安東美術館の藤田嗣治を訪ねた

9月24日念願の軽井沢安東美術館の訪問が実現した。

東京駅から新幹線で1時間、駅から徒歩10分と好立地にあるが、ー日帰りではあわただしい。駅近の宿に一泊して、秋の長野の散策も予定に入れた。観光客は非常に少なかったのが意外だった。

駅に近い矢ヶ崎公園、隠れ浅間山が見える 9/24/2025

公園右手の散歩道を歩いていると、程なく右側に安東美術館が見えてきた。

軽井沢安東美術館の入り口
企画展チラシ
天蓋の裸婦 1954、絵葉書より

戦後に描かれたこの作品、婦人の顔、左手の額装の中の少女、床の猫、いずれも全体像が描かれていない。婦人はベッドのほう、または壁の十字架を見ている。戦後、傷心で日本を離れて渡仏した心情を考えさせる。

キッチンにて 1951 、絵葉書より

戦後少女の絵を多く描いた藤田が珍しく少年を描いている。子供たちの表情は少ないが、生活の一場面で楽しそうだ。

展示室4 宗教画のコーナー

金色の壁をバックの聖母子の作品と椅子があるコーナーは、小さな教会のようだ。

展示室5 少女と猫の世界

最後はリビングルーム用ソファが置かれてある、家庭的な部屋だ。
出口近くにもフリードリンクやビデオデッキのあるリラックスコーナー、個別のテーブルが備えてあり、優しい心、豊かさが感じられる憩いの場所だった。

茨城県大洗海岸、過去最大規模の花火大会:

9月27日、大洗町誕生70周年の記念行事として3時からインパルス展示飛行と6時から90分間18 千発の花火大会が行われた。

当日は空の状態は打ち上げに最高の状態、花火の輪郭がクリアだ。芸術的なデザインと可愛い色彩、豪華な見せ場が幾つもあった。

最後はクィーンの”Show must go on”の曲に乗った視界以上の長い海上の眩しい花火がこれでもか、これでもかと打ちあがり、永遠に続くような別世界。口を開く人もなく、近くの観客は全員息をのんだ。後で、生きていてよかった、涙が出てきた、との感想が聞かれた。

ニッポン丸と開会直前の観覧席

大洗海岸 9/27/2025

閉幕間近の大阪万博に挑戦

9月18日木曜日、大阪万博会場に向かった。
横浜から新大阪まで新幹線を利用し、現地に8時間滞在の日帰りツアーだ。体力的に高齢者にとって大きなチャレンジです。

パビリオンの予約はアクセス数が多すぎて一つも取れない。とりあえず大屋根リングを一周する。あとの行動はノープラン、感覚で会場を歩いた。

西ゲート近くの大屋根リング

 

大屋根リングの歩道と花壇

 

初めに大屋根リングの上から会場を一周した。地上は蒸し暑いが、屋根の上はやや強風で汗を乾かしてくれる。

小さな花壇の手入れもよく、緑と海とパビリオンの建築物を楽しめた。道のりは2キロ、1時間で回った。

みゃくみゃくは様々に形を変えるマスコット

 

9月に入り、連日20万人越え。

 

この日の来場者数は過去最高の23万人。
どこも人が多すぎて万博狂想曲、来場者は忍耐強い。車椅子利用の高齢者や子供も思いのほか多かった。私と同じく猛暑の中、会場の雰囲気を感じに来たのだろう。

日本の55年振りの万博。
多くの人が参加協力して予想以上に盛り上げたと思う。

東京国立近代美術館ー戦争画の企画展を訪ねた

9月4日木曜日、やっと酷暑が和らぎ、曇り空になった。竹橋の近代美術館の企画展にて藤田嗣治の戦争中に描いた大作5点を鑑賞する。想像はしていたが、あまりの画力に魂が揺さぶられた。

ノモンハンの戦闘、1941

日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件。4メートルを超えるキャンパスに部下の鎮魂を願う予備役中将の依頼に藤田は答えた。名作として知られている。

シンガポール最後の日 (部分) 1942

シンガポール、ブキ・テマ高原の占領を描いた。陥落直前の市街地から煙が立ち上がる。画面左上から陽光が市街地を明るく照らしている。

Soldiers Rescuing Indonesian Civilians, 1944

オランダ人邸宅に日本兵が踏み込む瞬間を描いた。
テーブルの下に猫が隠れている。

テーブルの下の猫 (拡大図)
サイパン島同胞臣節を全う 1945

サイパン島で多くの住民はマッピ岬へ追い詰められ、バンザイと叫びながら、海に身を投げた。今はバンザイクリフと呼ばれる。多くの犠牲者は沖縄県出身の移民。藤田はこの集団自決をヨーロッパの宗教画のごとく描いた。

藤田嗣治の戦争画の大作は東京国立近代美術館に無期限貸与されている。企画展は10月26日で終了するが、その後も常設展で見ることができる。

勝沼市、大日影トンネル遊歩道の周辺

8月23日土曜日、横浜出発のバス日帰りツアーに参加した。
約12時間で山梨県をまわり、旬のぶどう狩りにも参加した。
山梨県は日照時間が全国でも長く、フルーツ王国だ。

甲州市、勝沼町等々力
ぶどう狩りの会場入り口

気温は照り返しもあり、体温越えの暑さだった。葡萄食べ放題は実が大きく甘いので30分間で半房がやっとだった。

大日影トンネル遊歩道内

勝沼ぶどう郷駅近くの大日影トンネル遊歩道は、自然の冷気で参加者全員生き返った。
片道1.5キロ、往復すると40分かかる。

平成9年まで中央本線で使っていたトンネル。修繕工事終了後、2024年3月に再開し、個人のワインを預かるカーヴもあるくらい、クーラーになっている。

中央本線旧大日影トンネル
貫通1902年〰︎ 廃止1997年
レンガ積みの河川隧道、
1968迄勝沼駅の終点地点

昔のレンガ職人技法が見られるレトロな隧道はアート作品だ。トンネル内のタイル貼りの天井もすてきだ。

大日影トンネル天井タイル貼り

佐原、小江戸風情が残る町

香取神宮からバスで10分走ると、香取市佐原の歴史が残る町並みがある。このあたりは、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

古いl酒造、醤油屋、漢方のお店。サワラから利根川を渡ると茨城県水郷地帯に隣接しており、舟運搬が盛んな村だった。

伊能忠敬旧宅も偶然見つけた。小野川の舟乗り場の前だ。土地測定器なども展示されている。

通称ジャージャー橋、さわら

家の近くに江戸初期、灌漑用水に使っていたジャージャー橋(樋橋トヨハシ)がある。ちょうど通りかかった時に、ジャージャーと流水が始まった。真夏の涼しい光景が急にとび込んできた。

香取神宮の森、千葉県

香取神宮は、1700年徳川幕府に伊勢神宮古材で造営された。重要文化財に指定されている。本殿は黒漆喰を基調に金色の金具装飾が個性的だ。現在工事中で2026年の大祭に完成予定だ。

入り口のブルーシートの上にかっこう良い三毛猫が毛づくろいしていた。声をかけるとポーズをしてくれた。

香取神社、参道の神社ネコ
香取神宮、7/24/2025

 

香取神宮、表参道

 

総門、香取神宮

 

香取神宮本殿改修中

駐車場近くから始まる参道商店食堂で、焼き団子と地産地消のガーデンサラダを頂いた。安くて美味しい野菜をたくさん味わった。ジョッキーの冷やし甘酒は次回に試したい。

鹿島神宮の森散策、茨城県

7月24日木曜日、暑中の神社お参りに挑む。横浜駅からバスで90分。神社の境内は歩きやすく、炎天下でも樹々がつくる木陰が続いていた。

鹿島神宮、本殿

現在の本殿は1619年、二代将軍徳川秀忠公により御奉納された。

鹿島神宮、奥宮

1605年、現在の奥宮は徳川家康公が本殿として御奉納された。その後、元和の造営の際に、奥宮として移された。

鹿園のバンビ、ニホンジカ

暑い日は小屋の中に避難している鹿たち、バンビがこちらに寄ってきてくれた。小屋から親らしき鹿がのぞいている。

御手洗池、鹿島神宮の森

池の近くには売店食堂がある。御手洗池の横で1日400キロリットル以上の清水が湧いており、容器に持ち帰ることができる。暑い。今年初めての宇治金時のかき氷をいただいた。

モンキアゲハ、御手洗池
モンキアゲハ 鹿島神宮

池近くで突然大型のアゲハチョウがヒラヒラと私の周りを回ってきた。ビデオで撮ると、着地した所で、地面から水を吸い、胴から流しているのが見えた。うっそうとした木陰、青い池の近くで、舞う黒い蝶。

幽玄の世界だった。

藤田嗣治:絵画と写真 @東京ステーションギャラリー

7月18日金曜日、酷暑の梅雨がやっと明けてくれた。
東京駅隣接の美術館、炎天下を避けてアクセスできるのがありがたい。

今回の展覧会でレオナール・藤田の生涯を辿ることができた。1886年から1968年、81年間、波乱の人生を生き抜いた。今もそのファッションがやセンスが新鮮な芸術家、国際人であることがよくわかった。

2011年、生前の多くの日記写真などの6000点の資料は、家族から寄贈され、今も母校芸大で研究されている。もっと多くの作品に触れたい。

自画像 1929 東京国立近代美術館

愛猫のキジトラ、硯と面相筆、日本を感じさせるアトリエの様子。深いグリーン色のシャツの着こなしにも注目した。

猫を抱く少女 1949 、個人蔵
マドンナ 1963 、 ランス美術館

1959年、藤田は妻の堀内君代とノートルダム大聖堂でカトリックの洗礼を受けた。君代は藤田の没後、広報にて作品を広め98歳まで生きた。
夫婦の遺骨はランスの藤田が設計したフジタ礼拝堂に埋葬されている。

フルール河岸、ノートルダム 1963

※ ノートルダム大聖堂の塔が作品左上に見える。

国東半島を巡る歴史散歩 ③

三日目は出発9時、大分空港に5時発の飛行機で帰路に着く。この日は猛暑日、お寺神社へ上る階段が試練だ。

最初は国東半島中央に位置する、721メートル両子(ふたご)山中腹に創建された天台宗別格本山の両子寺(ふたごじ)。

国東半島の最高峰両子山 6/28/2025
足曳山両子寺(ふたごじ)
千手観音像、御手は40本

二番目に訪れた寺は、両子寺から西に向かって30分、国宝の富貴寺。九州最古の和様建築物で、総榧(かや)の木造り、簡素な形、優美な屋根の線を持つ。
仏教徒を極楽へ導く阿弥陀如来座像を祀る。御本尊、壁画は撮影禁止だった。

富貴寺大堂(蕗寺) 平安後期

屋根の弧を描くデザインは、仏教の神聖な生き物、鳳凰を象徴している。御本尊を祀る本堂の中で住職から寺の縁起の話があった。

御朱印受付近くで参拝者を出迎えてくれる猫サバオ
住み付いて3年、哲学者風のネコ
毛皮模様が確かにサバ柄

さらに西に進み、全国四万社あまりある八幡様の総本宮である宇佐神宮へお参り。
境内の広さは約15万坪、私たちは国宝の宇佐神宮本宮でお参りの方法を習う。手水舎で手を清め、一之御殿、ニノ御殿、三之御殿と進む。それぞれに二礼四拍手一礼をする。(他の神社は二拍手)

八幡総本宮 宇佐神宮
 御鎮座1300年

国東半島の歴史的建造物や仏像は、地元の人々の強い信仰心に支えられて継承され今があると感じた。

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