7月31日月曜日 19時30分から約30分間、二万発の花火が踊り、夢の時間が過ぎた。約二ヶ月前に協賛席のチケットを入手し、待ちどおしい日々を過ごした。
雨天の場合、順延はなく中止となるが、今まで幸運にもそのような事態はなかった。今日の未明前3時ごろ、珍しいゲリラ豪雨と連続の雷が轟いた。昨夜の花火大会の天候に感謝した。


耐震バース





これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
7月31日月曜日 19時30分から約30分間、二万発の花火が踊り、夢の時間が過ぎた。約二ヶ月前に協賛席のチケットを入手し、待ちどおしい日々を過ごした。
雨天の場合、順延はなく中止となるが、今まで幸運にもそのような事態はなかった。今日の未明前3時ごろ、珍しいゲリラ豪雨と連続の雷が轟いた。昨夜の花火大会の天候に感謝した。






旅の最終日は、石畳を歩く古寺巡りでゆっくり散策することにした。多くの寺院の中、観光案内所で勧められた浄土寺を目指した。

浄土寺は尾道駅からいちばん奥、瑠璃山を背景に尾道水道を眺める場所にある。616年の飛鳥時代、聖徳太子が開基したと伝えられている。

参詣者は二人だけ、建物の中は入場料300円で方丈を見学できる。入り口にはNHKのブラタモリがロケに訪れたことを紹介している。古い台所や襖絵の座敷、庭園と廻った。


当寺は江戸時代、京都にある皇室の菩提所、泉涌寺の末寺となり、大本山として1400年の法燈を継承している名刹だ。
私と友人は、京都の泉涌寺は2年前の秋に訪れておりすぐに思い出した。

同じ泉涌派に属する鎌倉の覚園寺は住職も当然ご存知だ。
友人が「家の菩提寺は泉涌寺派の鎌倉覚園寺です」とご住職に伝えると「泉涌寺派は全国でも少ない、これがご縁と言うものでしょう」とコメントしていた。

7月11日、朝9時15分、ホテル前の尾道港から、生口島の瀬戸田(沢港)に向けてシトラス号は出航した。待ち人がいない島は、汽笛を鳴らして通過する。向島、因島を経て約40分。レモンの島、生口島(いくちじま)に到着した。


沢港前のレンタサイクル店で2台の3段ギアの黄色い自転車を借りた。ルートは地面に塗られたブルーラインに沿って走るので迷わない。

ビューポイントのサンセットビーチまで海風の中進んだ。
ここで折り返し、風の少ない港方向に進み、港近くの平山郁夫美術館を訪ねることにした。陽射しが強いので、こまめに休憩をとった。
平山郁夫画伯の出身地である瀬戸田。若い頃の作品に目を惹かれた。昭和時代の地元の様子を描いた油彩画も珍しい。


建物や庭園も和風。手入れと愛情が行き届いている清々しいスペースだった。改めて平山郁夫画伯と奥様の歩んで来られた道を考えた。旅から戻り、芸大時代の平山美知子作品集をオンラインで購入した。

帰りは4時30分の尾道駅行きの定期バスを利用した。しまなみ海道を60分ほどかけて各駅停車で走り抜けた。

夕食は気になっていた牡蠣のレストラン。ホテルと同じ建物の港を臨む1階にある尾道ワーフ。店内が賑やかに混んでいたので美味に違いない。広島最後の夕食タイムも旅情を満喫した。
宮島の雨は午前中も本降り。10時前にホテルをチェックアウトして、次の宿泊地の尾道へ向かった。
山陽本線で宮島口から尾道まで2時間6分、途中糸崎で乗り換えて、12時26分に尾道駅に無事到着した。
ホテルは駅から徒歩5分の港に面している便利な位置にある。駅前にはパン屋さんや百貨店があった。荷物を預けて、午後はロープウェイに乗って千光寺公園を訪ねることにした。天気は回復している。
券売り場ではじめにロープウェイで山頂の公園まで上り、帰りは下山しながらお寺をお詣りするコースを勧められた。


千光寺は大宝山中腹の標高140メートルに位置している。
平安時代初期806年創建の真言宗のお寺で、本堂が舞台造りになっている。
境内に巨岩「玉の石」があった。由来は昔、岩の上に光る玉があり、その光が夜遠くの海上を照らしていたと言う。

夕方5時過ぎにホテルに戻った。海風が心地よく、波止場の散歩道を歩くと、犬の散歩中の地元の人々とすれ違う。

翌日のサイクリングに備えて、帽子を探しに駅近くの百貨店に行った。ホテルのロケーションは最高だ。
7月9日、新幹線で3泊の広島の旅に出た。
1日目は大雨注意報の出ている西日本に向かうことになった。新幹線は50分遅れ、広島駅から宮島口までのJR在来線も不通になった。残る交通手段は路面電車、所要時間は1時間15分だった。
前回は日帰りだったが、今回は宮島に1泊した。
雨の中、送迎バスでホテルに到着した。
夜8時30分からのライトアップの厳島神社を訪ねるツアーが始まると雨は止み、大鳥居の下まで歩くことができた。ツアー終わりの頃また雨が降り出した。


ホテルの早朝ガイドツアーにも参加した。
7時から1時間ほど近くの山道を散策した。傘をさしながらでも美しい緑を楽しむことができた。花崗岩が粘着質の真砂になっている。白っぽい地面のおかげで雨天でも明るい気がする。


晴れていれば目的地だった弥山(みせん)伽藍。
そこへ登るロープウェイの入り口。秋は紅葉が美しいベストシーズンらしい。紅葉は葉っぱの小振りなイロハモミジという種類だ。


ツアーの最後、ホテル隣りの車庫に可愛い鹿が待っていた。
島の人口1500人に対し、鹿は500頭ほどもいるそうだ。

横浜イングリッシュガーデンに恒例、6月の花々鑑賞のため訪れた。
梅雨の合間の曇り空の下で、アジサイの他にも色彩が映える花々があった。

アーケードはいつも季節にあった飾り付けがほどこされている。今回は、たくさんのかざぐるまと風鈴。風も程よく通り抜け、チリンチリンと一斉に鳴ったり、止んだり。自然のリズムを楽しんだ。

ゴージャスな百合の群生。黄金色のカサブランカと聞いて納得した。香りも強い。

曇りの日にひときわ映えていたあざやかな百日草。

花火のように咲いている多種のアジサイ。
毎年新しい品種に出会えるのも楽しみだ。
今回はグループ観光1泊旅に三人で参加した。
姉夫婦と私。全員70代。昔の思い出話も多くなる。
青い空、山々、緑の木々、鳥のさえずり、古い街並み、
シンプルで美しい。
中部地方山あいの風景は人生の現在地、心境を映し出しているようだ。






6月11日、空路で徳島空港に着いた。
そこからバスで約1時間、山の上に大塚国際美術館がの建物が現れた。地上2階、地下3階の景観に配慮して建てられた、広大な陶板アートの美術館だ。
世界各地の名画が千点余り、実物大を陶板に転写されている。大塚グループが独自の割れない大きな陶板の技術、色を2万点近く開発した。
会社創始者が鳴門市の白砂からタイル製造をスタート、美術館完成に至ったのが1998年。初代館長、大塚正士氏の地元愛の結晶である。スケールが巨大で、展示会場を散策するだけでも4キロの導線があるそうだ。
展示は飽きないように工夫されている。まる1日は予定に入れたい場所だ。美術展と言うより、陶板アートの館だ。

巨大な壁画を見ながら進むと首が痛くなった。しかしモザイクは足元の床も美しかった

美しく物憂げなイタリアの15歳の農民。
当時完璧な造作から画家たちの間で人気のモデルだった。

エゴン・シーレ晩年の哀愁帯びる作品。彼の死後、同年11月に第一次世界大戦が終わり、名門ハプスブルグ家/オーストリア帝国が没落した。

スイスの国民的画家の作品があった。キリストと思われる少年と天使たち。上野で行われたホドラー展を思い出した。

ゲルニカは無差別爆撃を受けたスペイン、ゲルニカ市民の苦しみを描いた作品。現在オリジナルはマドリードの芸術センターにある。
スペインのフランコ将軍からバスク地方の攻撃依頼を受けたドイツ軍から空爆された。世界中から非難を受け、映画にもなった。
最終日3日目は予報に反して、朝から小雨。
ゆっくり朝食をとっていると、昨日ランチ店で会話を交わした大宮からの女性2人が声をかけてくれた。情報交換をした。帰りの新幹線は出発は20時近くにしてある。10時前にチェックアウトを済まし、荷物を預けたまま、ホテルを出た。
歩いて5分位のショッピングビル、めいてつエムザで伝統工芸展にて入賞作品など開催中だ。入場料500円、良さそうだ。予想に違わず、精微な伝統工芸品の数々に加賀の香りを存分に感じた。


兼六園散策では金沢城公園に行けなかった。雨も上がってきた。公園内を散策することにした。入り口を探していると、地元の自転車に乗っていた女性が、「どこかさがしていますか?」と声をかけてきた。入園は石川橋を渡るのが一番お勧め、オリジナルが残っている門はここだけと説明してくれた。

玉泉院丸庭園に行くと、ボランティアガイドのコーナーがあった。ここでも人が少なかったせいか、年配の女性ガイドが声をかけてくれた。結局30分ほど、庭を含め、公園全体の説明を聴くことができた。お松の方の別荘、玉泉院丸の庭園、小堀遠州の弟子の作庭で、土の橋、木の橋、石の橋とあるのがわかった。

香林坊ダイワは1階ウインドウはブランド品が飾ってある。このビル8階でランチタイムにした。見晴らしがとても良かった。
午後はひがし茶屋街で時間をかけて散策。
地図なしでもたくさんの見どころに行き当たる。入場料500円の「志摩」は1820年に建てられた木造二階建てのお茶屋さん。一階が帳場、二階は高くしてあるお座敷。押入れはなく、襖を開けて小さなライブ場になる。中庭を臨む透かし欄間も繊細だ。


夕刻、前田家の大きなお位牌が安置されてある円長寺にて、地元の書家、水口天楓さんとお話する時間があった。遅い時間の新幹線で正解だった。それでも宿泊ホテルでタクシーを拾って急いで駅に向かった。駅の名店街で、加賀の棒茶、和菓子、夕食の笹の葉寿司などを買って車両に乗り込んだ。
25日、2日目の朝は珍しく5時に起きた。7時からの朝食バイキングが始まる前から並んだ。ホテルを8時に出発、近くの尾山神社の散歩からスタート。
すでに境内は外国人観光客で賑わっていた。広い境内の奥は金沢城公園口に隣接していた。

初代加賀藩主の前田利家公とお松の方を御祭神とする大きな神社。
利家は豊臣秀吉政権の五代老のひとり、身長182センチの長身で槍の名人だったそうだ。松は12歳で従兄弟の利家と結婚、2男9女を産む。利家が61歳で病死したあと、出家して芳春院と号した。71歳で金沢城内で亡くなった。

次に長町武家屋敷跡を歩いた。
普通の住居も多く、木戸を音をたててスライドする古い門構えが並ぶ。九谷ミュージアムの半分は店舗になっており、現代作家の作品も多く並んでいた。中庭に青木木米の割れた作品をモザイクにした記念碑があった。

昼食は旅行会社からの店指定のクーポン券を利用し、駅近くで能登牛のひつまぶし膳をいただいた。午後は室生犀星が愛したと言われる犀川方面へ向かう。
金沢市内には優雅な細い浅野川と雄大な犀川が流れている。
犀川をまたぐ犀川大橋を渡ると、すぐに寺町寺院群がある。
小規模な寺院の中に、ユーモラスな像や文学石碑を見つけるのが楽しい。忍者寺で有名な妙立寺は、予約必要だが閉館していた。


『春もやや〜けしき調う月と梅』〜 松尾芭蕉
