戦後80年、節目の終戦記念日

今年の8月は例年より多く、当時の生き延びた証言者のリアルな体験談、記録の品々が公開されている気がする。NHKや民間テレビ局もドキュメンタリーを新しく制作更新し、反省や今まで目立たなかった当時の政策への反発の論調も全面に強く感じる。

知覧平和記念館の玄関、2023年1月
零戦闘機の形に刈り込まれた松

2023年の1月、鹿児島の知覧平和記念館を訪れる機会があった。まだ10代の特攻員たち、墨で書かれた目の醒めるような美しい書体、文面……。

純粋な想いの手紙が数多く展示されている。なんと多くの大切な可能性を持つ青年たちが消えていったことか。彼らの遺書、最後の手紙やはがきから訴えるものは、今思い出しても強力だった。

ことしの報道では、当時の大本営は若き選ばれた優秀な特攻隊員の気持ちまでも利用して、広く国民に戦意高揚を演出したことを堂々と解説していた。

多くの犠牲者のおかげで、不戦80年の今日の日本に感謝感激するのみだ。

将来、日本が巻き込まれそうな戦争の火種は、官民協力して全力で消そう。

佐原、小江戸風情が残る町

香取神宮からバスで10分走ると、香取市佐原の歴史が残る町並みがある。このあたりは、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

古いl酒造、醤油屋、漢方のお店。サワラから利根川を渡ると茨城県水郷地帯に隣接しており、舟運搬が盛んな村だった。

伊能忠敬旧宅も偶然見つけた。小野川の舟乗り場の前だ。土地測定器なども展示されている。

通称ジャージャー橋、さわら

家の近くに江戸初期、灌漑用水に使っていたジャージャー橋(樋橋トヨハシ)がある。ちょうど通りかかった時に、ジャージャーと流水が始まった。真夏の涼しい光景が急にとび込んできた。

香取神宮の森、千葉県

香取神宮は、1700年徳川幕府に伊勢神宮古材で造営された。重要文化財に指定されている。本殿は黒漆喰を基調に金色の金具装飾が個性的だ。現在工事中で2026年の大祭に完成予定だ。

入り口のブルーシートの上にかっこう良い三毛猫が毛づくろいしていた。声をかけるとポーズをしてくれた。

香取神社、参道の神社ネコ
香取神宮、7/24/2025

 

香取神宮、表参道

 

総門、香取神宮

 

香取神宮本殿改修中

駐車場近くから始まる参道商店食堂で、焼き団子と地産地消のガーデンサラダを頂いた。安くて美味しい野菜をたくさん味わった。ジョッキーの冷やし甘酒は次回に試したい。

鹿島神宮の森散策、茨城県

7月24日木曜日、暑中の神社お参りに挑む。横浜駅からバスで90分。神社の境内は歩きやすく、炎天下でも樹々がつくる木陰が続いていた。

鹿島神宮、本殿

現在の本殿は1619年、二代将軍徳川秀忠公により御奉納された。

鹿島神宮、奥宮

1605年、現在の奥宮は徳川家康公が本殿として御奉納された。その後、元和の造営の際に、奥宮として移された。

鹿園のバンビ、ニホンジカ

暑い日は小屋の中に避難している鹿たち、バンビがこちらに寄ってきてくれた。小屋から親らしき鹿がのぞいている。

御手洗池、鹿島神宮の森

池の近くには売店食堂がある。御手洗池の横で1日400キロリットル以上の清水が湧いており、容器に持ち帰ることができる。暑い。今年初めての宇治金時のかき氷をいただいた。

モンキアゲハ、御手洗池
モンキアゲハ 鹿島神宮

池近くで突然大型のアゲハチョウがヒラヒラと私の周りを回ってきた。ビデオで撮ると、着地した所で、地面から水を吸い、胴から流しているのが見えた。うっそうとした木陰、青い池の近くで、舞う黒い蝶。

幽玄の世界だった。

藤田嗣治:絵画と写真 @東京ステーションギャラリー

7月18日金曜日、酷暑の梅雨がやっと明けてくれた。
東京駅隣接の美術館、炎天下を避けてアクセスできるのがありがたい。

今回の展覧会でレオナール・藤田の生涯を辿ることができた。1886年から1968年、81年間、波乱の人生を生き抜いた。今もそのファッションがやセンスが新鮮な芸術家、国際人であることがよくわかった。

2011年、生前の多くの日記写真などの6000点の資料は、家族から寄贈され、今も母校芸大で研究されている。もっと多くの作品に触れたい。

自画像 1929 東京国立近代美術館

愛猫のキジトラ、硯と面相筆、日本を感じさせるアトリエの様子。深いグリーン色のシャツの着こなしにも注目した。

猫を抱く少女 1949 、個人蔵
マドンナ 1963 、 ランス美術館

1959年、藤田は妻の堀内君代とノートルダム大聖堂でカトリックの洗礼を受けた。君代は藤田の没後、広報にて作品を広め98歳まで生きた。
夫婦の遺骨はランスの藤田が設計したフジタ礼拝堂に埋葬されている。

フルール河岸、ノートルダム 1963

※ ノートルダム大聖堂の塔が作品左上に見える。

国東半島を巡る歴史散歩 ③

三日目は出発9時、大分空港に5時発の飛行機で帰路に着く。この日は猛暑日、お寺神社へ上る階段が試練だ。

最初は国東半島中央に位置する、721メートル両子(ふたご)山中腹に創建された天台宗別格本山の両子寺(ふたごじ)。

国東半島の最高峰両子山 6/28/2025
足曳山両子寺(ふたごじ)
千手観音像、御手は40本

二番目に訪れた寺は、両子寺から西に向かって30分、国宝の富貴寺。九州最古の和様建築物で、総榧(かや)の木造り、簡素な形、優美な屋根の線を持つ。
仏教徒を極楽へ導く阿弥陀如来座像を祀る。御本尊、壁画は撮影禁止だった。

富貴寺大堂(蕗寺) 平安後期

屋根の弧を描くデザインは、仏教の神聖な生き物、鳳凰を象徴している。御本尊を祀る本堂の中で住職から寺の縁起の話があった。

御朱印受付近くで参拝者を出迎えてくれる猫サバオ
住み付いて3年、哲学者風のネコ
毛皮模様が確かにサバ柄

さらに西に進み、全国四万社あまりある八幡様の総本宮である宇佐神宮へお参り。
境内の広さは約15万坪、私たちは国宝の宇佐神宮本宮でお参りの方法を習う。手水舎で手を清め、一之御殿、ニノ御殿、三之御殿と進む。それぞれに二礼四拍手一礼をする。(他の神社は二拍手)

八幡総本宮 宇佐神宮
 御鎮座1300年

国東半島の歴史的建造物や仏像は、地元の人々の強い信仰心に支えられて継承され今があると感じた。

国東半島を巡る歴史散歩 ②

昨夜宿泊した亀の井ホテルは、別府温泉を全国に広めた功績者、油屋熊八が創業者だ。二日目は別府の血の池地獄からスタート。

大分県の鬼は福を呼ぶ 👹 6/27/2025

バスで30分移動、次に訪れたのは別府湯の里。江戸時代から温泉の素「薬用 湯の花」を製造している。

湯の花小屋が建ち並ぶ

今回の旅に参加した理由は60を超える平安・鎌倉時代の臼杵(うすき)石仏群を見学すること。30年以上前友人から大分県に磨崖仏がたくさんあって驚いた話を聞いた。

野ざらしだった石仏群、今は立派な屋根の下に保護されており、多くは、国宝に指定されている。それでも完全な形の姿は少ない。

大日如来坐像 平安後期
阿弥陀如来坐像
伝釈迦如来坐像、右
大日如来坐像、中央
阿弥陀如来坐像、左
伝薬師如来坐像
不動明王、金剛力士の右側

 

湯布院に着いたのは4時過ぎ。金鱗湖の中に立つ鳥居の上に鵜が停まっていた。珍しい。

金鱗湖、湯布院

国東半島を巡る三日間の歴史散歩 ①

6月26日から2泊3日、空路で羽田〜大分空港から国東半島へ渡った。天気は梅雨明けの前にも関わらず、陽射しは夏の強さだ。

1日目は午後からの観光で、福澤諭吉の生家がある中津市に位置する青の洞門と耶馬溪を散策した。

禅海和尚、手掘り洞門を掘る

青の洞門は明治時代に日本で最初の牛馬や人の通行有料道路となった。禅海和尚をモチーフに菊池寛が短編小説「恩讐の彼方に」を発表した。昔、読んで心洗われたことを思い出した。

青の洞門、6/26/2025

耶馬溪のある競秀峰は福澤諭吉が私財を投じて買い取った土地にある絶景地。江戸の儒学者頼山陽が「耶馬溪山天下無」と詠み、日本三大奇勝地の一つに数えられる。

展望台から一目八景、耶馬溪

耶馬溪は紅葉の頃は赤く染まる。今回は新緑を過ぎた緑色。
橋の下に見える周辺の川縁は岩や苔類が美しい。

耶馬溪 6/26/2025

紫陽花見事:6月14日 @ YEG

前回の横浜イングリッシュガーデンの紫陽花フェスティバルから2週間。
もっと咲きそろい、色も変化しているにちがいない。
6月14日土曜日、再び小雨がぱらつく中、姉と来園。

6/14/2025
6/14/2025
6/15/2025
6/14/2025
6/14/2025
6/15/2025

説明する必要もない。只々美しく咲き誇っていた。

ミロ展:東京都美術館

「カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち」
  1940、水彩、グアッシュ

6月4日平日曇り、この日は上野の森の都美術館を姉と姪三人でブラブラ美術鑑賞。

はじめに最終日の「手工芸作品展」の会場を訪ねた。見ごたえがある細かい作業を要する作品群でびっくりの連続だった。

よみうり文化賞入選
「朝の散歩」 田澤恵子

シャドウボックスという飛び出す絵本のようなカテゴリー。部分的に立体スリーデイになっている。

いちばんの印象に残った作品が「朝の散歩」。水道蛇口から流れる水も立体になっていた。

 

giant hornbillに餌を与えるミロ、ロンドン動物園

ミロはスペインのバルセロナ出身。1893〜1983、90歳で他界した。子供の頃、農場で遊んだ生き物たちの記憶が作品に影響している。後にパリに住み、シュルレアリストのグループと交流を持つ。

太陽の前の人物、1968

1968年、「太陽の前の人物」
ミロの造形言語の集大成のひとつ。日本の禅僧仙厓が丸、三角、四角で宇宙を表現した作品とも関連がある。黒色だけ使った日本の書道にも影響された作品もあった。

逃避する少女 1967
バルセロナ庭園

上の作品は会場で販売の子供向け絵本「Miro’s
magic animals」に掲載されていた。

足の大きな農場の女は、しっかりと大地に足を着き、空高くジャンプできそうだ。猫は暖かいストーブのそばがお気に入りで動かないのだろう。

「恋人たちに未知の世界を明かす美しい鳥」 1941

今回ネット検索で懐かしいミロの作品と再会した。
以前住んでいたマンションに飾っていた上のミロの作品。

幼かった姪が「ライオンさんのお化け、見たい」と気に入っていた。30年以上前のことを思い出した。

Translate »