ドイツ、アーヘン大聖堂、はじめまして。(2)

アーヘン大聖堂は宿泊ホテルから15分ほど上り坂の右手にあった。

朝の活気が始まっており、パン屋のショーウインドウには焼きたての様々な形のパンがところ狭しと陳列されていた。右手に屋根が見えてきた。小さな広場に面白いポーズをした数人の男たちが人工の泉の周りを囲んでいる。ドイツの彫刻はじっとしていない作品が多い。体型もユーモラスだ。

今まで曇り空だったのに、このドーム近くの広場に着くと日が射してきた。

空が曇りなのと晴天では、建物の見え方、印象がかなり違ってくる。天気に感謝した。中庭を通って入場自由の大聖堂。いよいよご対面と心躍った。

想像以上に素晴らしい細工に囲まれていた。どこを見ても超絶技巧を施された宝物。八角形の天井は複雑に模様や大理石が組み合わされている。ステンドグラスの窓も様々な模様、雰囲気で、時代が違うものが混在している。

信者の信仰が今も新鮮に息づいていた。786年にカール大帝が建てた宮殿教会の内陣には祭壇があるが、一般客は入れない。しかし、見るとグループが入って説明を受けている。

私が羨ましそうに仕切りのチェーンから身を乗り出していたのだろう。背広姿の年配の紳士が、1時から中庭に集合したら、ガイドツアーがあるよ、と教えてくれた。

写真は撮り放題、入り口に係のおじさんがいなかった。しかし、帰る時、おじさんに気づいて、1ユーロを払った。接着性の白いテープ状の許可の印をカメラにつけてくれた。

ドイツは入り口、出口、駅の改札、指定席の検札など、人がいたり、いなかったりで、チェックしたり、しなかったりで、これもお国柄だろうか?

大聖堂は今も補修工事があり、小さな小さな募金箱と大きなドームの全体写真が中庭に設置されてあった。姉と私は、これもご縁だ…と極小スリットに工夫しながら紙幣を入れた。貧しそうな人が突然、目の前に現れ、両手を差し出した。とっさに紙幣1枚を差し出した。男性の表情は変わらない、そのほうがよかった。

 

ドイツ、アーヘンに行く! 旅 の始まり(1)

母はキリスト教関係の月刊誌を数十年にわたって購読していた。

私は見出し程度を読む程度だったが、母が他界して約1ヶ月経った頃。

それは購読分最後の7月号の「サインズ」。珍しく隅々まで目を通した。

その中にアーヘン大聖堂の記事があった。ヨーロッパのキリスト教文化や美術が好きだった母。

ある時、私が家に戻ると、

「今日はイタリアの広場を散歩したよ。」

と言う。テレビをずっと見ているので、現実感があったのだろう。

母は海外に行く機会がなかった。

一緒に行きたいと思った時は車椅子。

他にもトイレ問題もあり、実現しなかった。

このアーヘン大聖堂の美しい写真を見て、読んで、ピンと来た。

ここを訪ねる! 母と共に。ケルン大聖堂も近い。二つの世界遺産を見て感じるのだ。母のセンスとも合うはずだ。

7月末、相続など実務手続きを超特急で済ませ、四十九日法要も終えて、一息ついた頃。

旅行会社を訪ね、旅の計画をたてた。1週間の予定でアーヘン4泊となんとなく親近感のあったハイデルベルグ2泊にした。

出発が9月11日なので、ホテルや航空券など早割料金が適用された。

同行の姉も私も若くはない。体力も自信がない。特急列車の予約は1等車で入れてもらう。

直行便で成田からデュッセルドルフまで11時間、帰りはフランクフルトから羽田まで13時間。

なんとか足の血行問題は大丈夫だろう。代金は全部で21万円だった。

昔、初めての欧州旅行は大韓航空で南回り、3箇所に寄りながら、24時間。

飛行機代もずっと高かった。40年も前のことを思い出した。

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