砂糖と脳

砂糖の摂取量が増えているそうです。

肥満は現代病ですから、砂糖の多くは人間の体に蓄積されているのでしょうか。砂糖が製造され、大部分は人間の栄養になっています。砂糖なくして人間の知的活動は成り立たないでしょう。

砂糖は脳の栄養と言われています。ブドウ糖のみが脳のエネルギー源になると言われています。その多くは左脳で使われているという学説。右脳より左脳が活発だと説明されています。砂糖は左脳へ流れる、食物や間食を通して人体に入った砂糖は脳に2割、あとは全身で使われます。インシュリンの働きが不足している人は尿から体外へ排出されることもあります。

近頃は砂糖は、健康上よくない、とり過ぎはよくないと言われていますが、現代の知的生活に一役かっているのが砂糖です。砂糖なくして知的産物は期待できないでしょう。砂糖は白色だったり、茶系色だったりしますが、口に入る前に水に溶かすと容易にに液体になります。水や湯に溶ける性質があります。水または他の液体と混ぜて摂取する材料です。大きく分けると調味料です。調味料は食材に味をつける役割なので多量に入れることはまれですが、その中で砂糖は多量に入れる調味料やお菓子の材料です。まったく砂糖を摂取しないことは不可能です。

砂糖はサトウキビから作られます。稲や小麦と同じグループで植物から収穫されます。植物は自然の恵みですから、人間との相性は基本的にはよくなじむものです。砂糖と仲良くつき合えば、多くの成人病の原因とならないで済むかもしれません。

脳は砂糖を多く受け入れている。この事実からわかることが二つあります。ひとつは、「脳は特に左脳は、砂糖が好物である。」二つ目は「砂糖は液体に形を変えて脳になじむ。」体をコントロールする大事な脳は、酸素と栄養なくしては働かない。しかし脳を働かせるのは簡単です。そして働いたあとは、何かを産み出し、行動を決め、物を創り出します。

脳の産物は栄養である砂糖の産物であり、植物の恵みから来ています。

植物が今ある世界をつくっているとも言えるのです。

砂糖の働きに今一度、敬意を払いたいと思います。

写真について思うこと

写真の好きな人とそうでない人がいます。写真に関心がない人もいます。

写真を好まない人でも、記念写真と医療写真、証明書などの顔写真は逃げられません。つい緊張の表情になってしまうでしょう。しかしまじめな写真です。真剣な顔、本気の顔です。笑顔の写真は見る人を和ませ、楽しい気持ちも伝わります。その人の一面です。時に笑顔は本気の顔を隠してしまうことがあります。

写真は現在の姿を写すが、それを見るときは必ず過去の姿です。当たり前の話です。それで記念写真となったり、思い出の写真になったり、成長の記録となるのですから。つまり、まったく同時の写真を見ることはできません。その一瞬は再び再現することはできません。時間は進んでいます。

ふつうの人は自分の過去の写真を見ると、若かったなぁとか、痩せていたなあとか、あの頃は楽しかった、つらかったなどの感想を持ちます。その写真の効用は単に記録、思い出とするだけではなく、他にも活用できます。

もし写真の中の自分が正面を向いており、その視線が自分の目とあったら。しばし過去の自分と向き合ってみてはいかがでしょう。そして向き合うだけではなく、過去の自分からのメッセージをくみ取るように見つめてみましょう。

ただの写真の中の自分がよみがえって、何らかの思いが必ず湧いてきます。それは現在の自分を知るメッセージになるかもしれません。

過去も現在に生きて、力を与えてくれます。

カコ、力(ちから)ココニアリ。

お辞儀

お辞儀する習慣は、スポーツ界、商業関係には伝統として残っているが、一般的には少なくなっています。お辞儀の習慣を自分がするのは気恥ずかしいと思う人も多いでしょう。

しかし、自分がお辞儀をされたらどう感じるでしょうか? お辞儀をされて怒る人はいません。

お辞儀のある風景を見るのも、心が和むものです。たとえば動物がお辞儀し合ったら、私たちはほほえむか、声に出して笑うでしょう。そして礼儀正しい、と感心するでしょう。お辞儀は相手を敬い、自分がへり下っていることを示すとてもよい表現です。

お辞儀の習慣のない外国人がお辞儀を真似すると、板についていないことがままある。お辞儀は股関節から曲げ、ゆっくりとくの字にしていきます。首は背骨の延長線に保ち、視線は下方へ向けます。手は力を入れ過ぎると、相手に緊張を与えるので、ゆったりと前に組むか、側面に置くと力を抜くことができます。

最近の傾向として、首だけ何度か前後に振る人が多くなりました。何でも簡略化する傾向にあるので、お辞儀も簡略化されてきたのでしょうか。お辞儀は日本の伝統的な型なので、早過ぎず、ゆったりときれいな形が望ましいです。

相手に敬意を表したいとき、適当な言葉が見つからない時、お辞儀すれば、間違いなく自分の気持ちを伝えることができます。しかも上手なお辞儀でなくても許されます。お辞儀に失敗はありません。

とっておきの表現として、鏡など使って日頃から練習しておくと安心です。背筋を伸ばす訓練にもなります。

お辞儀ひとつで、人に感動を与えることもあります。しかも高い確率です。

あらためて挨拶について

挨拶は自分と相手の心の状態を伝え合うこと。

●生きていくためのエネルギーを交換し、与え合うこと。

小さな子供の挨拶は最高だ。元気な声を出して、元気さを表現できる。それで親は安心する。まわりの人も楽しくなる。大人になっても子供の頃の挨拶の心を持ち続けられる人はたいしたものである。

挨拶はお互いのパワーの交換ができる。交換できない場合でも、相手にパワーを与えることができる。時に声を出すパワーがないときは、笑顔だけでもよい。相手に笑顔を見せる余裕がないときは? 自分に向かって笑う気持ちでほほえんでみる。すると、顔の筋肉、内臓の筋肉がほぐれる。自分に元気を取り戻せる。

苦手な人、相性がわるいと思っている人に対してなんか、言葉が出てこないよ。
そんなときでも笑顔は有効だ。かすかな笑顔でも人は気づく能力を持っている。

身近な相手に複雑な思いを持っている場合、言葉で表現できないことがある。こんな場合は、相手のからだに思い切って触れることで、不思議と通じる。最近は日本でもハグする人が少しづつ増えてきた。この場合は通じることを願い、意識することが大事だ。例えば、握手なら自分の気持ちを手に込める要領だ。わだかまりが取れて、自分のストレスも解消されやすい。

挨拶の相手は人だけとは限らない。一人暮らしの人、人口が少なくて一日に会話をする機会が少ない人、病気で家にいることが多い人も挨拶してみよう。

「朝」に対しても、挨拶できる。「グッドモーニング。またお会いましたね。」子供の頃はこんな会話も変とは思わなかっただろうが。

勇気をしぼって挨拶して心が通じなかった場合も、がっかりする必要はない。
自分の耳は必ずその声を聴いている。

ハイファから来日した御夫婦のこと

10月30日水曜日、アヴィシャイとニリと会うのは3年振りだ。前回は家族4人で来日して、日本が大好きな両親は子供たちを連れて名所の金沢、高山、京都などを案内した。今回はご夫婦だけで、渋谷に約10日間の滞在予定だそうだ。アヴィシャイとは35年以上前に同じ会社で働いていた。

私もアヴィシャイの家は2度ほど訪ねたことがある。いつの間にか、お互いにシニアライフを送るようになった。

夕方に会った。品川駅近くの日本料理の円で小皿を数品を選び、秋の和食を楽しみつつ、近況を伝え合った。私は彼らから日本の文化を教えてもらうことが多い。日本に数年勤務していた頃は、能楽のお面を器用に彫っていた。奥さんのニリは草月流の生け花を習い、教師のライセンスを取った。日本庭園もハイファの学校で教えていた。

今は何をしているかといえば、アヴィシャイは金継ぎをネットで独学で学び、割れた陶器を直している。素敵な作品の写真をたくさん見せてもらった。すごい。茶道でもありのままを見せる精神の金継ぎ。ユニークだ。

 

 

 

 

 

 

ニリは以前から陶芸をしている。庭に陶板を置いた二人掛けのベンチを作った。大きな作品にも取り組んでいる。風流で自然素材が活かされている。

いつもこの御夫婦のエネルギーには驚かされる。

ハイデルベルグ (3)

ハイデルベルグで公園に不思議な噴水を見た。ビスマルク広場近くで、ハウプト通りからよく見える。始めは水道破裂で大量の水が噴き出しているのかと思ってビックリした。近づいて見ると池から出ているのだ。ハイデルベルグは山間に位置している。ネッカー渓谷からの自然水だろうか? 説明書きの立て札も見当たらず、ネット検索でも出てこない。

ビスマルク広場近くの大噴水

歩いていると、聖霊教会よこに人気がありそうな、ほぼ満席なレストランを見つけた。クラシカルな室内テーブルと外にカフェテリアを備えている。ちょうど聖霊教会が目の前にそびえるよい席が空いた。メニュー選びで迷い、One plateとスープを注文した。これが美味しかった。旅行中、初めてドイツらしいソーセージや春巻き風揚げ物、マッシュポテトなどの盛り合わせ料理。一皿を二人でシェアしても満足な量だった。

 

最後の晩餐

こうして、最後の夕食を取りながら、ビールで旅の無事を祝った。感謝です。

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