ハイデルベルグ、クルージング(2)

船は定刻に出発。しばらくすると隣りのマッシュー君が何か言いたげだった。このドイツの若者は一人旅だ。イエス?と話しかけると、川の中で人を見つけたらしい。よく見ると冷たい水の中で男性が泳いでいた。

ハイデルベルク城

オー、アンビリーバブル!で会話が始まった。ブレーメンから休暇を利用して車でハイデルベルグの親戚の家を訪ねた。1日チケットは便利だ、と見せてくれる。話し始めると大きな声で高笑いする陽気な人だとわかった。仕事は警備員で食料品を扱う倉庫で侵入者をモニターチェックをしていると言う。船内に犬がいたので、犬は好きですか?と聞くと、まあまあ、猫の方が好きだ、と答える。2匹の猫を飼っている。彼らはまったく性格が違う、オスの三毛猫はダランダランしておっとりしている。一方、白黒のメスは騒がしく、子供が来ると毛を立てて追いかける。彼は、英語が得意ではない、ごめんなさい、と言いながら、すべて身振り、手振り、猫の鳴き声、顔マネを交えながら説明した。とてもおかしかった。プロの芸人のようでモノマネが上手だった。

上流の折り返し船着き場

例のサイン帳に好きな言葉を頼むと、哲学的なフレーズは浮かばない?
しばらく悩んで、モインモイン、と書いた。これは彼の造語で、朝、昼、晩と使える挨拶の言葉らしい。皆に受けているそうだ。最後にお礼のボールペンを渡すと、すぐにバッグの中でお返しの品を探し始めた。そして日本では見かけない特大のレッドブルの缶を指差した。500ミリリットル近くの缶、重たそうだ。
ノーサンキューと丁重にお断りした。

ネッカー川
川原で休憩中の水鳥

 

ハイデルベルグ、クルージング(1)

9月16日、月曜日。旅も終わりに近づいて明朝はフランクフルト空港から羽田へと帰路に着く。最終日は観光スポットを見つけるのではなくノープランで行こう。

朝食をゆっくり多めに取り、9時過ぎにホテルを出た。ネッカー川を目指し進むとほどなく、川沿いの道を見つけた。歩いていると観光船発着場がいくつもある。出発時間を調べると11時出発3時間のクルーズがあった。料金は17ユーロで高くはない。天気も良いし、船上からハイデルベルグの町並みや城や城壁も眺められる。

 

出発まで1時間余りあるので、そのまま川岸に沿って散歩を続けた。有名な古い橋、カールテオドール橋のふもとについた。モダンな猿の像がシンポルになっている。頭部が空洞になっており、そこに頭を入れるとラッキー?。猿の手にある金貨をさわると金運がよくなる。奈良の東大寺にもくぐり抜けると幸運、という柱があったのを思い出した。早速、試してみた。頭はするりと入った。何か期待ができそうだ。

11時10分前に船着き場に戻ると、すでに十数人の観光客が並んでいる。ほとんどが2階野外デッキに行く。昇ってみると席はほとんど満員。大型犬を連れている人もいた。上流の停留所で下船して3時間ハイキングして、5時発の船に乗ることもできる。山歩きスタイルのグループもいた。席を探していると、最後列の船の手すり近くに2つ空席がある。上下グレーのスエット姿のマシュマロマン風の男性がここ空いてるよ、とジェスチャーで示した。折りたたみ椅子の個人席だ。テーブル席は満杯。狭そうだが、落ち着けるかもしれない、とそこに席に決めた。客の後ろ姿が多いが、デッキ全体の様子も眺められ、両側の景色もよく見えた。

 

アーヘンから列車の旅

9月15日の日曜日、4泊したホテルを後にしてアーヘン駅へ向かった。ケルンまでは各駅列車に乗り、そこからハイデルベルクまでドイツの新幹線と呼ばれるICEを利用した。

アーヘンを11時51分に出発。スーツケースを引いて二人分の空席で出口の荷物収納場所がよく見えるところを探した。座席上部の席番号がないところは指定席でないとわかる。行きつ戻りつ、4人掛けの席に座ることにした。すでに髭の男性が分厚い本を開いて静かに読書している。一見風格のある気難しそうな人に見えたので最初は通り過ぎたのだ。

人は見かけによらず。しばらくたって、おもいきって話しかけた。「私たちはケルンで乗り換えてハイデルベルグへ行くところです。」

男性は顔を上げ、「僕はベルリンまで行きます。大学生です。」「何を専攻されていますか?」 「哲学ですよ。」

何か話が合うような気がしてきた。

「私も宗教に興味があります、クリスチャンですか?」 「そうだけど熱心ではありませんね。」「今、母の追悼の旅でドイツを回っています、よかったらこのミニアルバムに好きな言葉かフレーズを書いてくれますか?」 「それはいいアイデアですね。」

前日のケルン大聖堂で書いてもらった言葉、Have faith. を見ながら、信仰も大事だけど、僕は自分自身に対して「強くあれ」、と言っています。と説明して、

Be strong.とドイツ語で書いてくれた。その後も話がはずみ、なぜハイデルベルグに行くのか、など積極的に質問してきた。

降りるとき、よい時間を持てたと握手をして別れた。姉は、学生とは思わなかったね、素敵な人だったから写真を撮ればよかったね、と言った。私はこの哲学する学生との記念写真は撮らない方が余韻が残るだろう、と思った。

ハイデルベルグ駅には15時34分に到着した。タクシーで旧市街にあるホテルに向かった。古い建物を改造したペンション風のかわいいホテルだ。

ケルン、駅近くで買い物(3)

旅のお土産にオーデコロンの発祥地のケルンでコロンを買うことにした。「ケルンの水」という意味だ。ナポレオン軍占領下、人気となったコロンの老舗が駅近くにある。店の名の4711はナポレオン時代の住居表示だ。店内は混雑していた。サンプルをいろいろ試して、バラの香りを選んだ。人気の香りのようだ。たくさんのギフト用リボン付きのラッピングの箱が並んでいた。

その近くにLブランドのバッグショップがあった。今回の旅に使っていた貴重品入れのショルダーバッグは風袋が重い。軽い素材のバッグを探しに店に入った。1階は高級品、意外に2階にカジュアルバッグが置いてあった。中国系の女性店員が笑顔で接してくれた。グレー系の軽い素材の小振りのショルダーバッグを選んだ。

店員は英語を話すが、ドイツ語も堪能のようだ。中国語は主語、動詞、目的語と同じ場所なので英語など習得しやすいそうだ。うらやましい。日本語はこの点で語順が違うので、英語の上達が一般的に遅くなってしまう。

彼女は中国から移住して15年。娘もドイツで育てている。サイン帳に好きな言葉を書いてもらうことにした。快く中国語と英語で書いてくれた。

祝悠幸福!

I wish you happy days.

話しているうちに6時近く。姉がきれいな色の携帯傘を見つけ、購入を考えていた。合理的なお国柄か、

「もっと考えた方がいい、もう閉店だし。」結局買わずじまいになった。残業はなし? 働き方は日本とは違うようだった。

ケルン、ルートヴィヒ美術館を訪ねた(2)

遅いランチを近くのホテルカフェで取った。大聖堂の周りはどこも混雑していたので、人気のない近くの路地に行った。客は誰もいないが、窓際の席から大聖堂の尖塔部がよく見える。ピザとスープを頼んだ。

目の前にローマ・ゲルマン博物館がある。食後はその隣に位置するルートヴィヒ美術館を訪ねた。現代美術のコレクションが多い。入場料は13ユーロで、荷物はホテルのようにクロークに預ける。撮影は自由だ。

ピカソ

中は広い。日本でこんなスペースの美術館はないだろう。作品ごとはかなり間をとっている。時間が限られているので、ピカソコレクションを中心に鑑賞した。今まで見たことのない絵画が多い。その他に、陶板や彫刻が個室コーナーに展示されていた。ここも初めて見る作品ばかりだ。土曜日の午後、鑑賞しているのは数人だ。ゆっくりできる場所だった。

アルルの女
モジリアーニ
「アルジェの女」

今、人気の高いモジリアーニの作品もあった。見覚えのある女性だ。帰国して絵葉書のファイルを見たら、同じ絵が入っていた。「アルジェリアの女」だ。本物に会えるとはすごく低い確率だ。1920年に若くしてこの世を去ったイタリア出身の画家。苦悩があったのだろうか。一目で見たら忘れない女性像を多く今の世に残した。

ケルン大聖堂に上った(1)

9月14日土曜日、今日は世界遺産のケルン大聖堂を訪ねる。

アーヘンから列車でケルン駅まで1時間足らず。日帰りの旅だ。往復チケットは46ユーロだ。

のんびり車窓を眺めていると、突然巨大な大聖堂の一部が出てきた。駅のすぐ横に位置しているので、迷うことはない。土曜日の午前中で特に混雑していた。建物正面に向かうと中国関係のイベントの仮テントやステージが広がっていた。ケルン大聖堂

とにかく中へ入ろう。礼拝堂に行くと祭壇の前で集会、ミサ?の最中だ。後ろの席近くは立ち入り禁止の紐が張られており、真ん中で祭司の服装のヒゲをたくわえた若い男性が立っている。手前の観光客が入らないよう番をしていた。そんな雑踏の中、インタビュのことを思い出した。

”Excuse me. May I ask a big favor?” (厚かましいお願いですが。)

と話しかけた。はい?と答えてくれたので、

「私は今5月に他界した母の追悼旅行をしている途中です。

あなたの好きな言葉をアルバムに書いてくれますか?」

数秒考えて、”Have faith.” と英語で書いてくれた。名前はニコ。まったくこの名前にピッタリの印象の教会の方だった。

聖堂内は人が多すぎてゆっくり観光ができない。外に出て、南側尖塔に上ることにした。建物を出て左側に行くと、地下へ続く階段がある。入り口で入場料2.5ユーロを払う。らせん階段で両側通行。エレヴェータはありません、のサインがあった。533段で急な階段。体力のない人は上らないでください、と注意しているようだ。ガイドブックには30分かけて上り、翌日膝が痛くなった、などのコメントもあったが、せっかくだ。高いところに絶景が待っている、いざのぼらん。

ケルン大聖堂の南尖塔からの眺め

ゆっくり上れば、それほどきつくはない。途中に大きな鐘が置いてある休憩スポットもある。上がってよかった。157メートル上空は天気がよく、ライン川や橋、遠景がくっきり広がっていた。柵も気にならなかった。

明け方、母から言葉を受け取った

9月14日の明け方4時頃、テレビの方からなにやらミシミシする音で目が覚めた。しばらくベッドの中にいたが、恐る恐る起きてみるとテレビの電源が入って画面が黄色くなっていた。リモコンですぐに電源を落としてベッドに戻った。

すると心の中に母からのメッセージが浮かんできた。集中して受け取った。20分くらいだったろうか。その内容は要約すると次のようになる。

  • アーヘン大聖堂はとてもきれいだった。素晴らしい建物だったですね。

神様の創られるものはすべて美しい。

  • お母さんは退屈しません。生きている時も今も同じです。生きていると、不快なこと、感情的になること、気にしすぎることなどありますが、それらは地球の上ではチリやホコリのようなもの。吹き飛んでしまう。小さな凹凸は気にすることはないですよ。
  • ちさは変わらずに、いつまでもちさのままでいて下さい。

ドイツのアーヘンで母の感想を聞くことができて安心した。

そして励まされた。

確かに一緒に旅しているのだ。

アーヘンの温泉施設でトラブル

マーストリヒト駅に戻り、予定通り18時19分の列車に乗車、19時30分にアーヘン駅に到着した。

20時前にホテルに戻った。姉がこれから温泉に行こう、と積極的だ。

カルロス・テルメンという温泉施設があり23時まで営業している。ホテルからタクシーで10分くらいの場所だ。カール大帝も利用したアーヘンの温泉には興味があり、一応水着は日本から持ってきている。

受付を通り、貴重品用のボックスキーをもらった。説明掲示板はドイツ語だが、常識に従って扉を開ける。貴重品を入れて、進むと足を洗う浅いプールやシャワーがある。着替用の個室が並んでいる。反対側のドアから出ると、衣服を入れるロッカーがあった。しかし、ここで問題があった。タオル類が1枚もない。バスタオルを肩にかけたい。うろうろしていると、掃除をしていたにこやかな男性が声をかけてきた。通常、タオルは各自で持ってくるらしい。レンタルは受付で頼むそう。受付に行くとフェイスタオル2枚しか残っていないという。日本ではタオルは無料? もちろん、何枚でも自由に使えますよ。

やっと温泉のあるドアを開けた。いくつかプールになっている。ジャグジー風呂もあるが、どのプールも温度が低すぎる。体が温まらない。寒くなって30分くらいで上がることにした。そのあとで再び問題が起きた。

更衣室ですぐに貴重品入れの鍵がないことに気づいた。ロッカーの鍵と兼用だ。ロッカーに戻ってもない。どこを探してもない。またニコニコした掃除夫が、温泉楽しみましたか?と声をかけてきた。事情を話し、一緒に探してもらったが見つからない。セキュリティ管理者がマスターキィを持ってきて、私の貴重品入れを解錠した。何もなくなっていなかった。

受付で事故調査票を書き、鍵を作る費用30ユーロと後払いの入湯料11ユーロを払った。手続きは20分ほどかかり、受付で帰る人たちが精算のため数人並んでいた。3日間で鍵が見つかったら返金になるので、メールで問い合わせてくれと言う。その頃はハイデルベルクに移動している。返金の可能性も低いし、30分で41ユーロと高額の出費だったが、貴重品は無事だったのは嬉しかった。

しかし、鍵はどこに行ってしまったのだろう。5分の間に消えた。謎である。

マーストリヒト、街歩き、聖母マリア教会(3)

下船して旧市街をブラブラ歩くことにした。特に目指すところはない。古い石畳をよく見ると継ぎ目があり、石の形も同じではない。犬を連れて散歩している人、ラフな服装の親子、地元の住民、本を抱えた学生、豪華に着飾った年配婦人、観光客が一緒に週末をのんびり楽しんでいる。横浜の元町の休日を思い出す雰囲気だ。しゃれた店も連なっている。

花と石畳

聖セルファース橋から10分も歩かないうちに、大きな広場、大きく育った1本の木、その横に聖母マリア教会があらわれた。窓はほとんどなく壁状にみえる。海の星聖堂は無料開放されており、薄暗い。ロウソクがたくさんともっていた。ロウソクを買って一つ加えた。

聖母子の像は白く輝いていたが、細部はよく見えなかった。地下のギフトショップで絵葉書を買った。信者が寄贈する豪華な衣装。刺しゅうが美しい。たくさんの手の込んだ衣装があり、時々衣替えしているそうだ。

聖母子像

帰りのアーヘン行きの列車は18時19分。駅の近くで休憩することにした。

橋の近くに戻ると、ちょうどリバーサイドカフェのテーブルが一つ空いた。夕方のマース川、行き交う人々を眺めながらのんびりしよう。

アーヘンに到着した夜、ホテルのレストランで食べたハンバーガーとフレンチフライのポテトの量が一人前と半分くらいあった。ドイツの料理の一人前は一般的に日本人には量が多いらしい。それ以後、食べ過ぎに気をつけ、プリッツエルのサンドイッチやカットフルーツなどを間食に食べていた。パンは時間が経っても美味しく、飽きない。駅で多くの種類があり、人気がある。

●帰国して、ドイツフードに関してある研究者の講演会に参加した時の話。

ドイツのパンはヨーロッパでも特にいちばんと言えるくらいに美味しい。昔から主食と言えば、ポテトやキャベツ酢漬けではなく、パンとコーヒーだそうだ。日本のご飯とお味噌汁という定食感覚。お米を入れた野菜スープも庶民の食べ物も戦争中からあったらしい。

私たちは胃にやさしいメニューを選んだ。サラダ、野菜スープ、本日のスープ、カプチーノだ。野菜スープが人参色の濃厚味で美味しかった。本日のスープは鶏のささ身が入ったあっさり味。低カロリーの早い夕食をすませて駅に向かった。

マース川の船上でインタビュー最初の人と出会った(2)

今回の旅をより有意義な時間にするために、出発前に次のイベントを考えた。

まずサイン帳になるハードタイプの10センチ四方のミニアルバム(母の写真集)を持参した。写真は話の途中で利用することもできる。

⚫︎旅先で人のよさそうで、話しやすそうな人と会話する。

⚫︎彼らの出身、仕事、住んでいるところ、などを話題にし、最後に好きな言葉や座右の銘、モットーをアルバムに書いて名前だけでもサインをもらう。

⚫︎最後に日本からの記念品としてパイロットのフリクションボールペンを渡す。

このボールペンは先端に消しゴムがついているタイプで、外国人に人気と聞いている。

アーヘンでは観光に忙しく、インタビューの時間とチャンスがなかった。

ところが、遊覧船の階下のレストランに行くと、思いがけず、若いウエイターが話しかけてきた。

`Are you a Christian?  Because your choker chain of a cross…`

私の小さな、しかし光っている十字架のネックレスを見たのだ。

`Yes.  Are you?`

から会話が始まった。

自分もそうだといい、左手の手首内側に1センチ四方の十字架のタトゥを見せてくれた。アフリカのコプト教会だろうか?多くのクリスチャンではタトゥは普通のことらしい。

日本からの観光客だと告げると、すぐに積極的に質問してきた。

「日本にはどのくらいのクリスチャンがいるのですか?

エジブトではアフリカンクリスチャンが9パーセントくらいです。」

「日本は多分1パーセントくらい。」と答えた。

(⚫︎メモ:日本の歴代首相では63人中7名で11パーセントと以外に高い。)

彼はエジブトのカイロからオランダに移住し、このレストランで働いている。

最後にリクエストに応じてサイン帳に好きな言葉をアラビア語で書き、ハートマークを2つ入れてくれた。

 * Love is the base of life.*   (実際はアラビア語)

「日本語で訳を下に書いてください」というので、「愛は人生の基礎です。」と書いた。

そして最後に `This is a pen made in Japan. `  と記念品を手渡した。中学時代の教科書を思い出し、少しおかしく思った。同僚のウエイトレスに軽く手で注意されながらも、それにはお構いなく、彼はスマホを取り出し、2ヶ国語で書かれた彼の好きな言葉のサイン帳と私を入れて自撮り写真を撮った。仕事中だったので、とにかく素早い行動とインタビューだった。申し訳なかったが、喜んでいて私もうれしかった。

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