池のほとりで

最近は近くの大きな市民公園内を散歩することが多くなった。
小学生の頃見た小さな池がまだ残っている。60年近く前のことだ。その間、訪れることがほとんどなかった。今はコロナ自粛生活中、運動不足解消のためもあって、マラソンをしている人、柔軟体操をしている人、子供を連れて散歩している若い家族など、多くの利用者が見られる。

散歩道には水辺がよいと池の周りにも立ち寄る。浅い泥沼だが、観察すると錦鯉が3匹、黒っぽい野鯉が数匹、中型の亀が2匹、確認できた。鳩も水辺にやってくる。

先日、四人の中学生くらいの男子が池に入って亀を取っていた。現代っ子が野遊びをする姿は珍しい。亀は地上に置かれ、動かないように軽く縛られている。「離してやりなさいよ」「外来種だからいいんですよ」同じく様子を見ていた犬の散歩中のおばさんと会話している。私は注意すべきか、違法なのか、まだ持ち去ってないし、と考え迷っていた。すると亀はするりとナイロン紐をすり抜け、あっという間に池の中に潜って去っていった。一件落着、ホッとした。

何も手助けしなかったが、後で浦島太郎の話を思い出した。助けた亀に連れられて、竜宮城に行きました。逆に、自力で難局を脱した亀に助けてもらった。

2鉢のセントポーリア

今年もセントポーリアが1月から5月まで次々と花を咲かせた。
二つあるセントポーリア、元気な方は花びらが白と紫の鉢は毎年つぼみをつける。葉っぱの色が濃くなり、艶やかに変わってくると、その後に花をつける。もう一つのセントポーリアは虚弱体質に見える。葉っぱだけの状態が数年は続いた。毎年花をつける方の葉っぱと比べて艶やかさがなかった。

昨年、葉っぱだけだったセントポーリアにつぼみが10個くらい付いた。葉っぱを見るとピカピカ輝いている。驚きと期待感で毎日花が開くのを見ていた。葉っぱの陰に隠れて1ミリもないつぼみ達。それは一つも枯れることなく、鈴なりになった。友人によると去年はセントポーリアが突然花をつけるケースが多いそうだ。離れていても同時多発性なのか?

その暖色系のセントポーリアは今年もたくさんのつぼみをつけた。去年、母と数ヶ月の間、咲き誇るセントポーリアを楽しむことができた。思い出の二つの鉢だ。昨日は母の1周忌でお墓参りをした。

去年、急に花開いた

 

 

 

ピカピカの葉

モンステラ

 

リビングにそびえるモンステラは10年くらい前、高さ10センチ足らずだった。
昨年あたりから「ジャックと豆の木」のように成長が加速し、天井に到達した時は拍手したものだ。去年、50センチほど切って形を整えた。今年も成長が早い。再び天井に届きそうだ。

若い葉はつややかに巻いているが、必ずモンステラの葉になる経過が面白い。モンステラの葉の形は一枚でも複数でも、アートになる。

切り取った葉も他の観葉植物の葉と一緒にコップに生けて、キッチンや洗面所近くに置いて長く楽しめる。

天井に届いた

 

葉っぱを生ける

慰問ライブ

最近はテレビでもユーチューブでも、質の良い貴重な作品が無料公開されている。コロナの影響で家で過ごす時間が多くなった。メディアの営利目的としない計らいだろう。ありがたいことだ。

今朝、ある歌の歌詞をユーチューブで検索していたら、桑田佳祐のライブが配信されていた。20年くらい前の映像だろうか、フジテレビの企画で網走刑務所慰問ライブを行なった時の記録。そのドキュメンタリーとライブ映像30分に見入った。珍しい内部の雑居房の様子、食事を作る受刑者たち、所長とのインタビューも入っている。

ライブ中も言葉の使い方が天才的だと言われるのがわかる。受刑者700人を前に
「シャバはいいぞ〜。」「ハワイは暖かいぞ〜」なんてトークしている。
「お勤めご苦労様です。」は会場を沸かせた一言。

選曲も当然選び抜かれている。
「春のからっ風」に始まり、「さらば恋人」「花」「ツナミ」「祭りのあと」「Stand by me」と続いた。

ライブの後、塀から外に出て雪でおおわれた知床半島をバックに「知床旅情」を野外で熱唱しているシーンもある。ライブの後で声が少し枯れているのは珍しい。外気が冷たく低い気温だと言葉も発しにくい。桑田くんは暖かい。

 

 

 

 

橘の木と老尼

NHKのラジオに古典講読の時間がある。先日、鴨長明の発心集の中から興味深い、ユーモラスな説話を紹介していた。

時代は平安後期から鎌倉時代。長年仏教を信じ修業を積んできた尼さんがいた。終末が近くなり、重い病で湯水も喉に通りにくい状態で病床に伏せていた。あと何日の命という時、隣の庭の橘の実が美味しそうに実っているのが気になる。是非とも死ぬ前に食べたい。家人が隣の僧侶に少し分けて欲しいと頼みに行くと、むげに断られた。

病床の老尼は激怒。たかが2個3個の橘の実も分けてくれないとは。今まで極楽浄土へ行くべく精進してきたが、今となっては生まれ変わって虫になり、あの橘の実を食いつくそう。隣の僧侶を恨みながら、この世を去った。さて、くだんの僧侶は熟して美味しそうな橘の実を食べる。するとその中には1.5センチほどの白い虫がいた。他の実を食べるとそこにも虫が、結局全ての実は虫に食い尽くされていた。毎年同じことが起こり、橘の木は切り倒された。

こんなあら筋だった。

多くのテーマがこの説話に含まれている。単に食べ物の恨みは恐ろしい、だけでない。臨終の介護を経験した人はこの老尼の無念さをより理解できる。小さな親切は惜しまないのが良い、という教訓も強く感じる。

 

小さな蜘蛛

今朝、リビングの床に小さな蜘蛛が立ち止まっていた。
最近は見かけなかった。小さい家の蜘蛛は私にとって四つ葉のクローバーだ。特に朝の蜘蛛は金運がよくなると言われる通り、実感する。収入が決まっていた会社員の時でも臨時収入が8割の確率で現実化し、不思議だと思っていた。

したがって家の中で出会う蜘蛛には自然と好意的になる。
以前、部屋の壁に小さい蜘蛛を見つけ、おはよう、などと声をかけていた。その蜘蛛は我が家に3ヶ月近くも滞在したのだ。いなくなったかな、と探すと目が止まった方向や場所にいる。あちらも警戒心が段々取れていったのか、なんと私の肩に飛び乗ったりしたことがあった。この話を友人にすると、にわかに信じられない、と言われた。私も珍しい行動だ、と思う。

蜘蛛は嫌われることが多いが、害虫ではない。どちらかと言うときれい好きだ。そして謙虚で臆病だ。人が歩くとさっと道を空けてくれる。逃げられないとわかると死んだフリをする。床の埃や小さな虫を食べているらしい。しかし蜘蛛は体内が空っぽになって食事をするので排泄物はほとんどないのだ。

昔、中国で読解困難な書の掛け軸があった。するとそこに蜘蛛が現れて、字をなぞり、その意味が理解できた、という伝説を聞いたことがある。
蜘蛛は神秘的で謎が多い昆虫だ。

 

命の水

急に暑くなってきた。マスクをして歩いていると汗がこもってくる。

今の時期は病院に行くのはいつも以上に避けたい。健康管理にはいつも以上に気を付けたい。特に胃や腸に負担をかけず、足元には注意し、医療関係者のお世話にならないように心がけている。

二ヶ月くらい前にたまに行く眼科受付から電話があった。何事?と思ったら、ドライアイ用の目薬の処方箋を必要なら出します、というお知らせ。薬だけなら電話で頼めるようになった。便利だ。民間組織は変化に対応が早く、新しい工夫をし、人々は勤勉だと改めて思うことが多い。

以前は水分を多く取れなかった。健康のために1日2リットル飲むのが良いと言われても、なかなか飲めなかった。しかしお水は大切だ。母がベッド生活になった時、いつもお水、お水と飲んでいた。夏は氷を入れると、お水が一番おいしいと言っていた。最後に発した言葉も、お水〜だった。晩年はお水を飲むことが難しくなってかわいそうだった。そのため私も昨年から水をよく飲むようになった。喉が乾かなくても無理なく1日2リットルは飲んでいる。

たくさん水を飲むことは認知症や脳梗塞の予防にもなるそうだ。病院や介護施設でも気にかけている項目だ。

 

がまんの長さ

安倍首相によって緊急事態宣言が5月31日まで延長された。
ニュースや身の回りの状況で判断すると正常化するまで1年はかかるのではないか、と思って覚悟を決めている日々だ。

2週間で緊急事態が解かれると期待していた人々は脱力感が強いだろう。
1ヶ月をみている人は割り切って、工夫しながら生活に向き合い始めている。

5月1日の朝日新聞の朝刊に、佐藤優氏の「私のおこもり術」という記事があった。佐藤氏は元外務省職員、今は作家であり講演活動などに活躍している知の巨人である。何十年前かキリスト教関係の月刊紙「ミルトス」でやさしいヘブライ語の記事を執筆していた。その頃から何となく親しみを感じ、横浜で行われる定期講演会に総括的な政治の話を聴きに行くこともある。

佐藤氏は国策捜査で拘置所暮らしを経験していた。この記事によると2005年5月から512日間拘置され、朝7時から夜9時まで3畳の部屋に座って過ごした。本は3冊まで所持できたそうだ。

改めて普通の人が遭遇しない経験をされた事実を思い出した。今は普通に精力的に活動されている。強い、すごいと思う。人間がすごいのか、佐藤氏がすごいのか? 多分両方だろう。

 

鯉のぼりの季節

今日から連休が始まる。
今年はステイホーム週間にして下さい、と行政、メディアが呼びかけている。
1年前の2019年、平成最後の4月、目前の令和への改元のイベントに世間はエキサイトしていた。母もベッド生活を続けながらも、食欲があった。5月1日には約一年ぶりでいつもの流動食を替えて、普通米の握り寿司を食することができた。新しい令和時代を祝っていた。

部屋の片付けをしていたら、小さな額縁がたくさん出てきた。母はデイサービスに週2、3回お世話になっていた。月に一回、工作の時間があり、季節感のあるデザインで小物を作り、家に持ち帰ってくる。素朴で可愛い作品をスタッフの方々が選んでくれる。5月の鯉のぼりは2つ作品があった。今年鯉のぼりは外では見ること少ないので、玄関に飾ることにした。

母の手作りの作品は鎌倉彫も多くあるが、やはり最近の作品に母の空気やDNAを感じる。今年の特別な5月を思い、母を思いながら、新聞記事で見た伊勢崎町通りの浜っ子を元気づけたいと願う50匹の鯉のぼりストリートに散歩に行こうかと考えている。はたまた、去年母に聞かせた童謡の「こいのぼり」、甍の波に雲の波〜を歌って元気を出そうか?

布貼り絵

 

 

 

 

砂絵

 

 

村上春樹の新刊「猫を棄てる」を読む

 

コロナの影響で、多くの店舗が閉まっている。ステイホーム、外出自粛の時だ。
それでも新聞が届き、郵便物、宅配の品が届くのはありがたい。

本屋も閉まっているので、村上春樹の新刊を電子ブックで購入した。電子ブックは10数年前から徐々に増えてきた。はじめの頃の無料の本を試読したことがあるが、有料で新刊本を購入するのは今回初めてだ。ディスプレイはどうしても目が疲れるので敬遠していた。しかし「猫を棄てる」が気になり在宅時間が長い昨今、新しい読書ツールを体験することにした。

1ページ大の挿絵が多く、台湾出身の若い画家の絵は懐かしく、繰り返し鑑賞できる作品だ。村上春樹の作品の挿絵はいつもカジュアルで楽しい。しかし今回の作品は細かい描写画で、父親の時代を反映してセピア色で昭和を思い出す。

村上の作品は小説が多いが、私はエッセイが読みやすく好きだ。長編小説も細部の描写が多く、先に進まないのが良い。今回のエッセイは自らの父親や親戚のことを語る珍しい内容だ。人は歳を重ねるとやはり、自分の先祖のことが気になってくる。特に他界した人物については発表しても良いだろうと判断する。表現者は父母の面影を残したい思いが強くなるのだろう。

個人的には文中の父親の養子のエピソードで思いが大きくふくらんだ。昔は養子、養女が多くあった。戦国時代から家や政治の事情で、皇族もそうだ。親の立場で受け流される事情だが、子供の立場は複雑だ。その人生もその分深くなる。

 

 

 

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