができて私となった。体を有する私はもう一人の私であることに気づく。二人の自分があるので、人は選択に迷う時がある。植物は迷うことなく、光に向かって自然に伸びていくが、人間は躊躇があるので、まっすぐに伸びることはない。迷いがある、行きつ戻りつの人生である。
人間は、私だけの世界だけでは飽きてくるようにできている。自分に飽きると、あなた(他人)に向かう。あなたとの関係の中で自分を見るようになる。同時にあなたへの興味を持つと、世界が広がっていく。自分とあなたの世界は何十倍にもなる。
世界はタテの広がりができるので、ヨコの世界と合わせて何十倍にもなるのである。タテの世界は無限であるので広がりは大きく無限である。1+1=無限となる。1+1=2のヨコだけの世界は、行き詰まりか、元に戻ってくる。(地球の表面を考えてみてください。)
私とあなたの関わり合いで、あなたが同性の場合は、階段を上るような楽な通じ方をする。あなたが異性の場合、積み木を重ねるような工夫や苦労を要する通じ方になる。しかし成功すれば、やったと言う喜びがあり、それまでの苦労は一瞬に消える。
私とあなた。他の人間との関わり方では、「あなた」と呼ばれて、「はい」と答えるだけでは十分でない。「はい。何でしょうか?」の返事が好ましい。「はい」だけで終わるとそのあとに間ができて会話は止まってしまう。「はい。何でしょうか?」といえば、対応が続き、一人では思ってもみなかった新しい世界をタテに広げることができる。話を発展させるコツでもある。
私たちとは、簡単なようでむずかしい言葉だ。常に内容が変わっていく働きがこの言葉の中にある。
私たちは最低二人を指し、最高数は無限である。人間ばかりでなく、生きているもの、口のきけない植物なども全て包括することのできる魔法の言葉だ。
「私たち」と言う言葉を使うとき、人は「私」を持たないようにしている。終わりの頃、誰もが自然と口にする言葉になる。