東京オリンピック 2020 開催中

前途多難が予想された東京オリンピック、7月23日金曜日の夜、開会式は開かれた。

1年の延期で、聖火もギリシャの古代オリンピアから運ばれ、歴代最長に燃え続けている。いつもと違うオリンピックと夏を経験している。開会中の日程自体が長いマラソン競技のようだ。

7月23日の開会式は4時間くらい、夜12時まで観ていた。57年振りの東京オリンピック、多くの同世代の人たちは歴史を感じただろう。

200カ国以上の選手団、知らない国名が多くなった。中国も台湾中国と香港中国が別々に行進、難民選手団も参加している。政治を超えて人々が集うオリンピックはやはり貴重な場を提供してくれる。

しかし外出規制で観光もできず、日本の猛暑の夏を過ごす日々は選手団、関係者にとって「我慢の行」となり、気の毒だ。

8日の閉会式まで各方面の予定が無事に終了し、とにかく有終の美を飾れますように祈ります。

野球会場、横浜関内スタジアム

エミール・ガレ展 ー みらい美術館にて

散歩中に見つけたみなとみらいの片隅にある美術館。
週末の金、土、日曜日のみ開館するこじんまりしたスペースだった。今回は50点あまりのガレの作品、入り口近くの寄木細工のチェストもすばらしかった。

特別出品の「フランスの薔薇の大壺」はさまざまな技法がほどこされている。全体の色彩が心穏やかにしてくれた。

フランスの薔薇、1902

マーガレットは母が好きだった可憐な花だ。
庭に群生していた。

マーガレット文ランプ

雀と雪の和風柄に目をひかれたが、クリスマス用に製作された。「善意の人々に」と賛美歌の一節が記されている。

雪中雀文花器、1898ー1900

特許を取得したマルケットリー技法の紅葉柄の大型花器。加熱したガラス器本体に模様をはめ込む象嵌技法に驚く。

紅葉文花器、1900年頃

歌手のロッド・スチュアートが同デザインランプを所蔵しているというトリビアがパンフレットにあった。ガレも南国の花、ハイビスカスに気を奪われたのだろうか。

ハイビスカス文ランプ

ミネアポリス美術館、日本絵画の名品

緊急事態宣言で休館になっていたが、再び開催された展覧会。
はるばるミネソタ州から渡日してきた約100点の名品にこもる遊び心、いにしえの画家達の魂の気迫。
作品は全て撮影可なのも珍しい。

龍虎図屏風、山田道安
 室町時代 16世紀

禅宗では「龍虎が自然の理の象徴」とされ、「龍吟ずれば雲起こり、虎が吠えれば風生ずる」などと詠まれた。

キリギリス絵巻、伝住吉如慶
 江戸時代 17世紀

楽しい恋物語。セミ赤ちゃんや産後の玉虫姫の様子も右上に描かれている。背景の繊細な筆使いと色彩、見ていて飽きない。文章の書も美しく走りうっとりする。

手長足長図、川鍋暁斎
 明治時代 19世紀
群鶴図屏風、曾我蕭白
 江戸時代 18世紀

この蕭白の鶴は六曲一双の一部。それぞれの鶴の眼を個性的に描き分けていた。

Black bird、伊藤若冲
 江戸時代 18世紀

以前、京都の相国寺で出会った若冲。再び数点の鳥の図を鑑賞できた。上の絵は橋下のカラス。その他、軽快なタッチのモノクロのニワトリたち。夏向きに感じる。

母の三回忌を迎えて

母が令和元年5月に他界して2年たった。
快晴のもと親族10名出席の三回忌法要を無事に終えた。

母の晩年は、葬儀をとり行う宗派について、私はかなり考えた。
母はイエスキリストを慕っていた。西欧美術展を巡り、キリスト教聖画の葉書コレクションも残っている。

しかし最終的にたどり着いたのは、「代々の家の伝統、習慣となっている仏教形式で行う」ことだ。個人の信条と異なる位置にあっても、「仏教の法事があってよかった」と今、心から思う。

忙しい生活の中、優先して、普段会えない親族と会う機会があることは、良い習慣だと、歳をとって実感した。気持ちの区切りにもなった。母の存在は今でも時々感じるが、社会の一員だった母の存在を新たにした。

実際の命日は翌日の5月31日。
この日も穏やかな心地良い風を感じる快晴だった。
窓際に椅子を移して、ただ空を眺めていた。遠くの電車の音、鳥のさえずり、ごみ収集車の音楽など、人々の生活活動の音をしばし、聞いていた。

龍が鼻から息を出している?

雲が変化をつけて形を変える。
「もしかして空からのメッセージはないだろうか?」
目を凝らして雲の形をたどる。
「あれは龍が鼻から息を出している? 右下に十字架のようにも見える雲が。」母の干支は辰年だった。
「あの雲は目が二つ、口が真一文字の顔に見える」
父の顔を思い出す。

仁王のような人面に見える

私も旅立った人と生きる本格的なシニア生活に入った。

横浜イングリッシュガーデン

連休明けの5月7日金曜日。
薔薇真っ盛りの戸部の横浜イングリッシュガーデンを訪ねた。

Th-1
Th-2

見事に咲いた色とりどりの薔薇、薔薇、薔薇。

満開の薔薇が所狭しと高低差をつけて私たちを迎えてくれた。右も左も、モネの絵にあるように一枚の絵画に見える。

Th-3
Th-4

芳しいたくさんの異なる種類の香りを楽しむぜいたくだな時が流れた。

Th-5
Th-6

若い友達のグループ、カップル、年配の人達、ほとんどの来園者が感嘆の声をあげながら散策していた。
一人で訪れている人も写真を撮る手が止まらない。

いろは紅葉と薔薇

2009年の開園以来、工夫を重ね丁寧に育ててきた関係者の方々にお礼申し上げます。

山下公園近辺を散策した

4月21日、風もなく日中の気温は23度と暖かな散歩日和。
日本大通りを通って横浜ユーラシア文化館を訪ねた。建物3階で「横浜中華街160年の軌跡」の企画展示があった。

中国の月琴、1940年頃

かわいい形の楽器を見つけた。

4階の横浜都市発展記念館にも立ち寄った。

横浜大震災、第二次世界大戦で焼け野原になっても、たくましく復興した横浜。その間、市民は寄席や歌舞伎を発展させ、舞台芸術を楽しんでいた。今はみなとみらいが「にぎわい座」として人々が集まって楽しんでいる。歴史を意識するとビルの谷間に昔の横浜村が重なってくるようだ。

陶器製ガスコンロ、昭和初期

戦時下の金属供出に伴い、陶器で作られたガスコンロは今見ると、珍しく、日本人に器用さ、対応のすばらしさを感じる。

富士山と2002年の横浜港

幾つかの横浜港の地図のうち、「吉田初三郎の横浜市鳥瞰図」は鳥瞰図絵師の第一人者、吉田が1935年に作成したもの。地図左手には下関、右手に明治神宮も描かれていて楽しい。1階のギフトショップで復刻版を購入した。

シルクセンターを過ぎ、象の鼻、山下公園と進んだ。

市民賞に選ばれた庭、山下公園

箱庭コンテスト作品がプロムナードに展示されており、いつもの景色と違う。人出も多く、皆、快晴の青空のもと、のんびりと庭園を楽しんでいた。

「岡本太郎の旅」展を訪ねた

4月7日、かねてから興味があった、川崎の岡本太郎美術館の訪問を実現させた。「岡本太郎の旅」をテーマに10日まで開催されている。

母の塔、美術館を見下ろす
母の塔、美術館を見下ろす

小田急線の向ヶ丘遊園駅からのんびり歩いて30分ほど。道路が広く、途中から生田緑地の公園内に入るので、気持ち良く歩けた。

岡本太郎は1911年に生まれ、1996年85歳で他界、その3年後に養女の岡本敏子さんが美術館を開館させた。ほとんどの作品は川崎市に寄贈され、作品は公共の財産であり、身近に感じる。

「太陽の塔」1970、
 大阪万博のシンボル
樹霊 I、1970

入り口の池の中にそびえる彫刻「樹霊I」は1970年の大阪万博にて「太陽」の塔の地下に出品された。人間の根源的な感情、畏れと祈りを具現化した神像。

「森の掟」1950、岡本太郎

日本の神秘性に惹かれて、東北地方、沖縄、長野、島根、広島、和歌山の土地を旅し、本にまとめた。海外ではメキシコの旅で「人類のはじまり、生と死を意識する」きっかけとなった。

三ツ沢公園でお花見

三ツ沢公園、池と桜

3月24日の朝、テレビは横浜の桜は本日満開と伝えていた。

以前会社員だった頃、桜の便りを聞いてもタイミングよく花見ができなかった。今は自由に当日ピンポイントで出かけられる。

三ツ沢公園はスポーツ総合グランドでテニスコートや馬場もある。桜の木々が点在している。近くに住む人達やスポーツに来ている人々がほとんど。全体的に人出は少ない印象だ。

馬場は50年以上前からある。

以前は会員制乗馬クラブだったが、今日案内を読むと、予約して誰でも利用できるようだ。

馬術練習場

 

ソメイヨシノ。幹は太くなり年代を感じる、変形した木も多かった。

三溪園のサギたち

3月17日午後、三溪園の自然を訪ねた。

三溪園入り口、サギの勇姿

入り口近くの池に、「これぞサギの勇姿」と言える大サギが一本足でたたずんでいた。

三溪園、子どものサギ

 

子どものサギ、カメと移動中

奥の池には若いコサギが小さな魚を求めて歩いている。数匹の子亀もその周りで、一緒に移動している。

三溪園、成鳥のアオサギ
ポーズを決めたアオサギ

茶屋の前に広がる池の正面に高齢に見えるアオサギが首を長く伸ばしながら立っていた。しばらくすると羽を水平に広げて飛び立って行った。

奥の方に歩いて行くと、周りに誰もいない橋の近くでじっとしている。カメラ用ポーズを決めてくれた。

三溪園の住民ネコ

帰るとき、受付近くの木陰で住民の茶ネコが寝ていた。🌳💤

没後70年「吉田博展」

3月12日、吉田博の淡い色彩の木版画を求めて東京都美術館を訪ねた。最近のアニメ作家も憧れる画風だ。

明治9年から昭和25年に生涯第一線で活躍し、74歳で他界した。作品の時代背景は今日から比較的近い(と考える)。

作品を鑑賞する前、個人的に期待したことは、光る海や川、滝などの水の表情。当時の生活の様子。世界中の国々を旅することを愛した画伯の風景画。

「瀬戸内海集 光る海」吉田博
  1926、絵葉書

会場にはまるでカメラで撮ったような自然風景が数多くあり、いかに一生の間、旅の先々で自然を愛でていたかがわかる。中国蘇州は私も旅した町、思い出す。

蘇州、吉田博(1940)、※作品部分

意外なことに戦後1945年以降は1枚制作しただけだ。ー 晩年の作品は「農家」ー。

吉田画伯は人物を得意としなかったが、この絵には農家の台所で家事をする婦人が二人描かれている。当時の何気ない日常のワンシーン。戦争が終わった後、平和を徐々に取り戻した1946年の作品だ。

農家、吉田博(1946)、フリー素材
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