皇居東御苑、園内の散策

地下鉄の竹橋駅、丸紅ギャラリーに寄ったあと、皇居お堀端を歩いていると、急に平川門が現れた。

庭が呼んでいる。皇居内を散歩することにした。護衛さんが手荷物を調べた。園内は無料だ。

伐採、剪定のトラックが駐車して木々の手入れ作業中。
力強い1本の松に目を奪われた。初めは地面にほぼ平行に伸び、それから空に向かって直角に高く育っている。留まる力が凄い。

屈強な松

大芝生は2年前の令和元年11月、天皇陛下の御即位後の大嘗祭が執り行われた芝生地だ。右に天守台の石垣が見える。

大芝生
紅葉のいちシーン、11月10日

大手門付近の大きな石垣は威厳を保ち、圧倒される。石の色彩も形も美しい。

大手門近く、同心番所
東京駅丸の内オアゾビル前
身長3メートル、燃青銅の大熊

南青山の根津美術館

急な予定キャンセルがあり、一日空いた。
スマホの中のおでかけファイルをチェックして、表参道駅近くの根津美術館を訪ねることにした。予約が必要で当日午後2時の枠で取れた。

11月3日からの「鈴木其一・夏秋渓流図屏風」特別展。酒井抱一の高弟子で両画家の作品には即、心が癒される。線がはっきりして現代的デザイン性。霊性の高さが伝わってくる。

夏秋渓流図屏風、鈴木其一
 右側部分 絵葉書より掲載
夏秋渓流図、左側、鈴木其一

ゆったりした展示方法で仏像や中国古美術、書画の展示数は多すぎず丁寧に鑑賞した。

如来立像(白大理石)
 中国北斉時代、6世紀

根津美術館は東洋美術品7400点を収蔵し、広大な庭には茶室や石の置物を楽しみながら散策できるコースがある。

広大な庭を見晴らす庭のカフェ

出羽三山の旅(3)

旅の3日目は月山と湯殿山を訪ねた。

バスで標高1984メートルの月山8合目まで行った。ドライブ中、狭い山道を窓越しに、きれいな紅葉ブッシュを近くで眺められる。対向車が来ると時間がかかるが、天候はガスっており車は少ない。山の上に登るに従って木々の丈は低くなり、カエデ、ナナカマド、ヤマブドウ、ブナなどが色付いている。

月山八合目、レストハウス

弥陀ヶ原散策は数名の人がレストハウスに残った。私もかなり雨と風、ガスや寒さを理由にパス。

湯殿山本宮神社、入り口

次の目的地は湯殿山本宮。
といっても神社の社殿はなく、境内でお祓いを受ける。そのあと御神体の巨大な岩を登るのだ。月山が黄泉の国なら、湯殿山は未来に向かって生まれ変わる霊場と言われている。

詳しい知識がないまま訪れたが、古希を記念するのにこれ以上の場所はないと思われた。

蕎麦、山菜料理の出羽屋
岡本太郎の色紙「月山」

 

 

出羽三山の旅 (2)

2日目、午前中は天気が良く、酒田市の北、日本海側に近い鳥海国定公園をドライブした。紅葉が始まっている鳥海山2箇所の大きな滝を訪ねた。出羽富士とも呼ばれる鳥海山は2,236mの活火山。

「法体の滝」は鳥海山から流れた一枚の溶岩が創った名瀑だ。山に対面した場所にあるのが珍しいそうだ。高さは約57m。この地を訪れた弘法大師が滝の前で「法体」と名乗る老人に出会った。「この滝に行をなす不動明王である」と説明したことが、滝の名前の由来だ。

紅葉と法体の滝
法体の滝(日本の滝100選)

次に向かったのは「元滝伏流水」の滝。
ここも鳥海山の湧き水。最近行きたいと思っていた奥入瀬を思い出す景観と優美な水の流れは期待以上だった。

万年雪の溶け水をボトリングした「鳥海山の氷河水」もおいしかった。

元滝伏流水 (1)
元滝伏流水 (2)

午後からは雲が広がり、やっと鳥海山の姿が車窓から眺めることができた。

鳥海山、山形と秋田をまたがる
万年雪の溶け水をボトリング
丸池様近くの丸池神社

 

 

 

出羽三山の旅

10月4日から2泊3日で山形県、秋田県の出羽三山を訪ねた。東北地方の山中の由緒ある神社にお参りして古希の気持ちを意識するのが目的だ。

安全安心、知識を求めて今回も旅行会社のツアーに参加。25名の参加者と盛況だ。一人参加も多かった。

初めに新幹線で米沢駅に行き、あとはバスで移動。
1日目は地元ガイドさんもビックリの31度の快晴。3つの山のうち一番低い414メートルの羽黒山を訪ねた。

杉林に囲まれ、国宝の五重塔は隋神門から300mの場所にスクっと現れた。
平将門が1400年前に創建し、600年前に再建された。素木造りで自然素材が珍しい。「やっと無事に訪れることができました」など話しかけた後、振り向くと灯籠が笑っているように見えた。

国宝、五重塔
笑顔に見えた灯籠

山のきれいな空気をいっぱい取込みながら、石段を登った。ほどなくすると豪華な三神合祭殿に着いた。冬は雪深く閉山になるが、羽黒山だけは年中お参り可能。この神社に羽黒山、月山、湯殿山の神様を祀っており、ここ1箇所で三山まとめてお参りしたことにもなる。

現在の社殿は1818年、江戸時代に再建された。厚み2.1メートルの茅葺き屋根が美しく見事だ。

三神合祭殿
 (日本最大の茅葺き建物)

10月を迎えて

9月は雑事に追われ、気がついたらもう10月だ。

9月30日で政府の緊急事態宣言が解除され、やっと束縛感が緩んだ。
ニュースによると年内にはシオノギ製薬でコロナ初期の軽症に効く飲み薬が完成するそうだ。国民に安心を与えてくれるニュースだ。国内供給に大きな安心感がある。

10月は政局も首相交代の後、組閣も予定されている。長引いた真子様の結婚が10月26日と決まった。テレビの情報番組のキャスターの入れ替えや構成の刷新も今月始まりが多い。世の中も自分の身の回りもざわついている。

私も忘れたくもある今月の誕生日に古希を迎える。60代はあと何日間かで終わりを告げる。還暦を迎えた時より、今回はしみじみ感慨深いものがある。10年かけてシニアの自覚ができてきたのだろう。抵抗がなくなってきた。グレーヘアも興味を持って観察している。このブログも今月で3年目に入り、こうして書き続けられる状況は嬉しい。

古希の記念行事として、山形県の出羽三山に上り、神社参拝をするツアーに申し込んだ。山の空気と景色はどんなだろうか。

東京オリンピック 2020 開催中

前途多難が予想された東京オリンピック、7月23日金曜日の夜、開会式は開かれた。

1年の延期で、聖火もギリシャの古代オリンピアから運ばれ、歴代最長に燃え続けている。いつもと違うオリンピックと夏を経験している。開会中の日程自体が長いマラソン競技のようだ。

7月23日の開会式は4時間くらい、夜12時まで観ていた。57年振りの東京オリンピック、多くの同世代の人たちは歴史を感じただろう。

200カ国以上の選手団、知らない国名が多くなった。中国も台湾中国と香港中国が別々に行進、難民選手団も参加している。政治を超えて人々が集うオリンピックはやはり貴重な場を提供してくれる。

しかし外出規制で観光もできず、日本の猛暑の夏を過ごす日々は選手団、関係者にとって「我慢の行」となり、気の毒だ。

8日の閉会式まで各方面の予定が無事に終了し、とにかく有終の美を飾れますように祈ります。

野球会場、横浜関内スタジアム

エミール・ガレ展 ー みらい美術館にて

散歩中に見つけたみなとみらいの片隅にある美術館。
週末の金、土、日曜日のみ開館するこじんまりしたスペースだった。今回は50点あまりのガレの作品、入り口近くの寄木細工のチェストもすばらしかった。

特別出品の「フランスの薔薇の大壺」はさまざまな技法がほどこされている。全体の色彩が心穏やかにしてくれた。

フランスの薔薇、1902

マーガレットは母が好きだった可憐な花だ。
庭に群生していた。

マーガレット文ランプ

雀と雪の和風柄に目をひかれたが、クリスマス用に製作された。「善意の人々に」と賛美歌の一節が記されている。

雪中雀文花器、1898ー1900

特許を取得したマルケットリー技法の紅葉柄の大型花器。加熱したガラス器本体に模様をはめ込む象嵌技法に驚く。

紅葉文花器、1900年頃

歌手のロッド・スチュアートが同デザインランプを所蔵しているというトリビアがパンフレットにあった。ガレも南国の花、ハイビスカスに気を奪われたのだろうか。

ハイビスカス文ランプ

ミネアポリス美術館、日本絵画の名品

緊急事態宣言で休館になっていたが、再び開催された展覧会。
はるばるミネソタ州から渡日してきた約100点の名品にこもる遊び心、いにしえの画家達の魂の気迫。
作品は全て撮影可なのも珍しい。

龍虎図屏風、山田道安
 室町時代 16世紀

禅宗では「龍虎が自然の理の象徴」とされ、「龍吟ずれば雲起こり、虎が吠えれば風生ずる」などと詠まれた。

キリギリス絵巻、伝住吉如慶
 江戸時代 17世紀

楽しい恋物語。セミ赤ちゃんや産後の玉虫姫の様子も右上に描かれている。背景の繊細な筆使いと色彩、見ていて飽きない。文章の書も美しく走りうっとりする。

手長足長図、川鍋暁斎
 明治時代 19世紀
群鶴図屏風、曾我蕭白
 江戸時代 18世紀

この蕭白の鶴は六曲一双の一部。それぞれの鶴の眼を個性的に描き分けていた。

Black bird、伊藤若冲
 江戸時代 18世紀

以前、京都の相国寺で出会った若冲。再び数点の鳥の図を鑑賞できた。上の絵は橋下のカラス。その他、軽快なタッチのモノクロのニワトリたち。夏向きに感じる。

母の三回忌を迎えて

母が令和元年5月に他界して2年たった。
快晴のもと親族10名出席の三回忌法要を無事に終えた。

母の晩年は、葬儀をとり行う宗派について、私はかなり考えた。
母はイエスキリストを慕っていた。西欧美術展を巡り、キリスト教聖画の葉書コレクションも残っている。

しかし最終的にたどり着いたのは、「代々の家の伝統、習慣となっている仏教形式で行う」ことだ。個人の信条と異なる位置にあっても、「仏教の法事があってよかった」と今、心から思う。

忙しい生活の中、優先して、普段会えない親族と会う機会があることは、良い習慣だと、歳をとって実感した。気持ちの区切りにもなった。母の存在は今でも時々感じるが、社会の一員だった母の存在を新たにした。

実際の命日は翌日の5月31日。
この日も穏やかな心地良い風を感じる快晴だった。
窓際に椅子を移して、ただ空を眺めていた。遠くの電車の音、鳥のさえずり、ごみ収集車の音楽など、人々の生活活動の音をしばし、聞いていた。

龍が鼻から息を出している?

雲が変化をつけて形を変える。
「もしかして空からのメッセージはないだろうか?」
目を凝らして雲の形をたどる。
「あれは龍が鼻から息を出している? 右下に十字架のようにも見える雲が。」母の干支は辰年だった。
「あの雲は目が二つ、口が真一文字の顔に見える」
父の顔を思い出す。

仁王のような人面に見える

私も旅立った人と生きる本格的なシニア生活に入った。

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