12月を迎えた。
今年一年を漢字一文字で表すと、「訪」が浮かぶ。
気になっていた多くの土地を訪ねることができた。
のどかに過ぎた。
が、年末に近づくにつれ「戦う」
「争い」は後味わるく避けているが、私は時々「戦う」
戦わなければ、落ち着かない。
筋を通したい。
戦って相手から理解を得られると、嬉しい。
理解を得られなくても、戦ったあとは後味が良い。
安心して先に進むことができる。
これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
12月を迎えた。
今年一年を漢字一文字で表すと、「訪」が浮かぶ。
気になっていた多くの土地を訪ねることができた。
のどかに過ぎた。
が、年末に近づくにつれ「戦う」
「争い」は後味わるく避けているが、私は時々「戦う」
戦わなければ、落ち着かない。
筋を通したい。
戦って相手から理解を得られると、嬉しい。
理解を得られなくても、戦ったあとは後味が良い。
安心して先に進むことができる。
9月10日の朝、目覚めると
ひとつのフレーズが頭の中に浮かんでいた
《生かされている》
いつか誰かが、語っていた
《生きているのは、生かされているから》
なぜ、生きる?
それは、生かされているから
私の知り得ない意志が働いている
今日で熱く長かった8月の最終日。
涼を期待するが、9月も猛暑が続くらしい。
月がかわるのは嬉しい。
9月は準備の時期だったり、
世間の夏休みやお盆休みも終わり、
新しいことに出会うことが多い。
暦のおかげで、9月の元気をもらう。
お正月はまったりと速度をゆるめる新年。
9月は徐々に速度をあげる新年度。
朝目覚めると、不思議と心が強くなっていた。
不安な気持ちがない。
病院で予約時間を過ぎて90分近く経った頃、
午前中の最後に呼ばれた
落ち着かない1週間ーー
楽しいことをして、とメールが来た
生検の抜糸のあと、医師は「良性でしたよ」と明るく告げた
帰り道、花屋に寄ると、2本の紫色の翡翠ランが目を惹いた
一つは母の写真の横に飾った
もう1本はその夜お祝いにきた姪に渡した
急に世の中に光がさし、新しい人生が広がった
また何でもない日常を楽しもう
玩具のコマは漢字で書くと「独楽」
ひとり楽しむ人間に似ている。
初めにエネルギーをもらって動き出し、
高速回転を続けたあと、傾いてしまう。
自分を中心にまわっているから
時々事故を起こす。
接触したり、スピンオフして
隣りのコマを止めてしまったり。
コマは距離をとって楽しくまわる。
勢いよくまわっているコマのすがたを
遠くから眺めていたい。
こんなことがあったっけ。
昔、確かにこんなことがあった。
今、また同じ想いを経験している。
再び顔を出したこの想い。
だいぶ歳をとったなあ。
懐かしいこの想い。
今はここで一休みして。
さようなら、また会う時まで。
いつか思い出したいこの想い。
この想いは何処に行くのだろう。
今まで何処に隠れていたのだろう。
ひょっこり現れて、私の心を過去に戻す。
いや、想いの方が現在の私を訪ねてきた。
ありがとう。私は元気にしているよ。
ある時、私はあの想いを自分から思い出した。
自分から想いを呼んでみた。
しかし、想いはもう顔がない。
ただの思いに変わっていた。
夜明けの空気のように、
新しい思いになっていた。
あっちとこっち。
ー どちらがおいしいかな?
子供はお菓子をいっしょうけんめいに選ぶ。
ー かみさまの、言うとおりっ。
一つにしなさい。
お母さんにいわれ、指は宙をさまよう。
止まったほうにとにかく決める。
大人はそんなことはしない。
でも心の中で選んでいる。
ー どちらが美味しそうかな?
ー どちらが得かな。
心の中で悩んでいる。
大人は目の前にないものも比べる。
ー 私の方がしあわせだ。
ー 私なんか手が届かない・・・
自分と他人。
どちらがいいか比べている。
自分のものさしは他人だ。
ものさしを捨て、自分を見ると
そこにあるのは計測不能の自分。
他人と比べないと、
測り知れない自分と出会える。
テーブルにポトスの小さな葉っぱ。
もとの木から離れて、無造作に
白い小さな花瓶に入っている。
葉っぱの形になろうとしている。
葉っぱの形はいろいろある。
王様はみんなが思い浮かべる、
あの有名な、伸びたハートの形。
表面には葉脈がある。
よく見ると木の形をしている。
葉っぱも、自分のふるさとを
体全体に刻んでいる。
一つの木にたくさん葉っぱ。
葉っぱはたわわになる。
枯れても、落ちても、また出て来る。
葉っぱは木の心だ。
親の木から離れても、
木のつもりで生きている。
人は太古の昔から、陽が昇り、
沈み、隠れて、また現れる姿を見てきた。
多くの先達が太陽を崇め、祈ってきた。
太陽は偉大すぎて、その陽光が
身近すぎて、気づかなかった。
太陽は人の姿のシンボルであること。
人の歩む姿を示していたこと。
自ら模範の動作を示すコーチとなって
人を励まし、リズムを刻んでくれる。
人間は何をしている時がいちばん幸せなのだろう?
何をしている時がいちばん楽しいのだろう?
人それぞれ、という答えがまず帰ってくる。
何をすれば、多くの人が幸せを感じるのだろう。
何をすれば、多くの人が楽しく過ごせるのだろう。
現代を見まわすと、ただ行動している人は多い。
そんなことは考えずに日々暮らしている。
精神の高揚を体験することなく、淡々と生きている人々。
見方によっては、人も草木のように生きている。
日常生活の中での様々な感情をあらわしては忘れ、
あらわしては忘れの繰り返しの日々。
いつしかやって来る、老いの時代。あきらめの日々。
そんな人間のノスタルジア。
そんな人間世界のはかなさ。
楽しいことはいつか過ぎ去り、
苦しいことも時と共に薄れていく。
何かを求めて生きる人間が出会う何か。
何かが影響を与え、生き延びる魂。
魂の旅立ち。
人間ははかない。
人間は偉大だ、という人もいるだろう。
人間のはかなさはその上をいくのだ。
桜の花びらのように、降る雪のようにはかない。
消えていくものは、すべてはかない。
いつかは、実体がなくなってしまう。
思い出だけが残り、記録だけが残る。