新刊本「天使が語った道しるべ」発売

今週、新刊本「天使が語った道しるべ」が幻冬舎から全国流通になった。

新刊本と書店用ポップ

昨年始めに「眼(あい) 天使が語った道しるべ」を電子書籍で配信して頂いたが、やはり「紙の本」の方がよい、という声が多かった。若い読者の間ではアニメの電子書籍は非常に伸びているそうだ。しかし文学作品や思想、宗教関係は「紙の本」は頭に入りやすく、自分のペースも守りやすい。

この度、紙の本の出版に至ったのは、去年の6月にチェコ共和国の25歳の女性から、郵便レターを受け取ったことがきっかけだ。

27年前に出版した「妙な本」を古本屋で彼女が購入し、手紙をくれた。紙の本は、目に見え、触ることができ、手でページをめくる。読まない時でも、そこに居て文字と共に何かを発信している。

私自身もこの本を愛読書として、長い間そばに置いてエネルギーを得ている。

イングリッシュガーデン、シーズン前の静けさ

3月14日は記録的な夏の陽射しが降り注いだ1日。
しばらく休んでいたウオーキングを兼ねて、近くのイングリッシュガーデンを訪ねた。

桜、オカメ

4時頃の来園者は5名、ほぼ貸し切り状態の中、木陰のベンチに腰を下ろしてそよ風を感じた。

    子バトとパンジー

子ハトが一羽、白いパンジーを食べている。
短く剪定された草木が広がり、サッパリした地面をみえている。パンジー、クリスマスローズ、白色や黄色の水仙などが点在して植えられていた。

オステオスペルマム、菊科

桜の木を探した。オカメと名前のついたサクラの木は満開だ。

帰りに園芸コーナーで、オステオスペルマムの花苗を買った。中心の紫色が立体的な、八重咲きの白い菊で、初めて見る品種だ。

啓蟄の日、元気なセントポーリア

 

セントポーリア、3月5日

最近、毎朝セントポーリアのツボミの膨らみを観察するのが楽しみだ。今日は3月5日、春を感じる啓蟄の日。

写真に撮って拡大すると、また違った景色、世界が見えた。生命力旺盛で、葉も茎もツボミも光っている。植物のオーラ? 残したい成長記録だ。

戦争と平和

過去に多くの人が「戦争と平和」の課題に取り組み、努力し、祈ってきた。
その間、いろいろなドラマがあっただろう。平和を得る代わりに得たもの、それは希望であったり、絶望であったり、友情であったり、苦しみであったりだった。過去の人々成果を享受しているのが現在の状態だ。

平和を語るとき、ある人は何らかの躊躇を感じると思う。
そんな柄ではないと思う人もいれば、気恥ずかしさを感じる人もいるだろう。公然と平和運動をする人以上に、密かに平和を願っている人々大勢いる。平和祈願をする人々の中には、宗教者もいれば、子供もいる。現状が少しでも嫌だと思う人々は、すなわち広い意味で平和を願っていることになる。

「戦争と平和」という一組の言葉があるように、戦争ない状態が平和であると考える人もいる。事件が起こらないこと平和と思う人もいる。

Painted by H.T.

私はこう思う。いまだかつて世界に平和が訪れたことがあるだろうか? 答えは否。いつもどこかで争いが起きている。悲しんでいる人がいる。正しくない規則に縛られて生きている人がいる。

全世界が知らなくても、絶えずどこかで問題が起ているその争いの連続が人間の歴史を作ってきた。平和の時代であれば、歴史の記述者は困ってしまうだろう。書くことがないのだから。

平和を願う者の突き詰めた思いは、すべてのものが一斉に平和である状態」だろう。日本の平和だけを願う者、あるいはアジアの平和を願う者、特定地域の平和を願う者は、真の平和主義者の一歩手前にいる。全体の平和を願う者だけが祝福されるのだ。

政治家に関して言えば、今の地球上を見渡すと、誰も全体の調和ある平和を望んでいないようだ。かつて平和に対する正しい理解を持っていた人も、一度政界という世界に組み込まれると、小規模平和推進者にならざるを得ない。それが今の政治家の役目であるからだ。

すべての政治家は防御態勢に入っている。一見、他国を攻撃しているように見えてもよく分析してみると、それは防御のための攻撃なのだ。現在の戦争も防御のための戦争だ。

一体何をそんなに防御しているのだろう。そんなに守るものがあるのだろうか? 人にも当てはまることだが、国家も防御するものがなければ、攻撃もない。防御するものを捨てれば、攻撃は免れる。シンプルな理屈だ。

註:「眼(あい)天使が語った道しるべ」
2020年電子書籍より。

家なかのミニ花壇

家なかのミニ花壇

今日は日曜日。2月4日から始まった北京オリンピックも今日で閉会式を迎える。厳しい寒さもあり、外の散歩は敬遠しがち。今回はオリンピックをいつもより多く視聴した。

テレビの横に飾った鉢植え達は、家に居ても自然の力を与えてくれる。選手達と同じようにたくましい。

濃い白色のカランコエは、昨年の夏、スーパーの花屋で最後の売れ残りだった。小さな花がひとつだけ開いていたが、後は葉っぱだけでシーンとしていた。1か月後、やっと他の花が咲き始めた。半年かけて、今は白い八重の小花で覆われている。分厚い葉っぱから、さらに多くのツボミを覗かせている。

11月に東京で買ったシクラメンも形良く全てほぼ90度に整列している。元気なシクラメンに当たった。

水だけで10年は生きているセントポーリア。根が土の上からワサビ状になって出ている。それでも昨日、小さな1ミリほどのツボミをふたつ見つけた。開花が楽しみだ。今年はどんな形と色で咲いてくれるのだろう。

フェルメールと17世紀オランダ絵画展

東京都美術館にて2月10日から開催されているオランダ絵画展。久しぶりの上野駅。公園口の道路はすっきり整備され、駅舎は焦げ茶色の格子にカバーされて和風になった。

窓辺で手紙を読む女
画中画の天使を加筆(修復後)

今回フェルメール「窓辺で手紙を読む女」の修復された絵画が話題。今回の修復により、大きな天使像の画中画が現れ、輝度も以前より全体に明るくなっている。老眼に嬉しい。

会場ではガブリエル・メツーの「レースを編む女」が印象に残った。今年冬購入したハーフコートと似たデザインなのが目を惹いた。

「レースを編む女」
 ガブリエル・メツー

帰宅して彼の作品を調べるとユーチューブの動画があった。しかも70点と多くの作品コレクションがあり、17世紀のオランダのファッション、食べ物、文化を楽しむことができた。38歳と若くして世を去っている。

フェルメールの作品はメツーよりずっと少なく、30数点が残されている。11人の子供を抱えて、無名のうちに生涯を閉じた。今回の作品の他に「真珠の耳飾りの少女」「牛乳を注ぐ女」などが有名だ。ミステリアスな女性と光と独特な色彩が記憶に残る。

ミッフィ✖️フェルメール
「牛乳を注ぐミッフィ」

 

 

外国映画ウィーク

1月から3月は毎年、気分的に実務的に気がせく。
確定申告の下書きを済ませたところで、先週は気分転換を求め、映画ウィークと決めた。

アマゾンプライムは入会後、ほとんど利用していない。今回は1作品ずつ4日間連続で、おすすめ作品を鑑賞した。どれもハズレがなかった。頭の中を異なる思考が占領した。

🇩🇿  🇳🇱 日曜日に「アルベート・カミュ」1960年に交通事故で46歳の若さで世を去った哲学者、ノーベル賞を受けた小説家であり舞台演出家でもあった。昨年は「ペスト」で再び注目された。アルジェで貧しい子供時代を過ごしたが母の助けのおかげで高い教育を受け、パリに渡った。サルトルとは宿敵だった。

🇦🇷  🇵🇱  月曜日はアルゼンチンの映画「うちに帰ろう」。88歳のナチス時代を生きたユダヤ人の老人が「自分の人生に向き合う」決心をして、ポーランドの幼なじみで恩人を訪ねる旅に出た。少し冷たい家族より旅先で出会う人たちから親切以上の助けを受けながら旅は進む。

🇮🇸  🇺🇦 火曜日の「たちあがる女」もよかった。2018年のアイスランドの景色、温泉も出てくる。この作品もユーモラスなタッチだが自然界の中に音楽グループが演奏している情景が、斬新な表現方法だ。戦闘体制で一人で自然環境を守るために奇抜な工夫を凝らす。ウクライナに住む養女縁組のエピソードも扱っていた。

🇹🇩  水曜日は「ともしび」、2017年のベルギー映画だ。
原題は「ハンナ」。特殊な表現手法、説明しないストーリーで難解だった。コメントを読んでもそこで見解が多岐に分かれている。共感はできなかったが、妙に現実感があった。

朗読のクラス

昨年9月から月2回の朗読のクラスを受講し、朗読の世界に軽くふれている。

ルリカケス、奄美大島

講師は元アナウンサー、明るい美声で、細かく指導してくれる。クラスは数名の少人数だ。若いキャビンアテンダントの方も不定期に参加している。

始めは音読と同じように捉えていたが、それは全くの認識不足。自分が実際に身を持って行うと、今更ながら朗読の奥深さを知る。

テレビドラマなどの語り、声優など、聴き流していたが、如何に努力や才能、センスが必要なのかわかった。現在は地味な語り、朗読の部分も、今までにない角度で味わっている。

日頃の呼吸も大事で、腹式呼吸で文章を読めるよう、冷蔵庫に貼った発声練習表を見つつ、朝の2〜3分程度発声している。これだけでも始めてよかったと思える。

ジュンの思い出

12月30日の朝、急に昔飼っていた猫の大往生の日を思い出した。

ヒーターの上のージュン

確か16歳を過ぎていた。だんだん食が細くなった。片方のまぶたも下がって見えにくそうだ。治療もできなかった。ペルシャ猫系の雑種。ロングヘアで毛の中の体は外見ではわかりづらい。その頃は持ち上げると羽根のように軽々として驚いた。

その日の午前中、ジュンは家の中の階段下に座っていた。もう体力がなく、ほとんど動き回ることが出来なかった。名前を呼ぶと、いつもと違って後ろに向く。何か隠しているのだろうか?

正面を見ると、痩せて細くなったせいか、首輪と体の間に前足が入り込んで動きが制限されていた。そんな姿を見られたくなかったのだ。急いで前足を降ろした。やはりジュンは精神が強い。プライドが高い。

その日の午後、ジュンの姿は消えていた。庭、床下、近所、どこを探してもいなかった。その頃は散歩などできるはずもない。

いつか「完全な死は空中へ消えてしまう」と本で読んだことがある。

テレビの上のジュン

難消化性デキストリン

サプリメント類は日常的にほとんど使わない。
以前、数種類試した経験もあるが、手応えを感じられないと服用に飽きてしまう。また価格が高いと「自然の食物から摂取するのが自然だ」と考えなおす。

今回久々に難消化性デキシトリンを始めた。知り合いが効果あり、と紹介する話を聞き、試してみる気になった。

このサプリは水溶性食物繊維の粉で、飲み物に溶かして食事前や食事中に飲む。味はない。
2週間、5グラムの分砲を食事ごとに飲んだ。

人によって効用は一様ではないらしい。私の場合、整腸作用が正常になった。体重が1キロ減少。食後の血糖値の上昇をおだやかにするのは嬉しい。

いちばんの効用は睡眠の質が向上したと思えることだ。眠りが浅いたちだったが、朝起床するときスッキリしている。子供の頃のようだ。ここ最近では、鳥の鳴き声の目覚ましの音が聞こえないくらい熟睡している。

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