京都の旅、宇治平等院 (7)

人力車は平等院入り口で終点。ちょうど12時だったが、続けて平等院を見学することにした。

平等院は40年以上前に修学旅行で訪ねた以来。十円玉に建物全体があり、1万円札の裏に左の鳳凰が大きく描かれている。

庭園はイメージと違った。ちょうど一月から二月にかけて洲浜の掃除で水抜きの最中だった。鳳凰堂中堂、別名阿弥陀堂は足場が組まれており、壁の雲中供養菩薩像あたりはベールがあり修理中。安全保全のため、40名ずつ拝殿する。整理券を300円で購入した。

珍しい豪華な金色の木造の阿弥陀如来像、天蓋、光背は1053年に大仏師の定朝が造った唯一残る当時の像だ。

池の水なくして平等院のイメージは撮れないので、裏に回った。屋根の鳳凰は表も裏もなく変わらぬ姿で立っている。

平等院を裏側から見る

庭園内に2001年にオープンになった鳳翔館がある。その建物の手前で御朱印を頂いた。この日は工事中、そして新型コロナ感染警戒のためか、来園者が少なかった。担当者は丁寧にゆっくりと筆を走らせてくれ、ステキな御朱印を頂いた。

鳳翔館には大きな梵鐘、本物の鳳凰一対、阿弥陀堂壁からの雲中供養菩薩像26体が壁に掛けられている。風雨から守るために外の屋根にある鳳凰はレプリカだ。鳳凰の足は思ったより長かった。体長の4割くらいはありそうだ。菩薩像はそれぞれ異なる楽器を持ち、その種類の多さに当時の豊かさを感じた。大陸から影響だろうか。

優美な御朱印 ⛩

京都の旅、宇治上神社 (6)

 

宇治上神社の本殿
屋根が前半分長く、美しい曲線

宇治上神社は京都宇治の世界文化遺産17の寺の一つだ。鳥居の横の石碑文字がユニークな中国書体。本殿は平安時代後期に建てられた。現存最古の神社で、国宝になっている。鎌倉時代の拝殿も国宝指定で本殿の前にある。

この神社に祀られている祭神の応神天皇、仁徳天皇、稚郎子の物語をM君は詳しく話してくれた。父親の応神天皇に三人の異母兄弟がいた。末子の稚郎子(イラツコ)は学問好きで、人徳あり、百済人の知識にも通じ、父から寵愛を受けていた。

この兄弟が皇位をめぐって争い、天皇空位が続いた。この争いは奪い合いではなく、譲り合いだった。皇太子イラツコは学問が楽しく、皇位を継ぎたくない。兄は学に秀で、温和な弟に天皇になってほしいと願う。美しい兄弟愛だ。その譲り合いは三年間も続いた。その結果はイラツコは自殺し、兄が即位し、仁徳天皇となった。

珍しい抹茶色紙の御朱印

興味深い話だったので、帰ってからイラツコについて調べてみた。イラツコはあるとき道に迷ったが、ウサギが出てきて振り返りながら正しい道筋を教えた。神社に見返りウサギがお土産として売っていた。

ある説を見つけた。イラツコは自害した後、三日後によみがえり、自分の死後の後継問題についての希望を兄に託した。そしてそのあと安心して旅立ったと言うのだ。私はイエスキリストが十字架にかけられ、死後三日目によみがえったという話を思い出した。イエスも12歳の時には学問を極め、教会で司祭達に教えており、その姿に両親が驚いた。時代はイエスが誕生したのは二千年以上前なので、稚郎子の話はそれから三百余年後のことだ。

京都の旅、宇治川周辺と宇治上神社 (5)

旅の二日目は自由行動で5時に京都駅に着いて新幹線のぞみに乗って帰路に着く。

神社仏閣ばかりでなく、自然に触れながら散策したいと考え、京都から電車で20分で行ける宇治の町をゆったり回ることにした。10時20分にはJR奈良線の宇治駅に到着。途中、連山の麓に白の朝霧が横に伸びてきれいだった。この時期によく見えるらしい。

宇治橋そばの電話ボックス
屋根が平等院のミニ版

駅前で観光掲示板を見ていたら、人力車の俥夫さんが元気よく声をかけてきた。続け様に宇治の話を始めた。午前中は宇治橋を渡って宇治上神社の方向が人が少なく、ゆっくりまわれますよ。平等院はその後に訪ねる、皆と逆にまわるのがお勧め、と説明する。確かに。道案内役がいると深い知識も得られるし、思い出にもなるしなどと思い、徒歩の代わりに人力車にした。朝の空気が気持ちいい。

70分のオリジナルコースで、まず宇治橋を渡る、右手に折れて朝霧通りの入り口。由緒ある「つうえん茶屋」がある。代々続く茶人の住まいだ。そこからまっすぐ進むと左手に正覚院の階段が見えた。屋根に鬼瓦があるので止めてもらい、写真を撮る。たくさんの提灯に開運不動明尊とある。昨日の聖護院の不動明王を思い出した。鬼と不動明王、つながっている気がした。

観流橋にて
人力車の元気いっぱい俥夫さん
開運不動尊、正覚院
屋根に鬼がわら

M君によると宇治川は昔から暴れ川で、川沿いにそれを鎮める寺や塔が建っている。宇治川は川幅が広くきれいな青色だ。すこし川沿いに上ると観流橋に続く。左手に宇治発電所の放水の流れ、右手に宇治川の清流があり、橋のたもとで合流。二色の川の流れを楽しめる素敵なスポットだ。人力車に乗ってよかった。宇治川は元気に、悠然と流れている。後で調べると朝霧が川面に立つ風景は平安時代から和歌にも歌われてた。

京都の旅、迎賓館 (4)

迎賓館は2005年4月に開館した。京都らしく現代和風のイメージで匠の技が随所に隠れている。装飾品は少なく、皇室の押さえた芸術を感じる。青海波模様の段通の絨毯、美濃紙で造られた天井明かりのシェード、大ホール藤の間の綴れ織りのタペストリー、キリガネの舞台扉、竹細工の花籠など、11種類の伝統技能者が携わっている。

池のたくさんの錦ゴイは2004年新潟県中越地震の際の、現地のコイを引越しさせたそうだ。発想が素晴らしい、気持ち良いエピソードを伺った。コイ達は元気で大きい。立派な泳ぎを見せてくれている。下の写真の左上に見えるのは特別の賓客のための舟のへさき。池は浅いので舟遊び用に底を平らに作っているそうだ。

新潟から引っ越してきた
大きな錦ゴイの群れ

地下には令和元年11月10日の祝賀の儀パレードに使われたオープンカーが展示されていた。プレートに日付が書かれている。

天皇皇后の祝賀パレードで
使われたオープンカー

京都の旅、迎賓館 (3)

知恩院近くの「かがり火」で湯豆腐鍋定食をいただいたあと、いよいよ迎賓館に向かう。ここでは館内のスタッフが礼儀正しく迎えてくれた。2時間あまりのガイド付き。始めに大ホール藤の間で、十二単と着付けの実演があった。十二とは多くのものが一つにまとまる意味で(例えば十二ヶ月で一年)、着物の数は五枚だそうだ。お方さまとは言葉は交わさず、目の位置まで立つこともない。最後に、時間をかけて着た上の着物を瞬時に全部脱ぐ技があり、これを「もぬけ」と言うらしい。もぬけの殻はここからか?

十二単の着付け完了
着付けの最後は「もぬけ」の
技をご披露

京都の旅、京都御苑にある茶室 (2)

京都御苑は昭和22年から国の環境省の管轄で、国民公園として開放されている。日本には他に皇居外苑と新宿御苑が国民公園になっている。

その御苑にある貴族の茶室、拾翠亭(旧九條家茶室)と閑院宮邸跡、そして平成17年にオープンした京都迎賓館を訪ねた。

入場料は百円。拾翠亭二階建てで御苑内の南に位置し、江戸時代後期に建てられた。当時の高価な薄いガラス窓や透かし彫りの窓が珍しい。会合にも利用できる。

茶室の向かいに位置するのが旧閑院宮邸跡。ほぼ完全な形で残る唯一の江戸時代の公家住宅だ。

江戸時代からの庭園
2階の窓から庭を眺める

京都の旅、聖護院門跡 (1)

2月14日、旅行会社の主催の京都を訪ねる1泊2日の旅に参加した。38名の参加者がバスで回った。キャンセル待ちで参加している人もいる。

過去の展覧会ポスター
過去ポスターの不動明王
山伏の守り神

1日目は、聖護院門跡、京都御苑、そして京都迎賓館の三箇所だ。それぞれ予約拝観で、丁寧な説明をして頂き日本の歴史や文化を深める良い機会になった。

聖護院は1090年、修験道の総本山として創建された。門跡とは寺格を表し、皇族・公家が住職を務める特定の寺院のことだ。

寺の名前の由来は、白河上皇の熊野御幸に案内役を務めた増誉大増正。上皇に重用され「聖体護持」を与えられた。その二文字を取って聖護院と名付けた。近くは紅葉の山があり古来、錦林府とも呼ばれた。

見所がたくさんあった。狩野派の襖絵、孔雀や鶴など素晴らしかった。孔雀は毒虫を食べるという理由でも題材として好まれるそうだ。

本尊の不動明王像は複数あり、どの像も迫力がある。見るからに修験僧を励まし、守ってくれそうな気迫を感じる。数年前のポスターに私の印象が強かった像が載っていた。

謁見の間(上段の間)も興味深い。畳の縦横を見ると当時、どのように座り、謁見したのか想像、体験できる。

奄美大島の旅、島外観(3)

奄美大島は奄美諸島に属する鹿児島県だ。加計呂麻島、徳之島、沖永良部島、与論島までが、鹿児島県内にあり、少し南下したところに沖縄県沖縄本土が位置する。島の大きさは佐渡島に次いで第2位。

琵琶湖に形、大きさが似ているが、海岸線は複雑なので、奄美大島は461kmと琵琶湖241kmの2倍弱と長い。面積は約712㎢、琵琶湖は681㎢だ。

笠利崎の竜宮伝説から
幸運を呼ぶウミガメ
笠利崎

 

 

 

 

 

 

最北端の笠利崎から大海が一望できるが、左手は東シナ海、右手は太平洋が広がる。大島の北半分は観光客を迎える空港や大きな庭園の中の大島紬村や田中一村美術館、最大都市の名瀬がある。

瀬戸内町、ホノホシ海岸、
波に洗われた丸い小石の浜
マングローブ原生林

 

 

大島の南半分は静かな森林地域や71km2のマングローブ原生林が広がっている。観光バスは北部中心に周るそうだが、今回のツアーは島全体をドライブした。離島の加計呂麻島などの人口1200人の生活も大自然の表情を見せてくれ、人気の島らしい。

ベイマツ
大和村、マテリアの滝

 

 

大島紬村、奄美大島の旅(2)

空港からバスで20分、龍郷町に1万5千坪の敷地内に亜熱帯植物庭園が広がっている。地面は波状に小石が手入れがされており、美しい。大きく繁った南国の木々は間隔を十分にとって成長している。巨大な敷地内に贅沢に育てられている。赤白のハイビスカスやブーゲンビリア、ポインセチアも大きく延びている。

日陰ヘゴとポインセチア
広々とした土地で育つ
ハイビスカス

この庭園内で大島紬の製造過程を見学できる。池では泥染めをしている職人さんもいた。織物機で実演してくれたのは始めて2年半になるという明るい女性。糸を図柄に合わせて染めてから織るので素人には難易度が計り知れなく感じる。工場建物の屋根は、この地名から取った龍郷柄の模様になっている。赤色の部分が映える可愛い屋根だ。

きれいに整った設計の中で、次回来園した時はのびのび育つ樹木たちと会話しながら、時間を気にせずにゆっくり散策したいと思った。

大島紬製造作業所
屋根が龍郷柄
高倉式の穀物貯蔵庫

田中一村と小鳥たち、奄美大島の旅 (1)

奄美空港から車で5分。奄美パークの中に田中一村記念美術館がある。
高倉式住居を3棟つなげており、モダンであり、懐かしい心休まるデザインだ。
常設展は80数点の展示があり、年4回の入れ替えが行われる。

今回の展示は初期の南画、水墨画、絹本着色絵として描かれている奄美の植物と小鳥が印象に残った。

明治41年に栃木県で生まれ、生活圏は東京時代、千葉時代、そして移住先の奄美では昭和33年から19年間の孤高の生活を送った。昭和55年9月11日、古稀を目前にして自宅で倒れた。恩師の川村喜美さん、不昧さんに送られた最後の手紙には、最後まで絵を描き続けられたことへの感謝のことばが綴られていた。

今回の展示物で印象的な題材は小鳥たち。いつくしんで描かれているのが伝わる。
絵の中に、ルリカケス、アカヒゲ (この2種は天然記念物)、コウライウグイス、トラツグミ、イソヒヨドリ、琉球アカショウビンを見つけた。

天然記念物のルリカケス

天然記念物のアカヒゲ

トラツグミ

一村は自宅でトラツグミやコウライウグイスを自分で育てた。小鳥が具合悪い時は渾身の看病をした。
コウライウグイスはこの鳥が生きているあいだは描かなかったそうだ。

Translate »