年齢制度がなくなれば

時間は計るものではなく、流れるものであった。
時間を計った結果、人間は自分の年齢にしばられることになったが、時間を計らずに流れるままにしてみるとどうなるだろう。

人間が一年毎の区切りを意識することなく、そして年齢制度が全くなく、その結果、自分の年齢の意識を持たずに一生を過ごしたとしたら、それはどんな一生となるだろう。

小学校に入学するのも、学校を卒業するのも、結婚をする時期も、すべて自分の気持ちで決める人生があるとしたら。そして、死でさえ、生きることに十分満足したと本人が納得した後、その時期を選択できる人生であったら人間はどんな行動パタンになるだろう。

それはきっと流れるような人生だろう。時間は存在せず、時の流れのままに生活すれば、その生活は流れるようだろう。節目がなく、自分だけの責任で教育を終え、仕事をし、結婚をして家庭を築き、老後を迎える。他人の成長度を見るのは、その人の顔と態度と言葉だけ。年齢で人を計ることが絶対にない世界。

今のこの世界は知らない人のことでも、年齢さえわかれば、その人が人生のどの部分を歩いているか知ることができる。当然、人間も自分の年齢に合わせて行動しようとする。人間は時間によって作られているとも言える。

そのような大切な役割をしている「時間」から、解放されたら次々とやりたいことの出てくる人々の中には、時の立つのも忘れて、気がつけば周りの人は知らない人ばかり。浦島太郎も増えるかもしれない。

この世では年齢の壁があるが、時間にしばられて生活しているのが人間世界なら、時間がゆったり流れている世界も存在しているのだろう。

 

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