小さな蜘蛛

今朝、リビングの床に小さな蜘蛛が立ち止まっていた。
最近は見かけなかった。小さい家の蜘蛛は私にとって四つ葉のクローバーだ。特に朝の蜘蛛は金運がよくなると言われる通り、実感する。収入が決まっていた会社員の時でも臨時収入が8割の確率で現実化し、不思議だと思っていた。

したがって家の中で出会う蜘蛛には自然と好意的になる。
以前、部屋の壁に小さい蜘蛛を見つけ、おはよう、などと声をかけていた。その蜘蛛は我が家に3ヶ月近くも滞在したのだ。いなくなったかな、と探すと目が止まった方向や場所にいる。あちらも警戒心が段々取れていったのか、なんと私の肩に飛び乗ったりしたことがあった。この話を友人にすると、にわかに信じられない、と言われた。私も珍しい行動だ、と思う。

蜘蛛は嫌われることが多いが、害虫ではない。どちらかと言うときれい好きだ。そして謙虚で臆病だ。人が歩くとさっと道を空けてくれる。逃げられないとわかると死んだフリをする。床の埃や小さな虫を食べているらしい。しかし蜘蛛は体内が空っぽになって食事をするので排泄物はほとんどないのだ。

昔、中国で読解困難な書の掛け軸があった。するとそこに蜘蛛が現れて、字をなぞり、その意味が理解できた、という伝説を聞いたことがある。
蜘蛛は神秘的で謎が多い昆虫だ。

 

命の水

急に暑くなってきた。マスクをして歩いていると汗がこもってくる。

今の時期は病院に行くのはいつも以上に避けたい。健康管理にはいつも以上に気を付けたい。特に胃や腸に負担をかけず、足元には注意し、医療関係者のお世話にならないように心がけている。

二ヶ月くらい前にたまに行く眼科受付から電話があった。何事?と思ったら、ドライアイ用の目薬の処方箋を必要なら出します、というお知らせ。薬だけなら電話で頼めるようになった。便利だ。民間組織は変化に対応が早く、新しい工夫をし、人々は勤勉だと改めて思うことが多い。

以前は水分を多く取れなかった。健康のために1日2リットル飲むのが良いと言われても、なかなか飲めなかった。しかしお水は大切だ。母がベッド生活になった時、いつもお水、お水と飲んでいた。夏は氷を入れると、お水が一番おいしいと言っていた。最後に発した言葉も、お水〜だった。晩年はお水を飲むことが難しくなってかわいそうだった。そのため私も昨年から水をよく飲むようになった。喉が乾かなくても無理なく1日2リットルは飲んでいる。

たくさん水を飲むことは認知症や脳梗塞の予防にもなるそうだ。病院や介護施設でも気にかけている項目だ。

 

がまんの長さ

安倍首相によって緊急事態宣言が5月31日まで延長された。
ニュースや身の回りの状況で判断すると正常化するまで1年はかかるのではないか、と思って覚悟を決めている日々だ。

2週間で緊急事態が解かれると期待していた人々は脱力感が強いだろう。
1ヶ月をみている人は割り切って、工夫しながら生活に向き合い始めている。

5月1日の朝日新聞の朝刊に、佐藤優氏の「私のおこもり術」という記事があった。佐藤氏は元外務省職員、今は作家であり講演活動などに活躍している知の巨人である。何十年前かキリスト教関係の月刊紙「ミルトス」でやさしいヘブライ語の記事を執筆していた。その頃から何となく親しみを感じ、横浜で行われる定期講演会に総括的な政治の話を聴きに行くこともある。

佐藤氏は国策捜査で拘置所暮らしを経験していた。この記事によると2005年5月から512日間拘置され、朝7時から夜9時まで3畳の部屋に座って過ごした。本は3冊まで所持できたそうだ。

改めて普通の人が遭遇しない経験をされた事実を思い出した。今は普通に精力的に活動されている。強い、すごいと思う。人間がすごいのか、佐藤氏がすごいのか? 多分両方だろう。

 

鯉のぼりの季節

今日から連休が始まる。
今年はステイホーム週間にして下さい、と行政、メディアが呼びかけている。
1年前の2019年、平成最後の4月、目前の令和への改元のイベントに世間はエキサイトしていた。母もベッド生活を続けながらも、食欲があった。5月1日には約一年ぶりでいつもの流動食を替えて、普通米の握り寿司を食することができた。新しい令和時代を祝っていた。

部屋の片付けをしていたら、小さな額縁がたくさん出てきた。母はデイサービスに週2、3回お世話になっていた。月に一回、工作の時間があり、季節感のあるデザインで小物を作り、家に持ち帰ってくる。素朴で可愛い作品をスタッフの方々が選んでくれる。5月の鯉のぼりは2つ作品があった。今年鯉のぼりは外では見ること少ないので、玄関に飾ることにした。

母の手作りの作品は鎌倉彫も多くあるが、やはり最近の作品に母の空気やDNAを感じる。今年の特別な5月を思い、母を思いながら、新聞記事で見た伊勢崎町通りの浜っ子を元気づけたいと願う50匹の鯉のぼりストリートに散歩に行こうかと考えている。はたまた、去年母に聞かせた童謡の「こいのぼり」、甍の波に雲の波〜を歌って元気を出そうか?

布貼り絵

 

 

 

 

砂絵

 

 

村上春樹の新刊「猫を棄てる」を読む

 

コロナの影響で、多くの店舗が閉まっている。ステイホーム、外出自粛の時だ。
それでも新聞が届き、郵便物、宅配の品が届くのはありがたい。

本屋も閉まっているので、村上春樹の新刊を電子ブックで購入した。電子ブックは10数年前から徐々に増えてきた。はじめの頃の無料の本を試読したことがあるが、有料で新刊本を購入するのは今回初めてだ。ディスプレイはどうしても目が疲れるので敬遠していた。しかし「猫を棄てる」が気になり在宅時間が長い昨今、新しい読書ツールを体験することにした。

1ページ大の挿絵が多く、台湾出身の若い画家の絵は懐かしく、繰り返し鑑賞できる作品だ。村上春樹の作品の挿絵はいつもカジュアルで楽しい。しかし今回の作品は細かい描写画で、父親の時代を反映してセピア色で昭和を思い出す。

村上の作品は小説が多いが、私はエッセイが読みやすく好きだ。長編小説も細部の描写が多く、先に進まないのが良い。今回のエッセイは自らの父親や親戚のことを語る珍しい内容だ。人は歳を重ねるとやはり、自分の先祖のことが気になってくる。特に他界した人物については発表しても良いだろうと判断する。表現者は父母の面影を残したい思いが強くなるのだろう。

個人的には文中の父親の養子のエピソードで思いが大きくふくらんだ。昔は養子、養女が多くあった。戦国時代から家や政治の事情で、皇族もそうだ。親の立場で受け流される事情だが、子供の立場は複雑だ。その人生もその分深くなる。

 

 

 

桜の便り

今日は朝から青空。風もなく穏やかだ。
昨日は雨、今日は快晴。ベランダで洗濯物を干し終わった時、さっと白いものが私の目の前に現れ、ふわりと落ちた。桜の花がヒトヒラ足元にある。
なぜ、ここに? 風もなく、近くに桜の木もない。ここは5階だ。すぐにわかった。母からの合図だ。

母は令和元年の5月に息を引き取った。その後、私の心の中で共に生きている。母が姿を変えた2日後。用事で近所で開業している母の主治医だった医者を訪ねた。すると歩道の左側から大きなアゲハ蝶が現れ、楽しげにずっとついて来るのだ。こんな親しげなアゲハ蝶は初めてだ。

蝶々と言えば、お墓参りでお墓近くに出てきたり、道案内するように近くを飛んだりする。故人が蝶々に姿を変えている。そんな言い伝えを思い出した。

モンシロチョウはよく見かけるが、その時は美しいアゲハ蝶だった。母が手を振っている。心細かった私に、大丈夫、と一緒に散歩してくれた。
しばらくしてそう気づいた。

桜の花びらを眺めながら、あのアゲハ蝶を思い出し、朝のひとときを過ごした。母からの桜の便りだ。この大事な便りはすぐに写真に収めた。

ベランダに届いた桜の便り

 

 

新年度始まる

4月1日。また巡ってきた。
今年はいつもと空気が違う。
垂れ込めている。人々の気持ちに加えて、今日は雨模様。

規則正しく動ける人は幸いだ。
不規則になっている人は災難だ。

その中でできること。
目を閉じて楽しいことを考えよう。

いつもスマホを見ている人、
ネットの中も空気が淀んでいる。
ニュースはコロナウイルスに占められている。

いつもと違う社会。
不安が勝っている。

こわいのは不安の感情そのもの。
不安から目をそらして、
目を閉じて楽しいことを考えよう。

水木しげる、飄々と生き延びた偉人

「戦争で生きたいと願っていたのに亡くなった人、すなわち、無念の死を遂げた人のことを思えば、今誰も可哀想でない、と思う。」

2015年11月30日に93歳で亡くなられた、水木しげるの言葉。

2007年8月12日NHKスペシャルで終戦記念番組「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」の中で、水木しげるがコメントされたのが上の文章だ。
思い切った表現が心に残り、メモしておいた。今回の旅でまた思い出した。

この時に「総員玉砕せよ!」「泉鏡花伝」「猫楠」など読み、改めて水木ワールドに触れた。

三渓園にて散歩を楽しむ

今日は久しぶりに20度を超え、暖かい陽ざしが満ちている。
帽子をかぶって、横浜の国指定名勝の三渓園まで足を伸ばすことにした。
県外の人が来ると案内がてら利用するくらいだ。何年振りだろう?

今日の発見で一押しは「カラスの行水」を目撃したこと。

園内には正面の大池と、蓮池、睡蓮池と三つの池がある。浅瀬のある睡蓮池で何やら鳥が縦にジャンプしながら池に入っていった。

何の鳥だろう?と眺めていたら、バシャバシャと羽を広げている。ふっくらしていて小型だったのでカラスとわからなかった。子供のカラスが一羽で陽ざしの中気持ちよく遊んでいたのだ。あわててスマホを取り出したが、カラスの行水だ。すぐに飛び立ってしまった。かわいい行水だった。

桜には早く、赤や白の椿の木、雪柳の群生が目立った。

待春軒から三重塔を観る

大池には木のボートの上に背中を丸くしたサギがじっと立っている。
同じボートの反対側に2羽の水鳥が同乗している。彼らもじっと日向ぼっこを楽しんでいる。一幅の日本画を眺めているようだ。

大池に浮かぶ舟

帰る時刻4時ごろ、カメラを覗くと黒い影が!
よく見ると自分の影がくっきり道に映っている。

小学生のころ人の影を追いかける、影ふみの遊びをしたことを思い出した。

久しぶりに見た自分の影
4時頃

 

桃の節句、ひな祭り

ニュースは、今年の春は新型コロナ感染で今までにない事象が日本、世界で起きている、と連日伝えている。

正確にいうと、今現在、世界で生きている人々が経験しなかった事態になっている。

今は医療の発達や情報量の多さ、速さ、自由な発言などで、今までなかった状態になっている。

3月に入った。明日は桃の節句、雛祭りだ。

暦は確実に、誠実にやってくる。

雛祭りは一部では流し雛の風習もあり、健康、幸福を願って川に人形を流す。

一年に一度の3月を大切に過ごしたいと願う。

Watercolors, tisa
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