北鎌倉、建長寺

1月13日、予報通り、快晴の穏やかな朝。明け方、うとうとしている時、「そうだ。北鎌倉、建長寺を歩こう」と決めた。散策するには広い境内がよい。2時間の滞在としよう。

13時40分に北鎌倉駅に着いた。駅から15分で建長寺の立派な総門、そして三門に入った。もったいないことに人はほとんどいない。入山料は五百円、受付の女性が「今日は天気が良いので半僧坊まで登られると山から景色が良いですよ」と愛想よくパンフレットを手渡してくれた。

三門、重要文化財

初めに右手に国宝の梵鐘が下がっている鐘楼が目に入った。
可愛い形の茅葺屋根。
「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」(夏目漱石)
立て札に親友の正岡子規はこの句を参考にして
「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」を詠んだ、とある。

鐘楼と国宝の梵鐘

重要文化財の仏殿の中には珍しい中国宗風の「地蔵菩薩坐像」が安置されていた。座高240センチの木造。この地はかつて処刑場であった。死者を弔うために御本尊の地蔵菩薩が置かれていると伝えられている。

仏殿、重要文化財

歩を進めると「方丈」が開放されており、ここも無人。靴を脱いで中に入れると金澤翔子書家の作品が玄関前に特別公開されていた。

2010年、書家が二十歳の時の作品、「般若心経」だ。写真は前半部分。

方丈を後にして、金色に輝く中国様式の唐門から左の坂道に入り、受付嬢に勧められた半僧坊のある山を目指した。

京都日帰りツアー、建仁寺(3)

夕刻、最後に訪ねたのは、京都最古の禅寺、建仁寺。
17時30分から19時までの時間外貸切拝観ということで、かなり暗くなった。

中庭の「◯△□乃庭」は、宇宙の根源的な形、水◯、火△、地□を表現しているそうだ。

建仁寺、○△□乃庭

法堂の天井には平成14年に創建800年を記念して、小泉淳作筆、「双龍図」が参拝者を見下ろしている。

法堂、天井の双龍図
小泉淳作筆

見どころは日本史教科書にもよく登場する国宝の「風神雷神図屏風」、俵屋宗達の作品だ。今回展示されているのは、小型の陶板製作品とキャノン社デジタル技術で複製された作品。説明の札を見て初めて複製と気づくほどの立派な作品だ。

風神雷神図屏風
俵屋宗達作、国宝

京都の日帰りツアー、天龍寺 (2)

貴船川沿いにある「べにや」でボリュームのある懐石料理を頂いた。
午後1時にバスは世界遺産の天龍寺へ向う。今回は夢窓国師の回遊式庭園、「曹源池」と法堂天井に描かれた加山又造の「雲龍図」の鑑賞となった。

紅葉の見頃はほぼ終わっていた。夢窓国師は苔寺として有名な西芳寺の作庭でも有名な禅僧で、政治家でもあった。「後醍醐天皇」と不仲だった「足利尊氏」。夢窓疎石は崩御された後醍醐天皇を鎮魂するため、尊氏に天龍寺の創建を勧めた。尊氏の弟、足利直義と協力していわゆる「天龍寺船」で中国(元)と交易を行う。そこから造営費用を得て、天龍寺と庭を完成させた。

夢窓疎石は「怨親平等」(おんしんびょうどう)という有名な言葉を残した。

人間界で敵・味方なく、平等に向き合うように、という教えだ。疎石の曹源池は、人間界を含む自然界の中で、すべての生き物が共に生きている絵を表現しているようだ。

天龍寺、曹源池(そうげんち)

 

天龍寺、鬼瓦2種

天龍寺から歩いて15分の場所が遊覧船やボートの乗り場だ。
20名位乗船できる舟で30分程度の桂川クルージング。途中、渡り鳥たち、崖に嵐山モンキーパークの猿たちの姿も見えた。南米の外来種ヌートリアも川沿いの穴から出現するらしい。今週初めの3連休では100艘くらいの舟で混雑していたそうだ。この日は平日で空いており、のんびり動き、浮かんでいた。

嵐峡を巡る渡し舟

京都日帰りツアー、貴船神社(1)

貴船神社、絵馬の発祥地

11月26日、新幹線のぞみを利用して日帰りツアーに参加した。京都での滞在時間は9時から夜8時までの11時間だ。

日中の気温19度、晴れたり曇ったりで風は心地良い。貴船神社は鞍馬近くの山に1300年前に創建され、水の神様を祀っている。これは日本書紀と同じくらいでかなり由緒ある古い神社。

絵馬の発祥地で本殿前に2頭の馬の像がある。和泉式部、平實重(さだしげ)、源義経もここで大神様に祈ったと聞くと、歴史上の人物も身近に感じる。

2頭の馬、古くは歴代天皇が日照りの時には黒馬、長雨の時には白馬または赤馬を捧げ祈祷された。のちに生馬の代わりに「板立馬」を奉納したことから、現在の絵馬の由来になっている—そうだったのか、とても興味深い説話だ。

しかしここは日照りには縁遠いような渓谷、川縁に並ぶ石垣の

貴船川、苔に覆われた石垣

豊富な苔が美しい。紅葉のピークの後の枯れ葉が地面を覆っていた。

桂(ご神木)
貴船渓谷を流れる川

 

 

 

 

 

 

 

北鎌倉、懐石料理と散策の半日ツアー

11月20日、23度と季節はずれの暖かい天候に恵まれ、天気予報の小雨にも会わなかった。北鎌倉の古民家レストランで「懐石料理の昼食と付近の寺を巡る小さな旅」を企画。

北鎌倉駅付近の紅葉風景

フランスから来日の友人と駅で待ち合わせた。徒歩10分で着くはずの幻董庵、住宅街で迷い、お店に電話。お女将さんが自転車で迎えに来てくれた。親切、家庭的で、近頃珍しく嬉しくなった。予約した時間は13時だ。道端に咲く花や木々の話をしながら、焦ることなく、門に辿り着いた。

幻董庵、入り口

建物は昭和初期の2階建の木造。庭の松や季節の紅葉が美しい。正面にそびえる崖も種々の緑で覆われている。懐石料理は2時間ほどかけて頂く。始めの食前酒の梅酒からコースが始まる。器と料理の盛り付けを楽しみながら、3時30分過ぎまでゆっくり会話を楽しんだ。コロナ対策で席は四人テーブルを対面で二人で使用した。

懐石料理
幻とう庵、門の上で遊ぶリス
Photo by Emi

帰りがけ、庭に2匹のリスが突然、かけっこしながら現れた。友人がカメラシャッターをリスに負けないくらい早技で撮ることに成功。若い人は機敏だ。4時近くになり、近隣のお寺を散策することにした。お店の人が東慶寺と浄智寺が近くて女性にお勧めと、地図をくれた。

浄智寺、境内

駆け込み寺で有名な東慶寺は、ギリギリ閉門時間に間に合って参拝できた。浄智寺は関係者葬儀をされていたが、境内に入った。巨大な岩の横道の先に薄暗い洞窟の布袋尊が見えた。境内を一周した。

静かな薄暗い空のもと、鳥の鳴き声が?と思ったら、リスが私たちのいる頭上の枝で、しきりに鳴いているのが見えた。喋っているように聞こえる。その声はずっと続いていた。

東京国立博物館のゆりの木

11月12日、東京国立博物館の特別展、「桃山ー天下人の100年」を訪ねた。
建物の前にそびえる一本の大木は秋の色。このゆりの木の雄姿が一番印象に残った。平成18年の記録では高さは32メートル、幹回りは48メートルとあった。

葉っぱの形は奴凧のような半纏をしていることから、別名、半纏の木。北米原産の落葉高木だ。1881年?、30粒の種から育ち、現在は140歳位。モクレン科で春はチューリップのような花をつけることからチューリップツリーとも呼ばれる。

大きく広がる枝と幹を支えるのは、もちろん根っ子だ。木の巾と同じくらい広い範囲で根が伸びているのが見える。人々が踏まないように低い柵で囲ってある。根っ子の姿も力強い。

北鎌倉、円覚寺を訪ねた (2)

円覚寺は1282年、私寺として、北条時宗が開山した。
元寇の戦没者を追悼するため、中国から高僧、無学祖元を招いた。その2年後に亡くなった時宗の墓が「佛日庵」だ。歩き疲れて休みたいと思っていたところ、佛日庵の弁天茶屋のポスターが目に入った。迷わず、お抹茶券を購入し、赤い毛氈の上でお抹茶と鳩落雁を頂いた。

残るは国宝「洪鐘(おおがね)」だ。坂道を下ったところに上り階段があった。先が見えないくらいたくさんの階段が見える。最後の頑張りを出そうと、いつもなら諦めるところだがこの日はエネルギーがあり、階段を上った。やっと頂上に着くと小さな弁天堂。向かいに洪鐘があった。大晦日に使用されるもので一般人は触れない。鐘の横のベンチに若い女性が座ってた。他に誰もいない。共にマスクを付けていたが、目が合い、ハアハア言いながら、「こんにちは」と声をかけた。

聞くと「フランスから来て、日本で働いている」と言う。その日の朝、彼女が近くの公園で見かけた迷子の白いウサギの話になり、写真を見せてくれた。動物が好きで「気持ちがわかる」と言う。その後、話が弾んだ。30分かけて小町通りまで歩き、夕食も一緒に頂くことになった。

円覚寺の花

その間、木に駆け上るリス、庭先のカラス、トンビ、小町通りにある人気の豆柴カフェに住んでいる黒色シバと通常の茶色のシバ犬。散歩途中の3匹にも出会った。鎌倉ならではの風景に加え、コロナ禍で悩むフランスの厳しい事情も聴くことができた。思いがけない出会いの小さな旅になった。

北鎌倉、円覚寺を訪ねた (1)

10月29日、今月いちばんの秋晴れ。
北鎌倉の古民家ミュージアムの「絣展」を訪ねるつもりで家を出た。北鎌倉駅を13時近くに下車。すぐに円覚寺の階段が現れた。その先が古民家なのだが、この秋晴れで建物の中に入るのはもったいない。急な階段を見上げて迷ったが、じっくり円覚寺の境内を散策することにした。

結局、境内の建物は数多く、3時間近くも滞在し、絣展は後日訪ねることになった。横浜に住んでいても、参拝は今回初めてだ。興味深く観てまわった。臨済宗の大本山で私の学生時代から週末は座禅の会が催されていた。

夏目漱石が神経衰弱で苦しんでいた時期、この寺で参禅した。
「佛性は白き桔梗にこそあらめ」
漱石の句碑が残されている。この句で当時の漱石の心情が伝わって来た。漱石は正岡子規と親しく、小説以外に俳句や漢詩、書、水彩画も描いた文化人。49歳で世を去った。オーストラリアでルームメイトだったパティが漱石の勉強をしていたことを思い出した。

方丈、金沢翔子書の屏風

方丈の建物には金沢翔子書家の大きな作品がどっしりと置かれていた。建物の縁側には椅子が置いてあり、日本庭園の池が鑑賞できる。方丈の中も訪れる人が少なく贅沢な空間だった。

水木しげる、飄々と生き延びた偉人

「戦争で生きたいと願っていたのに亡くなった人、すなわち、無念の死を遂げた人のことを思えば、今誰も可哀想でない、と思う。」

2015年11月30日に93歳で亡くなられた、水木しげるの言葉。

2007年8月12日NHKスペシャルで終戦記念番組「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」の中で、水木しげるがコメントされたのが上の文章だ。
思い切った表現が心に残り、メモしておいた。今回の旅でまた思い出した。

この時に「総員玉砕せよ!」「泉鏡花伝」「猫楠」など読み、改めて水木ワールドに触れた。

米子鬼太郎空港

ホテルに戻るともう4時。空港へ向かった。
出発ロビーの天井を見るとクジラ船に乗った鬼太郎まんがのキャラクター達のディスプレイがある。何か見覚えがある?

空港内の空飛ぶクジラ船

数年前に購入したデジタル版画と同じデザインだ。
水木しげるさんが他界した時、デパートで敬意を込めて購入したもの。
クジラの肌の濃淡を表現する点描手法が非常に細かい作品だ。

自宅にあるデジタル版画

これも出会い。

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