
the remnant of King Herod’s temple, AC 70, Juresalem
We used to be relatives
with the same father
Brothers and sisters
with the different minds
For God’s sake stop killing.
Lives are not yours.
これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
We used to be relatives
with the same father
Brothers and sisters
with the different minds
For God’s sake stop killing.
Lives are not yours.
最後日は朝、雨が降ったり止んだりの天気の中、出発。小郡萩道路の秋吉台ICから5分ほどで、秋芳洞正面入り口に10時頃到着した。入り口手前に延びる商店街をのぞきながら歩くのも楽しい。雨は止んできた。
入り口にある池や山道が雨上がりの朝靄に包まれて幻想的だ。
想像より大きく、そびえる大鍾乳洞、自然が産んだ様々なアートに名前がつけられている。
上がりコース1キロの上り坂を1時間ほどかけて歩いた。帰りは別ルートの下り坂だが、黒谷入り口から外に出て休憩した。店の椅子にかけてオロナミンCドリンクで水分補給だ。気温は相当上がってきた。
地上を約2キロ、30分かけて歩き、正面入り口に戻った。
次は秋吉台を一望できるカルスト展望台へ行く。
約3億5千年前に南方の海で珊瑚礁として誕生し、今日のカルスト台地を形成した。展望台近くにカルスターカフェがあった。ちょうど空腹を感じてきた頃、ハンバーガーのランチをいただきながら休憩した。
秋芳洞、秋吉台と両方で小学生グループが引率者と野外活動をしていた。すれ違いどき、旅行者に元気な声であいさつをしてくれる子供もいた。遠足は楽しそうだ。
二日目、下関駅近くから車で海岸線の一般道を北上すること約2時間。非常に興味があった角島大橋と対面した。
曇り空でコバルトブルーの海は期待できない、とやや諦めていたが、岸辺付近の海底も見え、グリーンがかった青い海に出会えた。
橋を渡り、明治時代から今に至る、現役の角島灯台に着いた。英国の灯台技師ブライトンが建てた外壁の御影石が美しい洋式灯台。内部もヨーロッパの教会の鐘撞きの塔を思い出させる。急な螺旋階段が123段続き、最後はハシゴのようにほぼ直角。手すりと天井から下がる太いロープを頼りに上がる。高齢者向きではない、今回体力を振りしぼり昇ったのは良い記念になった。
橋の近くの「道の駅ほうほく」は海山の食品やお菓子の品揃えが多く、人気があるらしい。私は記念に缶入りの小さなビカクシダの植木を買った。
次の目的地は車で3、40分。日本海に面する元乃隅神社に到着した。この神社はユニークで、宗教法人には属していない個人所有の神社だ。地元の網元、岡本さんが1955年、夢のお告げで白い狐を祀った。最近アメリカのCNN放送局で「日本の最も美しい場所31選」に選ばれ、訪れる観光客が急増したそうだ。
新しい御影石の狐が三体神社で祀られ、そこでお参りしてから、123基の赤い鳥居をくぐって海岸に降りる。この石段や岩場を歩くのも体力を要する。帰り道は迷わず駐車場に通じる近道を選んだ。
9月19日から下関の唐戸桟橋近くに二泊投宿した。
今回は、お墓参りのあと、出身地の山口県の現在を観る旅になった。従兄弟が車で案内してくれた。
幼稚園の頃、東京へ引っ越したので、幼い頃の記憶はあまり残っていない。カトリック系の幼稚園の建物は残っていた。今も子供達は通園している。
ホテルの近くに桟橋があり、門司港行きと巌流島行きの2航路がある。巌流島までは所要時間10分。海峡の波は荒く、船酔いしそうなところで到着した。
昔は30軒程の住民が住んでいた島も今は無人島、公園になっている。
400年前の伝説が有名な、「宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の聖地」の看板があった。佐々木小次郎は敗者になったが、島の名前は小次郎の剣道の流派、巌流の名前がつけられている。
桟橋の周りは散歩道が整備されている。夕食後、散歩に出ると波は荒く、桟橋に打ちつける音が絶え間なく続いていた。
昼間の海面とは打って変わって暗く、引き込まれるようだった。
新宿の損保美術館の山下清展を訪ねた。
8月9日、水曜日の午後、アクセスが複雑な場所にもかかわらず予想外の大勢の人々。190点ほどの山下清の生涯をたどる生誕100年目の回顧展を十分に堪能し、今まで見たことがなかった油彩画や陶磁器にも触れることができた。
1922年、関東大震災の翌年に東京に生まれ、1971年ドルショックがあった年に49歳の画家の生涯を閉じた。
私の人生と20年ほど重なり、当時の生活や風景、思想、旅行事情など思い出した。
画家活動が始まり、勧められて油彩画に挑戦、花々を多く描いた。
チューリップは私の好きな花でファイルを購入した。
日本中を旅した山下清は、海外旅行が難しい時代、今度は外国の渡航を希望する。2回40日の欧州旅行に出て、進化した作品を残した。
人並みはずれた記憶力と集中力で、帰国後1年経っても景色を再現できる能力、拡大鏡のような眼、多くの中間色を組み合わせる色彩感覚、、、天才以上の人物、唯一無二だ。
7月31日月曜日 19時30分から約30分間、二万発の花火が踊り、夢の時間が過ぎた。約二ヶ月前に協賛席のチケットを入手し、待ちどおしい日々を過ごした。
雨天の場合、順延はなく中止となるが、今まで幸運にもそのような事態はなかった。今日の未明前3時ごろ、珍しいゲリラ豪雨と連続の雷が轟いた。昨夜の花火大会の天候に感謝した。
旅の最終日は、石畳を歩く古寺巡りでゆっくり散策することにした。多くの寺院の中、観光案内所で勧められた浄土寺を目指した。
浄土寺は尾道駅からいちばん奥、瑠璃山を背景に尾道水道を眺める場所にある。616年の飛鳥時代、聖徳太子が開基したと伝えられている。
参詣者は二人だけ、建物の中は入場料300円で方丈を見学できる。入り口にはNHKのブラタモリがロケに訪れたことを紹介している。古い台所や襖絵の座敷、庭園と廻った。
当寺は江戸時代、京都にある皇室の菩提所、泉涌寺の末寺となり、大本山として1400年の法燈を継承している名刹だ。
私と友人は、京都の泉涌寺は2年前の秋に訪れておりすぐに思い出した。
同じ泉涌派に属する鎌倉の覚園寺は住職も当然ご存知だ。
友人が「家の菩提寺は泉涌寺派の鎌倉覚園寺です」とご住職に伝えると「泉涌寺派は全国でも少ない、これがご縁と言うものでしょう」とコメントしていた。
7月11日、朝9時15分、ホテル前の尾道港から、生口島の瀬戸田(沢港)に向けてシトラス号は出航した。待ち人がいない島は、汽笛を鳴らして通過する。向島、因島を経て約40分。レモンの島、生口島(いくちじま)に到着した。
沢港前のレンタサイクル店で2台の3段ギアの黄色い自転車を借りた。ルートは地面に塗られたブルーラインに沿って走るので迷わない。
ビューポイントのサンセットビーチまで海風の中進んだ。
ここで折り返し、風の少ない港方向に進み、港近くの平山郁夫美術館を訪ねることにした。陽射しが強いので、こまめに休憩をとった。
平山郁夫画伯の出身地である瀬戸田。若い頃の作品に目を惹かれた。昭和時代の地元の様子を描いた油彩画も珍しい。
建物や庭園も和風。手入れと愛情が行き届いている清々しいスペースだった。改めて平山郁夫画伯と奥様の歩んで来られた道を考えた。旅から戻り、芸大時代の平山美知子作品集をオンラインで購入した。
帰りは4時30分の尾道駅行きの定期バスを利用した。しまなみ海道を60分ほどかけて各駅停車で走り抜けた。
夕食は気になっていた牡蠣のレストラン。ホテルと同じ建物の港を臨む1階にある尾道ワーフ。店内が賑やかに混んでいたので美味に違いない。広島最後の夕食タイムも旅情を満喫した。
宮島の雨は午前中も本降り。10時前にホテルをチェックアウトして、次の宿泊地の尾道へ向かった。
山陽本線で宮島口から尾道まで2時間6分、途中糸崎で乗り換えて、12時26分に尾道駅に無事到着した。
ホテルは駅から徒歩5分の港に面している便利な位置にある。駅前にはパン屋さんや百貨店があった。荷物を預けて、午後はロープウェイに乗って千光寺公園を訪ねることにした。天気は回復している。
券売り場ではじめにロープウェイで山頂の公園まで上り、帰りは下山しながらお寺をお詣りするコースを勧められた。
千光寺は大宝山中腹の標高140メートルに位置している。
平安時代初期806年創建の真言宗のお寺で、本堂が舞台造りになっている。
境内に巨岩「玉の石」があった。由来は昔、岩の上に光る玉があり、その光が夜遠くの海上を照らしていたと言う。
夕方5時過ぎにホテルに戻った。海風が心地よく、波止場の散歩道を歩くと、犬の散歩中の地元の人々とすれ違う。
翌日のサイクリングに備えて、帽子を探しに駅近くの百貨店に行った。ホテルのロケーションは最高だ。
7月9日、新幹線で3泊の広島の旅に出た。
1日目は大雨注意報の出ている西日本に向かうことになった。新幹線は50分遅れ、広島駅から宮島口までのJR在来線も不通になった。残る交通手段は路面電車、所要時間は1時間15分だった。
前回は日帰りだったが、今回は宮島に1泊した。
雨の中、送迎バスでホテルに到着した。
夜8時30分からのライトアップの厳島神社を訪ねるツアーが始まると雨は止み、大鳥居の下まで歩くことができた。ツアー終わりの頃また雨が降り出した。
ホテルの早朝ガイドツアーにも参加した。
7時から1時間ほど近くの山道を散策した。傘をさしながらでも美しい緑を楽しむことができた。花崗岩が粘着質の真砂になっている。白っぽい地面のおかげで雨天でも明るい気がする。
晴れていれば目的地だった弥山(みせん)伽藍。
そこへ登るロープウェイの入り口。秋は紅葉が美しいベストシーズンらしい。紅葉は葉っぱの小振りなイロハモミジという種類だ。
ツアーの最後、ホテル隣りの車庫に可愛い鹿が待っていた。
島の人口1500人に対し、鹿は500頭ほどもいるそうだ。