京都日帰りツアー、貴船神社(1)

貴船神社、絵馬の発祥地

11月26日、新幹線のぞみを利用して日帰りツアーに参加した。京都での滞在時間は9時から夜8時までの11時間だ。

日中の気温19度、晴れたり曇ったりで風は心地良い。貴船神社は鞍馬近くの山に1300年前に創建され、水の神様を祀っている。これは日本書紀と同じくらいでかなり由緒ある古い神社。

絵馬の発祥地で本殿前に2頭の馬の像がある。和泉式部、平實重(さだしげ)、源義経もここで大神様に祈ったと聞くと、歴史上の人物も身近に感じる。

2頭の馬、古くは歴代天皇が日照りの時には黒馬、長雨の時には白馬または赤馬を捧げ祈祷された。のちに生馬の代わりに「板立馬」を奉納したことから、現在の絵馬の由来になっている—そうだったのか、とても興味深い説話だ。

しかしここは日照りには縁遠いような渓谷、川縁に並ぶ石垣の

貴船川、苔に覆われた石垣

豊富な苔が美しい。紅葉のピークの後の枯れ葉が地面を覆っていた。

桂(ご神木)
貴船渓谷を流れる川

 

 

 

 

 

 

 

北鎌倉、懐石料理と散策の半日ツアー

11月20日、23度と季節はずれの暖かい天候に恵まれ、天気予報の小雨にも会わなかった。北鎌倉の古民家レストランで「懐石料理の昼食と付近の寺を巡る小さな旅」を企画。

北鎌倉駅付近の紅葉風景

フランスから来日の友人と駅で待ち合わせた。徒歩10分で着くはずの幻董庵、住宅街で迷い、お店に電話。お女将さんが自転車で迎えに来てくれた。親切、家庭的で、近頃珍しく嬉しくなった。予約した時間は13時だ。道端に咲く花や木々の話をしながら、焦ることなく、門に辿り着いた。

幻董庵、入り口

建物は昭和初期の2階建の木造。庭の松や季節の紅葉が美しい。正面にそびえる崖も種々の緑で覆われている。懐石料理は2時間ほどかけて頂く。始めの食前酒の梅酒からコースが始まる。器と料理の盛り付けを楽しみながら、3時30分過ぎまでゆっくり会話を楽しんだ。コロナ対策で席は四人テーブルを対面で二人で使用した。

懐石料理
幻とう庵、門の上で遊ぶリス
Photo by Emi

帰りがけ、庭に2匹のリスが突然、かけっこしながら現れた。友人がカメラシャッターをリスに負けないくらい早技で撮ることに成功。若い人は機敏だ。4時近くになり、近隣のお寺を散策することにした。お店の人が東慶寺と浄智寺が近くて女性にお勧めと、地図をくれた。

浄智寺、境内

駆け込み寺で有名な東慶寺は、ギリギリ閉門時間に間に合って参拝できた。浄智寺は関係者葬儀をされていたが、境内に入った。巨大な岩の横道の先に薄暗い洞窟の布袋尊が見えた。境内を一周した。

静かな薄暗い空のもと、鳥の鳴き声が?と思ったら、リスが私たちのいる頭上の枝で、しきりに鳴いているのが見えた。喋っているように聞こえる。その声はずっと続いていた。

東京国立博物館のゆりの木

11月12日、東京国立博物館の特別展、「桃山ー天下人の100年」を訪ねた。
建物の前にそびえる一本の大木は秋の色。このゆりの木の雄姿が一番印象に残った。平成18年の記録では高さは32メートル、幹回りは48メートルとあった。

葉っぱの形は奴凧のような半纏をしていることから、別名、半纏の木。北米原産の落葉高木だ。1881年?、30粒の種から育ち、現在は140歳位。モクレン科で春はチューリップのような花をつけることからチューリップツリーとも呼ばれる。

大きく広がる枝と幹を支えるのは、もちろん根っ子だ。木の巾と同じくらい広い範囲で根が伸びているのが見える。人々が踏まないように低い柵で囲ってある。根っ子の姿も力強い。

北鎌倉、円覚寺を訪ねた (2)

円覚寺は1282年、私寺として、北条時宗が開山した。
元寇の戦没者を追悼するため、中国から高僧、無学祖元を招いた。その2年後に亡くなった時宗の墓が「佛日庵」だ。歩き疲れて休みたいと思っていたところ、佛日庵の弁天茶屋のポスターが目に入った。迷わず、お抹茶券を購入し、赤い毛氈の上でお抹茶と鳩落雁を頂いた。

残るは国宝「洪鐘(おおがね)」だ。坂道を下ったところに上り階段があった。先が見えないくらいたくさんの階段が見える。最後の頑張りを出そうと、いつもなら諦めるところだがこの日はエネルギーがあり、階段を上った。やっと頂上に着くと小さな弁天堂。向かいに洪鐘があった。大晦日に使用されるもので一般人は触れない。鐘の横のベンチに若い女性が座ってた。他に誰もいない。共にマスクを付けていたが、目が合い、ハアハア言いながら、「こんにちは」と声をかけた。

聞くと「フランスから来て、日本で働いている」と言う。その日の朝、彼女が近くの公園で見かけた迷子の白いウサギの話になり、写真を見せてくれた。動物が好きで「気持ちがわかる」と言う。その後、話が弾んだ。30分かけて小町通りまで歩き、夕食も一緒に頂くことになった。

円覚寺の花

その間、木に駆け上るリス、庭先のカラス、トンビ、小町通りにある人気の豆柴カフェに住んでいる黒色シバと通常の茶色のシバ犬。散歩途中の3匹にも出会った。鎌倉ならではの風景に加え、コロナ禍で悩むフランスの厳しい事情も聴くことができた。思いがけない出会いの小さな旅になった。

北鎌倉、円覚寺を訪ねた (1)

10月29日、今月いちばんの秋晴れ。
北鎌倉の古民家ミュージアムの「絣展」を訪ねるつもりで家を出た。北鎌倉駅を13時近くに下車。すぐに円覚寺の階段が現れた。その先が古民家なのだが、この秋晴れで建物の中に入るのはもったいない。急な階段を見上げて迷ったが、じっくり円覚寺の境内を散策することにした。

結局、境内の建物は数多く、3時間近くも滞在し、絣展は後日訪ねることになった。横浜に住んでいても、参拝は今回初めてだ。興味深く観てまわった。臨済宗の大本山で私の学生時代から週末は座禅の会が催されていた。

夏目漱石が神経衰弱で苦しんでいた時期、この寺で参禅した。
「佛性は白き桔梗にこそあらめ」
漱石の句碑が残されている。この句で当時の漱石の心情が伝わって来た。漱石は正岡子規と親しく、小説以外に俳句や漢詩、書、水彩画も描いた文化人。49歳で世を去った。オーストラリアでルームメイトだったパティが漱石の勉強をしていたことを思い出した。

方丈、金沢翔子書の屏風

方丈の建物には金沢翔子書家の大きな作品がどっしりと置かれていた。建物の縁側には椅子が置いてあり、日本庭園の池が鑑賞できる。方丈の中も訪れる人が少なく贅沢な空間だった。

水木しげる、飄々と生き延びた偉人

「戦争で生きたいと願っていたのに亡くなった人、すなわち、無念の死を遂げた人のことを思えば、今誰も可哀想でない、と思う。」

2015年11月30日に93歳で亡くなられた、水木しげるの言葉。

2007年8月12日NHKスペシャルで終戦記念番組「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」の中で、水木しげるがコメントされたのが上の文章だ。
思い切った表現が心に残り、メモしておいた。今回の旅でまた思い出した。

この時に「総員玉砕せよ!」「泉鏡花伝」「猫楠」など読み、改めて水木ワールドに触れた。

米子鬼太郎空港

ホテルに戻るともう4時。空港へ向かった。
出発ロビーの天井を見るとクジラ船に乗った鬼太郎まんがのキャラクター達のディスプレイがある。何か見覚えがある?

空港内の空飛ぶクジラ船

数年前に購入したデジタル版画と同じデザインだ。
水木しげるさんが他界した時、デパートで敬意を込めて購入したもの。
クジラの肌の濃淡を表現する点描手法が非常に細かい作品だ。

自宅にあるデジタル版画

これも出会い。

米子市と足立美術館(4)

翌朝、6時過ぎに目が覚めた。窓を見ると全体に霞んでいる。珍しい赤い太陽が丸く浮かんでいた。朝食はコロナ感染防止のため、通常のビュッフェではなく、和食または洋食がプレートで給仕された。この朝からの変更だ。和食を選ぶと、納豆、おからの和物、筑前煮、明太子、卵焼き、地元の子カレーの焼き物、宍道湖のしじみのお味噌汁など。ヘルシーでボリュームたっぷりの朝食だった。

枯山水庭

足立美術館へはホテルから3分くらいの久米町バス停から直行バスがある。
乗車時間は30分弱。10時前に美術館に着くと観光バスが2台入ってきた。しかし入り口を抜けると50人くらいの来訪者はだんだん見えなくなった。

手入れが行き届いた大小様々な庭をゆっくりと鑑賞。創設者の足立全康さん(1899〜1990) が目指した、横山大観が描くような絵画的な庭が続く。落ち葉やゴミなど一つもない。朝早いのにすでにスッキリと美しい。足立さんの精神に預かってこうして楽しめる。足立さんに拝礼です。広さは5万坪だ。館内には3ヶ所の休憩できるお店がある。

館内にもミニ石庭

 

 

 

 

どのお店も客がいなくて寂しい、もったいない。私たちは寿楽庵と言う茶室に入った。窓は掛け軸状に二つ開けられている。昭和45年美術館創設の際、制作された記念品の純金の茶釜で沸かしたお湯を使って、お抹茶が出される。お菓子は「日の出前」と名付けられた羊羹。小豆と砂糖を何層にも練り合わせたと説明があった。口当たりがとても優しく、リッチだ。

寿楽庵、床の間の書

床の間の書に注目した。「不風流処也風流」。
風流ならざる処また風流、と読むそうだ。禅語が収められている、中国の仏教書「碧巌録」からの言葉。

平安時代の書物で「風流」はここから始まったらしい。個人的に「風」は好きな言葉だ。すべてのものは風流だ…..。

足立美術館の庭は絵のように見えても日毎、季節ごとに変化している。風流だ。

米子市と足立美術館 (3)

市内めぐりの最後は寺町通り。小路(しょうじ)と呼ばれる昔風の道を通り抜け、寺町が現れた。400メートルの道に地方から移された九つのお寺が同じ側に並んでたっている。整然とした印象だ。門構えや庭のデザインも様々。その真ん中に位置するのは妙興寺だ。日蓮宗のお寺で米子城の功労者、横田内膳のお墓がある。

日蓮宗妙興寺、内膳さんが眠る

内膳さんは米子城に天守、御殿を設け、堀など城全体を整備した家老だ。そして城下町の町並みも完成させた才能あふれる武士だった。徳川家康から、甥の中村一忠の後見を託された。しかし米子城騒動で中村家の家来に志半ば、52歳で暗殺された。一忠もその後、20歳で夭折した。そんな伝説がある妙興寺だが、景観の気持ち良い庭だ。夕方になり、少し冷たい風が出てきた。

夕食時刻。近くの境港から水揚げされた松葉ガニの料理を扱う店を紹介してもらい、5時に予約を入れた。松葉ガニは山陰地方で水揚げされるズワイガニの別名。ホテルから自転車で10分くらいの純日本料理屋だ。部屋は椅子席にしてもらう。コース料理で焼きガニやカニすき、最後はカニ雑炊。初めての松葉ガニ料理のコースをありがたく味わった。

米子市と足立美術館を訪ねた (2)

城山の山頂は標高90メートル。山頂に着くと左に島根半島、日本海、右側に遠く隠岐大山国立公園の名峰大山がハッキリと見渡せる。地図で見ると離れているのに大きく見えた。富士山に似た姿だ。米子は水も美味しく、城山付近は空気もフレッシュ、違いがわかる。水は大山を源泉としていると聞いた。

名峰大山(だいせん)、中国山地
米子城跡の頂上から眺めた

下山して再び自転車で創業200年の長田茶屋で休憩。ここで茶道具の展示を見ながら、お抹茶と茶箱羊羹を頂いた。洋風和風のスィーツも広く扱っている。お抹茶をお土産に購入した。

老舗長田茶屋の店舗

次のスポットもお茶屋さん。米子城の改築、維持に寄与した豪商の鹿島家が城のシャチホコを記念品として贈られた。庭に据えられていた。400年前の陶器で高さ92センチと大きな縁起物だ。鹿島家の町屋の内装は天井が非常に高く、横に伸びている神棚が印象的だった。

鹿島家中庭のシャチホコ、400年もの

城下町米子は米子城と共に400年の町人の生活があった。特徴的なのは1609年に城主中村家が断絶し、家老の荒尾氏が預かった。以降は米子の商人たちが力を出し合って城の維持に努めた。城主なしの城下町で、移住してきた職人たちの気合、商人たちの自由な雰囲気と団結が続いてきた。

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