11月19日の日曜日、やっとイングリッシュガーデンを訪れる時間を見つけた。
秋バラが気になっていた。
満開期は過ぎていたが、残った美しいバラやコスモスを探して写真に収めた。
これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
11月19日の日曜日、やっとイングリッシュガーデンを訪れる時間を見つけた。
秋バラが気になっていた。
満開期は過ぎていたが、残った美しいバラやコスモスを探して写真に収めた。
旅の最後は古代ローマ時代以降のキリスト教芸術、美術品に囲まれたひと時を過ごした。時代を遡った贅沢な時間だった。
ピザのランチの後は、コロッセオ方面の石畳を散策した。
夕方の自由時間は3時間。
まずは集合場所のスペイン広場近くのカフェで静かに一休み。元気が回復したところでブティックやスーパーマーケットで買い物。最後は広場で買った焼き栗やみかんをグループでベンチに座って味わいつつ、夜はふけていった。
お疲れ様〜でした。
この日も1万6千歩のローマ道を歩いた。
最終日10月30日の月曜日、気合いを入れて歩く予定が待っている。出発は7時30分。ホテルに帰る時間は20時。
午前中はサンピエトロ大聖堂とバチカン美術館を訪ねる。昼食後はコロッセオや凱旋門、古代遺跡周辺を歩く。
自由時間は夕方4時から7時までだが、この間に買い物や食事をするという過密スケジュールだ。
大勢の人が並んでいる中、ガイド付きの団体予約の私たちは荷物チェックも入場もスムーズで助かった。効率が良すぎるくらいに観光が進んだ。
サンピエトロ大聖堂はカトリック総本山、キリストの弟子ペテロが初代ローマ教皇になった。イエスから天国の鍵を受け取ったとみなしている。聖書の中でイエスはシモン・ペテロに次のように語った。
『私はあなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう』(マタイによる福音書16:19)
大聖堂の出口付近の床をふと見ると大きな鍵が置いてあった。大事なものを見つけた気がした。
天国への鍵を得るには何が必要だろうか。
地上に天国を実現するには、やはり争いを避け許し合うことだろうか、、と自分に語りかけながら大聖堂を後にした。
日曜日のランチを農家風レストランで頂いたのち、私たち一行はバスで北上、ケーブルカーで4キロほど山を上り、歴史ある人口2万人のオルビエートに到着した。
夕方4時頃に大聖堂の前に立つ。
イタリアの3大ゴシック建築のひとつで 1264年頃建てられた。きっかけは「ボルセーナの奇跡」。
1263年、サンタ・クリスティーナ教会でボヘミヤの司教がミサの聖体拝領に使ったパンからキリストの血が流れ、聖体布に付着した。
当時この地を訪れていたローマ法王ウルバーノ4世がこれを認定し、聖体布を祀るためにこの豪奢な教会建設に至ったそうだ。そして聖体祭、花祭りの始まりとなった。
教会前の広場で若い男性がよく躾けられたブルテリアを散歩させていた。リードを外していてもおとなしい。
夕方5時、オルビエートをあとにして、バスは136キロ南に進んだ。
19時頃、今回観光の最終地のローマのホテルに到着した。
毎年10月の最終日曜日にイタリアのサマータイムが終わる。日曜日の朝、時計を1時間遅らせた。つまり1時間得したのだが、この日の出発時間は7時45分と相変わらず早い。
午前中は郊外にある小さな中世の天空の街、チビタ・ディ・バニョレッジョをめざした。個人で行くには交通が不便な場所らしい。フィレンツェから南下して178キロ、バスで2時間半、天空の街が目の前上空に現れた。
バスから道はきれいに整備さているが300の階段は登り坂だ。頑張りどころ、万里の長城のように続いている。
中世の街を入島すると、こぢんまりと真っ直ぐに道が続き、まもなく行きどまる。
土地の崩れが進み、住民は観光の仕事に携わる数名だけだそうだ。
午後は再び90分のバス移動し、フィレンツェにもどった。市内観光の始めに小高い丘に位置するミケランジェロ広場に上り、市内全体を見晴らせる場所に行った。
市内は週末の土曜日でどこも観光客であふれていた。
ウフィッツ美術館も混雑の中、日本より自由に美術品、名画を至近距離で見ながら回廊を進めるのが嬉しい。撮影も禁止していない。次々に現れる芸術品の数々。感動にひたる間もない。2時間余りの滞在は体力・気力的に限界だったかもしれない。
夕食時間を含めた自由時間のほとんどはシニョーリア広場に面するおしゃれなカフェで6名の同年代ツアーメイトとゆっくり過ごした。人が多すぎ、歩き疲れて、街の散策どころではなかった。
広場での集合時間は19時30分、ホテルには20時に到着で、近くのスーパーも閉館。夕食は軽いスナックで済ませた。
この日は1万6千歩も歩いた。
フィレンツェの夜空に満月が光っていた。
前日は昼食後、バスで260キロの移動、4時間かけてフィレンツェのホテルラファエーロに到着した。連泊なのでスーツケース移動の手間がないぶん楽だ。
週末の10月28日土曜日の朝8時出発。午前中はリグリア海の方向、86キロ離れたトスカーナ地方のピサまでドライブ、9時20分にピサに到着した。
バスを降りて住宅街をしばらく歩き、待ち時間長めの踏み切りで信号待ち。急に目の前が開けて広場に着いた。
ピサ大聖堂の周りは芝生がきれいな広々とした見通しの良い広場だ。ピサの斜塔、大聖堂、洗礼堂が主な建物で、想像以上に美しく、青空に白い大理石のそびえ立つ建物群がまぶしい。
今も鐘楼塔として現役のピサの斜塔にのぼった。「斜めに立つ塔のらせん階段はめまいを感じる人もいます」とガイドさんが前もって注意してくれた。大理石の階段は急で人々の足で手前斜めにすり減っている。のぼりにくかったが休憩を入れることなく進んだ。(途中休むスペースがある)
上部の風は特別に涼やかだった。
前の晩は本島の古いホテルに泊まった。夜から明け方にかけてまとまった量の雨が降った。8時に出発の頃は小雨模様からスタート。
午前中は市内観光、ベネチアングラスの工房ムラノを見学したあと、ゴンドラに乗船。空はすっかり快晴で青空に変わり、自然とサンタルチアを歌いたくなる。YouTubeを流しながら口づさんだ。船頭さんは細心の注意で建物ギリギリのところでゴンドラを進めている。歌を歌う余裕はないようだ。
自由行動は約2時間。路地の散策や買い物をするとランチタイムは長くとれない。ガイドさんおすすめのパンとお菓子が人気のカフェ、 Rosa Salva のカウンターでサンドイッチとリコッタチーズクリームが入ったカンノーロ(映画ゴッドファーザーで有名になったシシリー島のお菓子)を急いで試食して街歩きに出た。
学生の頃から訪ねたかったイタリア、コロナ禍で計画が3年延期された。すると今回は円安で急激な旅行費用の値上がりだ。
時間が大事なシニア時代、元気なうちに行動しよう。
ということで久しぶりの欧州旅行は不安もあったが、72歳の誕生日に出発となった。
羽田空港からローマ空港で乗り換え、ミラノ空港へ無事到着。途中、グループの1人のロストバゲッジの事故があったが、ホテルチェックインは夜中の1時30分だった。
翌朝は朝食後、8時に出発、スフォルツェスコ城周辺の公園を散策。9時前で観光客もまだ少なく、地元民も犬の散歩などゆったりと朝の時間を過ごしている。ここはミラノだ。
時計が9時を回って大聖堂の内部のステンドグラス、ガレリアショッピングセンター、スカラ座広場と市内観光。1時間ほどの自由時間でスカラ座隣接の博物館を見学した。時間は15分しか残されていなかったが、スカラ座内のリハーサル風景をのぞいたり、バルコニーからの眺めも確認できた。
スカラ座広場のレオナルド・ダ・ヴィンチ像を仰ぎ見ると、今までの知識の断片が一挙に思い出され感慨深い。
この日のメイン観光スポットはダヴィンチの「最後の晩餐」だ。
広い部屋で入場制限をしながら鑑賞させてくれ、作品を目の前にしてゆっくり細部を観察できた。神聖な祈りの気持ちで訪れる人々が多い。添乗員から、まちがってもピースサインで写真を撮らないよう、と注意があった。しかし10月7日に始まったパレスチナの地での争い、早期の終結と聖地の平和を祈った。